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~と《される》、~と《されている》などは?
TVや新聞などで、 ~と《される》、~と《されている》などという表現がなされることが多いのは何故か? キッチリ取材して自信を持って報道すればいいと思えるのだが、ある種の”逃げ”のようにも思える。取材からの逃げ、責任からの逃げ。 (TVはNHKも民放も、使っている)
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質問者が選んだベストアンサー
実際分からないケースも世の中には多いです。取材で全部分かるわけではありません。例えば和歌山の毒入りカレー事件では結局動機が不明でしたよね(警察や検察の力でも)。本人以外不明なのですから断定することは不可能です。(よって推測しかない) 別の理由としては時間ですね。ニュースなどは第一報を伝えることが多く取材が間に合わなかったりします。(火事など第一報ではそうなる、あるいは確認が取れていない場合(誤情報が流れたりすることもままある))
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- Largo_sp
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回答No.1
私は、この表現は、自分はそうは思っていないというときに使います。 だから、放送局も、局自身はそう思っていないのだと理解しています。 決して逃げでなく、そのことは正しくないという主張と受け取っています。
質問者
お礼
ありがとうございました。 「正しくない」という主張ですか。なるほど。
お礼
ありがとうございました。 あと、アンカー・パースン(マン)が白々しく、見て来たような記事を読み上げるシーン、あれ嫌味ですよねェ。まぁ私が観なければいいのですが~