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足を洗う

 馬鹿なことは止めようと思うとき、責めるべきは自分ですか?時が経つと自分から他の何かに変わりませんか?最後に誰も責めることができなくて、ただ運が悪かっただけだと思いませんか?「今度はもっとうまくやるよ」と言うと、なぜか皆、苦笑するのは、やっぱり皆が心のどこかで、馬鹿なことしてるなぁ~、と思ってるからじゃないですか? 「足を洗う」というのは、逆にどうなることを意味するのですか?

みんなの回答

  • sumikyo
  • ベストアンサー率32% (46/141)
回答No.3

>馬鹿なことは止めようと思うとき、責めるべきは自分ですか 自分が止めようと思うときは、責められるは自分であり、他の人であれば、責められるはその当人です。 >最後に誰も責めることができなくて、ただ運が悪かっただけだと思いませんか 自分に能力(責任)がない者は、うまくいかないと、自分は運が悪るかったとか、周りが悪いと他人のせいにする(秋葉原事件みたいに)。 >「今度はもっとうまくやるよ」と言うと、なぜか皆、苦笑するのは、やっぱり皆が心のどこかで、馬鹿なことしてるなぁ~、と思ってるからじゃないですか なぜか皆、苦笑するのは、というのは、過去に何度も失敗する度に、言い訳する人にたいして、また言ってるな、ということになるのでは。 >「足を洗う」というのは、逆にどうなることを意味するのですか? 「足を洗う」というのは何か徹底してやってることから、抜け出すことを意味する訳ですから、当然、生活態度、生活状況が変わるということです。 例えば、ギャンブルから足を洗う、夜の水商売から足を洗う、他にいくらでもありますが。

  • Cobalt_X
  • ベストアンサー率34% (144/419)
回答No.2

40男です。 >馬鹿なことは止めようと思うとき、責めるべきは自分ですか? ご自分が「やったこと・していたこと」に対しては、ご自分に責任があります。 それを「責める」のか「反省する」のか「省みない」のかは、人それぞれです。 多くの場合、責めても仕方の無いことだと思います。過去は変わりませんし何も得ることがないと思います。 反省し、将来に対し前向きになることが良いと思います。 >時が経つと自分から他の何かに変わりませんか? 他の何かには変わりませんよ。 自分は幾ら年を取ろうとも、自分です。 主義・主張・価値観は年齢とともに当然変わります。それでも「あなたという人間」には変わりがないです。 >最後に誰も責めることができなくて、ただ運が悪かっただけだと思いませんか? 当然、運/不運はあります。 ただ、何でもかんでも「運」のせいにするのは自分の人生に対しても、無責任でしょう。 悪かったことを、何かのせいにしなければならないのでしょうか? 何かのせいにしても、現実自分の身に降りかかった事です。 >「今度はもっとうまくやるよ」と言うと、なぜか皆、苦笑するのは、やっぱり皆が心のどこかで、馬鹿なことしてるなぁ~、と思ってるからじゃないですか? どういう状況/あなたの行動が分からないので回答しにくいですが・・・ いつもあなたは、失敗が多いのでしょうか? そしてそれを、何かのせいにしているのでしょうか? そうであれば、そういった所を苦笑されているのかもしれません。 (違っていたらすいません) >「足を洗う」というのは、逆にどうなることを意味するのですか? 一般的には「泥棒から足を洗う」等、何か悪いことを生業としていて、それを廃業する際に使います。 1つ1つの悪いこと・事象には使用しないです。 どうでしょうか?

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

足を洗うためにはそれなりの気持ちの整理だったり、覚悟が大切ですからね。思うだけで現実にまた同じ事をしてしまうようなレベルでは足を洗った事にならない。周りが笑ったのは何処まで貴方がそれを本気でやり切れるのか?という部分だったのかもしれないしね。 本当にその足を洗う気持ちを現実の行動として完遂してこそ意味がありますから☆

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