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茶入について
こんにちは。美術史を専攻している大学生です。来週学科の演習発表で「お茶器」について担当させていただくことになりました。私自身茶道を経験したこともなく、茶器に関しては一切触れたことがありません。本を借りて調べていますが、わからない箇所がありましたので教えていただければ嬉しく思います。 鎌倉時代に中国から請来された唐物茶入について。 中国から請来された茶器(唐物)が鎌倉時代で使用されたそうですが、文庫本「茶器と懐石」によれば久我肩衝(久我氏のもっている肩衝)は道元が中国に行った際にお土産として購入したものであり、たとえば瀬戸焼の真如堂という茶入も肩衝です。と書かれています。この真如堂肩衝は鎌倉時代に渡来した漢作茶入だったのでしょうか?いくら調べてもなかなか見つかりません。また真如堂肩衝は久我肩衝のなかのひとつなのでしょうか?久我肩衝で調べても見つからず、困っています。 あと室町時代につくも茄子という唐茶入も使用されたそうですが、画集を探していてもなかなか見つからずどの冊子に掲載されているのかがわからないのです。 わかりづらい文章で申し訳ございません。発表で鎌倉時代(室町も)中国から請来された茶器(唐物)について少しでも扱いたいと思ってるので、よろしくお願いします。 では、よろしくお願いします。
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- ocyanomich
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肩衝(かたつき)とは、茶入れの形態のことです。肩の部分が角ばっている、すなわち肩が衝(つ)いていることからの呼称です。 久我も真如堂も肩衝です、ということですね。 久我肩衝(こがかたつき)は、永平寺の開山道元(久我大納言通親の子)が加藤藤四郎を伴い入唐し、安貞元年帰朝の際にこの茶入を持ち帰り久我大納言家に贈ったところからこの名があると伝えられています。 真如堂(しんにょどう)は、日本の瀬戸で焼かれたもので、三代藤四郎景国の作と伝えられています。いわゆる瀬戸金華山で、もと京都の真如堂東陽坊にあったためにこの名があります。 こちらの参考サイトを御覧下さい。