- 締切済み
おとぎ話の筋の書き換えについて
テレビなどの暴力シーンの規制が、話題になっていますが、最近このことに関して調べていくうちに、西洋や日本のおとぎ話が教育的な見地から話の筋を書き換えられたものがあると聞きました。そこで皆さんに以下のことを質問いたします (1)西洋や日本のおとぎ話で「本来の話(=原作)」と「書き換えられた話」の部分が比較が書かれている本やホームページがありましたら、情報を提供してください。 (2)教育的見地からとはいえ、おとぎ話の筋の書き換えについてあなたはどう思いますか 以上2点です。どちらかの質問だけお答えいただいてもかまいませんので、皆様からの情報と意見をお待ちしています。よろしくお願い致します。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
残酷さや暴力表現は時代によって違いますね、 日本でも江戸時代なんかだと火あぶりや磔獄門などは最高のエンターテイメントの一つだったそうです(弁当持参で見物といった記録があるそうです)、 現在は子供に残酷なシーンを見せないといった傾向が強いようですが、 因果応報を教える場合にはある程度の残酷さも必要ではないでしょうか、 御伽噺はモノの道理を教える説教(説話)の面も大きいですから、 たとえば「かちかち山」では、 本来たぬきがお婆さんを騙して殺し「ばばあ汁」にしお爺さんに食べさせて、 それを知り嘆き悲しんでいる姿をみたウサギが敵討ちをする(以前に命を助けてもらった恩返し)という話が本来の姿です、 現在の「かちかち山」では悪戯たぬきとしてしかかかれておらず、 取り様によっては過剰な報復でたぬきに同情を覚えるかもしれません。
- dora1
- ベストアンサー率50% (263/518)
(2)についてだけです。 そもそもおとぎ話というのは、コミニュケーションの手段だと思います。桃太郎や浦島太郎のお話を親から枕元でたくさん聞かされました。親のしてくれたおとぎ話の長さやくわしさは、聞かせる対象年令によって、子供がどの部分をおもしろがっているかによって変わるし、もちろん、親として聞かせたい部分が強調され、聞かせたくない部分は省かれしていきます。それが時代を経て積み重ねられていくのが、おとぎ話の形成なのではないかと思っています。 もちろん、国によって内容は変わっていくでしょうし、同じ国でも社会情勢によって(飢饉が続く時と豊作が続く時、戦時下と平和な時などでも)変わっていくでしょう。おとぎ話はそういった影響をもろに受けながら変遷していくものではないでしょうか?みながおとぎ話の改定にかかわっている訳です。過去のある時点の「原作」にこだわるのは研究者だけでよいのではないかと。 現在の「教育的見地」からの変更だってもちろん「あり」だと思います。昔の残酷な話だって、当時の「教育的見地」から子供に聞かせたかった場合だってあると思うんです。何が正しいと正しくないとかいう話ではないような気がします。まあ自然に形成されたのと、誰かが決めて広めたのとの違いはあるでしょう。もちろん、私は、おとぎ話がそのときの政治的な、あるいは思想的な道具に使われるのも、その性質上しょうがないと思っています。極論でしょうか?
- maumau
- ベストアンサー率48% (276/572)
enngelさんこんにちは そうですねー、グリム童話や日本の昔話など 元の話の筋はかなりグロテスクなものが多く 絵本など子ども向けになるときには話自体を書き換えられてしまうことはありますね。 そのまま(残酷な描写などのまま)子どもに与えてしまうのはどうかと思いますが そういうお話って寓話的な教訓や処世訓や風刺といった筋書きになっているものですから 大人が読み聞かせて、筋をかえないまでも子どもが理解できるように話して聞かせることが大切だと思います。 そういうことの出来ない想像力の貧しい大人が増えてしまったということでしょうか? ただショックを与えないよう、耳ざわりの良いものだけ与えるというのは問題のすり替えって感じがするのですが? 暴力シーンや残酷なシーンが悪いのではなく、そういったことをきちんと「なぜ悪いのか」説明できない大人の問題だと思います。 童話や映画やTVドラマや漫画などの架空のところからそういうシーンを消してしまっても 現実の世界ではそういったことは無くならないのですから。
- kawakawa
- ベストアンサー率41% (1452/3497)
焼けた鉄板の上で皆が見守る中,焼き殺されてしまうシンデレラの義母や姉達 煙突から煮えたぎったナベの中に転落し,煮殺されてしまう三匹の子豚のオオカミ 大やけどして,蜂に刺されて,臼に潰されて半死半生で逃げていってしまうサルかに合戦の猿 地獄に落ちた親は見捨てたが,生まれ変わった自分の子供の命を守るために声を出してしまい仙人になれなかった杜子春 昔話などの中には,確かに残酷なシーンもあるものです。 また,親を大切にしなければならないという儒教的な教えに反する記載もあるものです。 けれども,作品の内容を書き換えてしまうことは,文学や歴史等に対する冒涜だと思います。 教育的見地から考えると,何も変えない,そのままのものを読ませるべきだと思います。 今の価値観を押し付けることが教育的見地とはいえないと思うのです。 御伽噺の残酷シーンを無くすことだけで子供達が優しい心をもつようになるなどという「おとぎばなし」を考え出したのは誰か存じませんが,全くもってナンセンスでしょう。 「グリム童話は・・・」(・・・の部分は忘れました) 「実は恐ろしい・・・」 といった本が出されたいたかと思います。 以上kawakawaでした
「裸の王様」について。僕が小さな頃読んだ「裸の王様」のエンディングでは王様は正直な子供の言葉に反省し、子供に謝ってました。挿絵にはパンツひとつの王様が、子供にキャンディのプレゼントを手渡している様子が描かれていました。この王様って「日本的大人」の姿だと、あとでアンデルセンの原作を読んで思いました。 もうひとつ、河合隼雄の 「昔話の深層―ユング心理学とグリム童話 講談社プラスアルファ文庫」 は面白かったです。