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酸素魚雷の秘密
酸素魚雷は日本のみが実用化したものですが、その秘密は第二次大戦中秘匿されたでしょうか? ガダルカナル島沖海戦で数発が海岸に乗り上げ、不発のままアメリカ軍に虜獲されたといいますから解体研究の機会はあったはずです。 ドイツ海軍には情報が提供され、研究されたといいますが実用はされなかったようです。 全体として不満の残る構造で取扱いに困難だったという職人技の必要なもののようだった印象がありますが実際はどうだったのでしょうか?
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酸素魚雷は日本のみが実用化したものですが、その秘密は第二次大戦中秘匿されたでしょうか? >確かに酸素魚雷は当時の日本海軍では高度な機密兵器的な存在でしたが、実は酸素を使って魚雷を走らせるというアイディアは元々イギリスが発祥でした。その情報を仕入れた日本海軍が負けじと酸素魚雷の開発を開始したのですが、その頃にはイギリスは燃焼機関に酸素を安定的に送り込むシステムの開発が困難だということで実用化を断念。日本海軍は酸素を段階的に送り込む方法を考案して、当時世界で唯一の酸素魚雷の実用化に成功したということです。 ガダルカナル島沖海戦で数発が海岸に乗り上げ、不発のままアメリカ軍に虜獲されたといいますから解体研究の機会はあったはずです。 >アメリカは確かに開戦当初、はるか遠距離から到達する酸素魚雷の存在に気付かず混乱していたことは事実です。さらにアメリカ海軍は開戦当初の自軍の魚雷の不安定さに苦しんでいました。しかし酸素魚雷の存在を知ったときにはすでに戦争も苛烈さを極めており、酸素魚雷に対抗すべく新たな魚雷の開発に時間を割く余裕もありませんでした。なによりbuchi-dogさんが仰るように、すでに米海軍は水上艦による魚雷攻撃には興味を失っておりました。 さらに戦争後半米海軍の魚雷、特に潜水艦発射型のMk12魚雷が、オーソドックスな旧来の電池モーター動力でありながらその性能と信頼性の向上に成功しており、スペック的には日本側の酸素魚雷にも引けを取らないほどの性能を発揮していました。太平洋戦争を通じてこのMk12魚雷が撃沈した日本艦船の数は、カウントするだけでも胸が痛くなります。 ドイツ海軍には情報が提供され、研究されたといいますが実用はされなかったようです。 >同盟国であったドイツは大西洋での戦いが熾烈を極め始めた頃、得意のウルフパック作戦が次第に効果を失いつつあったこともあって、その劣勢を挽回するためいくつかの誘導魚雷、いわゆるホーミング魚雷を世界で初めて開発実用化しています。目標の水上艦のスクリュー音を追尾したTS魚雷や、発射後水面下をジグザグの航跡を残しながら敵艦を探し当てて命中するFAT魚雷がそれで、このような精密魚雷が存在したのですから、日本の酸素魚雷は参考程度にしかならなかったのではないかと考えられます。 全体として不満の残る構造で取扱いに困難だったという職人技の必要なもののようだった印象がありますが実際はどうだったのでしょうか? >性能的にはそれほど現場で不評だったという記述はあまり眼にした事はありません。おおむね評判は良かったのではないでしょうか。ただもし現実に使い勝手が悪かったものだったとしても、現場ではなんとしても使えるよう整備に心血を注いだはずです。そして手が掛かれば掛かるほど、人はそのことを後年いい思い出として語るでしょうから、あまり悪い評判は出てこないことも考えられます。ともあれ、そのような事情からもあなたの仰るように、「職人技」を持った人々が存在していたのかも知れませんね。ちょっと話はずれますが、太平洋の島々に配属されろくに部品や工具もなかった当時の航空機の整備兵の苦労話を読むにつれ、その忍耐力と適応力に感心するばかりです。 それより駆逐艦や細長い船体に魚雷を満載した重雷装の軽巡の兵士たちは、艦に備えられた「次発装填装置」の扱いに非常な苦労をしたようです。ただ魚雷そのものに関しては、命中の際に魚雷を爆発させる起爆装置(砲弾でいえば信管)が現場でも調節可能な仕組みにしていたことが仇になり、大物の敵艦をなんどか取り逃がしたということです。
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- buchi-dog
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いわゆる「酸素魚雷」というのは、日本の駆逐艦・巡洋艦が積んでいた 「九三式魚雷」のことを指します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B8%E7%B4%A0%E9%AD%9A%E9%9B%B7 水上艦艇の魚雷は、レーダーが存在しない前提での「艦隊夜戦」において最も効果を発揮するものでした。日本海軍では、アメリカに比べて劣勢な海軍力を補うために非常に危険な「艦隊夜戦」の猛訓練を行い、ガダルカナル戦の頃までは米軍の対水上レーダーが未完成であったため、夜戦で「九三式魚雷」を使用して大きな戦果を挙げています。 「艦隊夜戦」というのは、簡単に言うと、日の明かりが残っているうち、あるいは月のある夜に敵を発見し、一個水雷戦隊(巡洋艦1隻+駆逐艦16隻)が、舷側灯などを全くつけずに35ノットの最大速度で敵の艦隊に突撃して、距離1万メートル程度で同時に魚雷を放つものです。この場合、一個水雷戦隊が同時に発射する魚雷数は100本くらいになります。 一方、この時期を境にして米軍の水上レーダーがどんどん進歩し、「日本の艦船を遠距離で捉え、砲撃して初弾が命中する」と言ったことが頻発するようになりました。こうなると、 「日本海軍の切り札であった夜戦と酸素魚雷(長射程・高速・航跡が見えない)はその機会がなくなる。敵艦隊に1万メートルまで接近する前に、レーダーで探知されてしまうから」 「アメリカ海軍は、夜戦に際してはレーダーを使って砲撃をすれば良い。魚雷は要らない」 となります。 魚雷というのは非常に高価で、かつ取り扱いが難しいものです。酸素魚雷は、普通の魚雷以上に取り扱いが難しく、細心の注意をもって扱わないと爆発事故を起こしてしまうものでした。 ※ 魚雷は巡洋艦や駆逐艦に積むものですが、仮に魚雷が一本爆発すれば、全魚雷が誘爆して積んだいた軍艦は「轟沈」します。 仮に第二次大戦で水上レーダーが存在しなければ、アメリカは捕獲した日本の酸素魚雷を研究して、同じようなもの、もっと優れたものを作ったかもしれません。しかし、そのようなことをする必要はもはやなかったのです。 なお、酸素魚雷についていくつか付記しますと、 1) 大東亜戦争の後半になると、使うあてのない多数の「九三式酸素魚雷」が日本海軍の倉庫で眠っていました。これを転用した特攻兵器が「回天」です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%A4%A9 2) 潜水艦用の酸素魚雷も「九五式魚雷」として実用化されていました。しかし、潜水艦という狭くて湿気が多い場所で酸素魚雷をマトモに使うのは困難であり、潜水艦が「九五式酸素魚雷」を使用した例はほとんどないと言われています。日本の潜水艦は「八九式魚雷(空気魚雷)」を使用していました。 第一、潜水艦は目標に1000メートル以内まで肉薄して魚雷を放つのが当然であり、そうしないと命中は期待できませんでした。この場合、酸素魚雷であろうと空気魚雷であろうと差はほとんどありません。敵艦が回避行動をする余地がほとんどなく、酸素魚雷の最大の利点「無航跡」が意味を持たないからです。 なお、アメリカの潜水艦は、比較的低速ながら酸素魚雷と同様に無航跡、かつ取り扱いが楽な「電池魚雷」を主に使い、膨大な数の日本の艦船を撃沈しています。 3) 航空機用の魚雷は、日本もアメリカも空気魚雷でした。 航空機の魚雷は潜水艦同様に敵に肉薄して発射しますので「長射程」は必要ありません。さらに、航空機は魚雷を発射する瞬間を敵に見られているわけですから「無航跡」も必要ありません。
お礼
詳細な情報を有難うございました。 必要のない武器として研究を放棄していたのですか。
お礼
日本が取り組んだ酸素魚雷も根本的な発想が時代遅れとなってしまった経緯をよく理解できました。 TS魚雷やFAT魚雷に興味がありますがWikiではみられませんでした。