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ウィキペディアのシアトルのページで

こちらのページの歴史の箇所に、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AB >かつては「グレート・ノーザン鉄道を父とし、日本郵船を母とする。」の言葉で有名なように、この両社によって発展を遂げた。 そして引用としてHistory of Seattleと書いてあります。 このページのどこに、 http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Seattle 具体的にはどこに(何行に)書いてあるのか、 またこれらがどこで有名なのか、 なぜ日本郵船を母とするのかもご存知であれば教えてください。 よろしくお願いします。

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noname#86349
noname#86349
回答No.2

>そして引用としてHistory of Seattleと書いてあります。 特に引用とは書いていないと思います。 細かいところはここを見ろ!と言うことのようです。 ですからHistory of Seattleに「グレート・ノーザン鉄道を父とし、日本郵船を母とする。」と言う記述は見られません。 しかし「グレート・ノーザン鉄道を父とし、日本郵船を母とする。」という意識は現在のシアトルの人々にもあるようです。 シアトルをはじめとする北西部(昔風に言えばオレゴン地域)は土地や仕事を求める人々の強い要望によって、共同統治をしていたイギリスから強引に獲得されました。しかし獲得への要求には他の理由もあって、北東部の工業地帯ではアジア市場への進出経路も強く求められていました。そうしたこともあってアメリカの独占領有が行われたわけですがアジア経路の確立は1880年代に入って本格化したようです。その経路の建設の主体となったのがグレート・ノーザン鉄道と言うことのようです。GNはシカゴとシアトルを鉄道で直線的に繋いだようですが、海上でも日本とを結びつけました。シアトル-横浜間の定期船を就航させたのです。またGNは日本郵船とも提携してシアトル-横浜航路を強化し、シアトルの繁栄に寄与したということのようです。 それまで北アメリカ大陸とアジアの航路はバンクーバー(カナダ)とサンフランシスコの2港によってほぼ独占されていようですから、シアトルとしてはかなりの経済効果があったと思われます。また19世紀末からかなりのアジア系移民が入ったようで、そうしたこともシアトルの気風(親アジア的)に大きな影響を与えているのでしょう。(イチロー選手もシアトルの親日的な気風を気に入っているようですね。) こういった面を含めてシアトルの人にとっては日本郵船の定期便は切っても切れないものなのでしょう。 詳細はグレート・ノーザン鉄道のリンクから関連事項に飛んだ方がわかりやすいと思います。 参考になれば。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはりそういう記述は見られないのですね。 GNはシカゴとシアトルを鉄道で直線的に繋いで、 海上でも日本と、シアトルから横浜間等知りませんでした。 シアトルにはマリナーズとか以外にもこういう側面もあったり。 ちなみに、スターバックスはシアトルスタイルカフェだそうです。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#77472
noname#77472
回答No.1

どこにも書いてないよ。 鉄道と文明→大火災→ゴールドラッシュ→ノースウエスト航空 第一大戦→第二次大戦(ボーイング) ボーイングバストに日本の文字はある。 この程度。 日本遊船の北米シアトル航路の事だとは思う。 しかし、不明な内容だ。 英語で検索したけどてんで出てこない。つ^_^)つ

noname#116869
質問者

お礼

そうですよね、書いてないですよね。 回答ありがとうございましたっ。

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