NO5の者です。
詳細な記録を読ませていただきました。
裁判を起こされるということで、よくご決心されたと思います。
かなり思い悩まれたことでしょう。
私も医療裁判についてはド素人なのでよく分かりませんが、まず思い浮かんだのは薬害エイズ事件で先頭に立って戦った川田母子のことです。
母親の悦子さんは民主党から出馬した衆議院議員になられてますが、確か医療ミスについてはかなり勉強されていると思いますので、コンタクトが取れるのならば、何かアドバイスを貰えたらな、と思いました。
何せ国会議員ですので、そうそう簡単にはいかないと思いますけど、地元の民主党の事務所あたりに相談されてみては如何でしょうか?
裁判となるとかなり心労が溜まると思われます。
ましてや告訴相手も一個人ではないのでしょうし、戦っていくのにもこれから先心細さもあるかと思います。
どなたか精神的にも金銭的にもバックアップしてくれるような方を多く持って欲しいと思います。
こんなふうになるのでしたら、やはり救急車で搬入された方がよかったですね。
本当に悔やまれてなりません。
それでも尚同様の処置しかとられなかった場合でも、救急隊員はお嬢さんの搬入時の症状を証言してくれる証人になりえたことだろうと思います。
それから酷なお話で申し訳ありませんが、お嬢さんは解剖はされたのでしょうか?
小脳出血が直接的な死因とはあまり考えられないと思うのですが、なぜ死に至ったか?という原因が明確でない場合には、告訴内容も多少は変化する可能性はあると思います。
つまり解剖所見がない場合、記録上で争うしかないと思われます。
私も医療裁判に関しては全く分からないのですが、予測できる範囲内でアドバイスさせていただきました。
私もこれから先仕事復帰することがあれば、tooooさんのお嬢さんのことを思い出して、肝に銘じて仕事しようと思います。
改めて勉強させていただきました。
何とかご遺族皆様のご気分が一日でも晴れる日が来ることを願ってます。
補足
貴重なご意見、ご回答有難うございますございます。皆様のご意見が私にとって何よりもの情報収集となっており、参考にさせて頂いております。裁判を起こし戦うことを決意しておりますが、医師たちはあらゆる弁明を予測していると思われます。私自身不透明な弁明に対処するために幅広くご意見を頂戴することを望んでいます。皆さんの公平な知識が今の医療問題には不可欠と考えます。診療の不都合をご指摘願えたらと思います。私自身微力なためこれからの医療改革のためぜひご協力いただけたらと思います。もしご迷惑ならご意見、ご返事は結構です。この様な診療が行われたとをご理解ください。 容態2/10 3:00 外出時 トランプ中 突然頭痛を訴える 軽い頭痛 二月十日午後三時、外食事、突然頭痛を訴えました。この時点では軽い頭痛のようで普通に対応できトランプをして遊べる状態でした。 5:00 徒歩にて帰宅 休ませるが頭痛に苦しむ 午後五時、頭痛が幾分強くなったようで徒歩にて帰宅、帰り道で会話も正常に行えていました。帰宅後直に休ませました。熱は平熱でしたが頭痛に苦しみ嘔吐を繰り返し寝付けない様子でした。その後さらに頭痛が激しくなり、嘔吐、抱き上げても全身脱力状態となり意識も薄れているようで自家用車にて***市民病院、休日夜間救急外来へ連れて行きました。 6:00 激しい頭痛 嘔吐 歩行も困難な状態となる ***市民病院へ 午後六時、***市民病院 へ搬入。受付で容態を告げましたが院内が込んでいるため直に受診することが出来ず三時間待ちと告げられ、容態を確認することなく待合廊下で待つように言われました。すでにグッタリして返事をすることが精一杯であり、この様な状態は経験した事がないため看護婦に診察を急がせましたがその看護婦は様態も確認することなく、『今日は皆そんな人ばかりなので、待つように告げられました。』数分後、別の看護婦に同じように尋ねると、『診てもらった方がよさそうね。』と異常を察し診察が受けられるように手配して頂きました。 7:00 容体が異常の為診療を急がすが患者の容体を軽視 風邪と診断 ようやく外来診察室に案内され研修医らしき男性医師に診察してもらう事ができました。**は激しい頭痛を訴えるものの、医師は容態を確認し聴診所見では特に異常は認められず風邪と診断、血液検査を行い、看護婦に点滴 を静注させ経過観察となりました。なお、診察開始から**が診察室を出るまでの時間は10分くらいでした。点滴中ずっと頭が「痛い、痛い」と言い、顔をしかめながら身体をよじらせていました。頭痛は一向に治まらず苦しむばかりでした。点滴が終われば帰宅してもいいということでしたが、痛みに苦しむため医師に再度検査を依頼しました。 8:00 容体が異常の為検査を依頼 血液 その後、別の女医による診察で、血液検査が行われました。髄膜炎の疑いもなく、鼻、咳はあるますか?と尋ねられましたが、母親は頭の痛がり方が異常で気になると伝えました。脱水症状が幾分治まったのでしょうか、一時、受け答えができるようになりましたが、頭痛と吐き気は一向におさまる気配はありませんでした。 9:00 容体が異常の為検査を依頼髄膜炎 CT検査 頭痛に苦しむ中点滴をつづけました。別の診察室で、血液検査の結果報告を受けましたが異常は無かったようでした。点滴が終われば帰ってもいいと、このまま帰されそうになりましたが、医師に診察を急がしました。医師は**に、『しんどいですか』?と訪ねましたが、**は、まともな受け答えはできず、うなずくのが精一杯でした。母親が医師に対して熱も無いのに、頭痛、吐き気が続いて、この様な痛がり方は、普通ではないと医師に告げました。医師はこれ以上の検査はカルテには行うように書かれてい無いと言いましたが、念のために髄膜炎とCTの検査を行うことにしたようです。髄膜炎の検査が行われ血清が確認されCTの検査が行われたようでした。CT検査室の中から、医師同士の会話が聞こえてきました。(今頃つれてきて、出血していたらどうするつもりや。)医師同士の、会話を母親が聞いていました。検査、対応の遅さを指摘していたのではないか。 10:00 出血を確認 小脳に出血を確認しました。「小脳半球R3cmx2cmL2cmx2cm」 11:00 処置 治療は困難 転院先を探すように求められる 脳外科医による診断でここでは、これ以上の検査、治療は不可能であるため、転院を勧められました。小脳の出血なので、今すぐには、容体の変化は無いので大丈夫、安心するようにと、告げられました。処置困難なため転院を勧められましたが、転院先の病院を手配紹介する気配も無く、転院先を迫られ私が知人に病院を聞いて、馬場記念病院ではと医師に伝えると、そこなら私の先輩がいるからと転院先が決まり緊急搬送となった。 「激しい頭痛、嘔吐、全身脱力状態」これを聞けば、まずもって脳への何らかのダメージがあったということを考えます。 教科書にも載っているような典型的な症状なのに、 現在の医療水準で証明することが出来るでしょうか。 12:00 **記念病院へ救急搬送 転院となる 二月十一日深夜、**記念病院へ転院。 1:00 MRI検査 直ぐにMRI検査。 2:00 普通病棟(相部屋)が空いていない為 個室を指定される 一般病室があいていないという事で、個室が用意されました。 3:00 ストレッチャーにて227号室入室 4:00 十五分くらいの間隔で頭痛を訴える 寝かせようとしましたが、嘔吐し頭痛を訴えていました。「この時痛み止めポンタールシロップも一緒に吐き出したと思います」早朝15分刻みに、痛みを訴えていたので私は、体を横にするひまもないほどでした。 5:00 嘔吐 大便 小便排出 まったく水分を受け付けない トイレを急がされ、大便と、小便を正常に排出しました。 6:00 容体は一時落ち着いたように見えた 医師より、小脳出血、現在進行状況の説明を受けました。血腫の量は、昨日の検査と比べても、変わりはなく、生命には危険が無いが、脳にかかる圧には対処が必要で、状態が落ち着けば、カテーテルで出血の原因を調べます。一週間くらいは、吐き気と、頭痛は続くと説明を受けました。様子を見て対処すると、告げられました。薬が効いているのか、いくらか落ち着いている様子でした。 7:00 1回目の看護婦による問診 CT検査 1回目の看護婦の回診、この時嘔吐した事、大便、小便が正常に排出した事を看護婦に伝えました。その後CT検査、このとき痛みを訴えていましたが、苦しみながらも受け答えは正常であった。検査結果は、動静脈奇形が疑われるとのことで、経過は依然変わりない。医師に娘の過去のことを聞いてみました。去年夏ごろから異常に視力が低下した事、年末に鉄棒から落ちて、後頭部を強打したこと、因果関係を聞いてみましたが、それらのことは、関係が無い。おそらく先天性のものだと伝えられました。 8:00 この時点では受け答えはできていたが頭痛はあった いくらか気分が良さそうだったので、私は、朝食を買いに行きしました。5分ぐらいして戻りましたが落ち着いていました。 9:00 次第に痛みが増してきたように思えた なにやら、うわ言を言うようになりました。このころから、意識がはっきりしなかったり、幻覚を見たりするようになっていました。右手と、左手の大きさがちがうねん。意識も途絶えがちにりました。呼びかけにも直ぐに反応しませんでした。 10:00 2回目の看護婦による問診 激しく苦しみ計算もできない状態に 母親、祖父が来院。看護婦による問診、血圧、瞳孔確認、すでに計算すら出来ない状態に至る。痛みのためもがき、点滴が抜ける、症状は悪化しているように思われましたが、対処は何もありませんでした。看護婦が医師に、痛み止めを飲ませるため処方の確認に行くと病室を出て行きました。容体は確かに悪化しているようでしたが、医師は病室を訪れる事はありませんでした。この後バイタルサインのチェツクは行われておらずカルテにも記載はありません。 11:00 ナースコール 痛みが激しく 意識も途絶えがちである さらに痛みが激しくなり暴れだし、寒がり、母親が私に持ってきた毛布をかけました。意識も途絶えがちで苦しんでいました。看護婦が、異常にきずき、凍り枕を用意し後頭部を冷やし、点滴を一時はずしました。「グリセオール、ソルダム注射液」暖房の入った部屋で寒いといっていました。点滴をはずすという行為は、看護婦の判断で的確だったのでしょうか。この時点で看護婦は血圧を測っていません。 12:00 幻覚を見ているかのようにうわ言を口にする 痛み止めを飲まし、一瞬落ち着いたかのように静かになりました。左手外側に点滴を打ち直しました。 1:00 ナースコール 激しくもがき点滴が抜ける よほど苦しかったのか、暴れ振り乱す手を母親が押さえようとしたとき、一時意識が戻り、何で頭いたいん、しきりに問いかけていました。 1:45 ナースコール 心肺停止 緊急止蘇生により起動を確保 突然、背をそり返し、ピクピクと三回痙攣し目を開けたまま動かなくなりました。私は思わず亜耶の頬を両手で覆って血の気が引いて冷たくなっていくのを感じました。直に看護婦に異常を知らせました。その後、先に別の医師が到着しました。担当医は、白衣も着ずに病室に駆け込んできました。心肺停止、蘇生により気道確保、生命を維持、医師からは、病状が急変した、脳の圧は管理することはできず、測ることは出来ないと弁明を受けました。午前七時以降なにも検査がなされていません。容体をモニターで監視するわけでもなく、看護婦による三回の問診、血圧と、瞳孔の確認のみでした。病状を軽視していたように思うのですが。 その後医師から容態を聴かれ、医師は娘の容態をまったく知りませんでした。容態管理は三時間おきの看護婦による問診のみでした。 長々と申し訳ありません。一人の遺族として失礼致します。