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『不思議の国のアリス』のモチーフは?

『不思議の国のアリス』のモチーフは何でしょう? 一般的にトランプだと思われているようですが、 それはトランプの女王さまが国を仕切っているからでしょうか? たくさんの登場人物がでている中でトランプの人口(?)は そんなに多いように思えないのになぜなのか…よくわかりません。。 『鏡の国のアリス』はアリスの動きを制限するチェスと鏡が モチーフだと納得いくのですが…。 回答お願いいたします。

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回答No.2

『不思議の国のアリス』に特定のモチーフがあり、それがトランプだ、ということ自体が、『鏡の国のアリス』から逆に投影した「思いこみ」であると考えた方が良いように思います。 おっしゃるように『鏡の国のアリス』では、話のプロットに絡む要素として ・チェスの進行 ・マザーグース(ナーサリー・ライム) ・牡蠣 の三つの柱があり、それが話の進行と骨絡みになっています。特にチェスの要素は著者が冒頭に詰めチェスを掲載していることからも顕著なのですが、それゆえに、「『鏡の国のアリス』はチェスがモチーフとなっている。それなら『不思議の国のアリス』にもモチーフはあるはずだ」と考え、『鏡の国』と同じく、ゲームであることから「『不思議の国のアリス』のモチーフはトランプだ」と、俗説として流布されている、それだけのことでしょう。 『鏡の国のアリス』は、必ずしも厳密ではないにせよ、キャロルが作品世界のルールを作った上で話を進行させる、非常に人工的な物語です。 一方、『不思議の国のアリス』は、そのもとになった『地下の国のアリス』が1862年7月4日のボート遊びの際に即興で作られたことからも解るように、アドリブが基本となっています。もしこの作品にモチーフを求めるなら、それは一般的なトランプというようなものでもなく、世界のルールを規定している『鏡の国のアリス』のチェスのようなものでもないでしょう。それは、実在のモデルであるアリス・プレザンス・リデルの身の回りの現実、オクスフォードの生活空間であったと考えた方が良いと思います。 実際には、これらも、作品の「彩り」「楽屋落ち」に過ぎないことから、キャロルは『不思議の国のアリス』に何らモチーフを設定してはいない、というのが妥当な解釈ではないでしょうか。

18htbn27
質問者

お礼

『不思議の国のアリス』=トランプのイメージが強くて、確かにモチーフは何だ!?これか!!??と意識が凝り固まっていたように思います。 おまけに『鏡の国のアリス』のモチーフはチェスと鏡と考えていましたが、鏡のように反転する事柄は『不思議の国のアリス』にも出てくるし、どちらかというと2つの世界全部に関わるナンセンス現象として「鏡」の存在がありますよね。 またもタイトルに書いてあるからこれは『鏡の国のアリス』のモチーフに違いない!と考えてしまっていました…。 目からウロコ状態です。ありがとうございました。 そういえば、ココまで考えて謎が1つ。 どうして鏡の反転のルールはチェスの動きには反映されていないんでしょうね?

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  • zephyrus
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回答No.3

おおよそのところはNo.2のかたのくり返しにすぎないので回答ひかえていました。 G.K.チェスタトンに『ルイス・キャロルと乾いたナンセンス』という短い評論があります。 私にはこの作家の言っていることが一番ぴったり来ます。いわく、(ドッジスンはルイス・キャロルの本名) ◆ドッジスンのナンセンスには、ナンセンスの他何物もないのである。意味なんてこれっぽっちもないのだ。 それは彼の専門分野であった論理数学を、またそれのみを用いたもので、 ◆わけのわからぬイメージやら議論を展開しても、結局はどうにか恰好がついてしまうものだといった呼吸をちゃんと心得ていて、あまりの愚行がかえって人を喰うとか、とりとめもないくせにいつの間にかまとまるとか、全く不適切なものがどうにか決まってしまうという具合にもっていく手際は見事という他ない。 そこが斬新で、すぐれてイギリス的なものであった、 ナンセンスとして独創的な傑作であったとチェスタトンは言っています。 論理は用いてあるが、一貫した学問的な論理なのではなく、 また、お話に何らかの一貫性を求めても、あまり意味があるようにも思えません。 それは人によってはアナーキスト芸術の最高の成果のようにも、 サンボリズム(象徴主義)芸術が目指したメタファーとアナロジーで織りなされるタペストリーのようにも読めてしまうほどのものですが、 実は中身は何もなかった。どんな教訓劇でさえありません。 「アリス」は、そうした意味あるものいっさいのパロディーである、強いて言えばそうなるかと思います。 そして、そこが無類に面白い、と私は思います。 韻文詩であるためか、アリスのように読まれていないものに『スナーク狩り』があります。 まだ手に取られたことがなくご興味があるようなら、ぜひご一読ください。 いま私が述べたことがいっそう明らかとなるかもしれません。もう、いわくありげでいっぱいです(笑) 『スナーク狩り』高橋康也訳、河合祥一郎編 2007年 新書館刊 のものが、訳もよく解説も詳しく、いい一冊と思います。 以上はいわば「文学的」な方向からの管見です。 ところが、『鏡の国のアリス』で赤の女王が言ったせりふは、こんな仮説に役立ったりもしています。 面白いですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/赤の女王仮説 ◆の個所は次から引用しました。 澁澤龍彦文学館 第七巻「諧謔の箱」1991年 筑摩書房刊から。大熊昭信訳。 G.K.チェスタトンはブラウン神父の推理もので著名ですが、多面的で高度な著述家でもありました。 ご参考まで。失礼しました。

18htbn27
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 紹介していただいた評論は知りませんでした。 チェックしたいと思います^^ どんな話でも深読みすることは可能ですが、個人的には「作者の意図は…」と考えても仕方がないと思います。…正直。 作者が考えたことは作者にしか分からないんじゃないかな。 ナンセンス文学に意味を求めるなんてナンセンスじゃ? そう考える私ですので、G.K.チェスタトンの評論はとても楽しんで読めそうです。 スナーク狩りも読んでみます! 原文書は持ってるんですが詩だからと敬遠してました(汗) 赤の女王仮説もおもしろーい! 情報ありがとうございます!

noname#194289
noname#194289
回答No.1

著者は数学的素養が大変高い人だったと聞きました。何か数学的寓意があるのではないでしょうか。

18htbn27
質問者

お礼

かみ合わない話をしてたり意味のわからない現象が起きて面白いなぁと思う背景には 綿密に組み立てられた数学的理論があったりして…これは本当に児童文学の枠に 入っていていいのかとかなり疑問です^^; 論文を読んでも「ははぁなるほど…」と思うばかりで。。 数学的寓意て難しいです…。