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明治以前の日本国内における外国情報など

私は日本史不勉強で、鎖国中は外国の情報など一部の人が知っていたけれどその情報から当時の生活に何かいかそう等という考えは幕府は持ってなかったように思ってましたが、当時「寺」が徴税台帳のような「過去帳」を作っていたがこれは欧州のやり方を模倣した、と最近知りました。このような、江戸期やそれ以前に(中国、朝鮮は別として)欧州(白人達)の考えや事物がヒントとしてあるいは直接影響のあるものとして国民(って言うのかな?)の間に広くまた狭い範囲で流布したものがあるのでしょうか? また、一体いつの何をもって日本人の白人文化、習慣等との邂逅の最初とするのがよろしいでしょうか? また斯様な疑問を解くための参考書やURLなどご存知でしたらお教えください。宜しくお願いいたします!

みんなの回答

  • m41
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回答No.3

No2さんの日本神話に反応してしまったおらww http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4DAJP_jaJP292JP292&q=%e3%83%a6%e3%83%80%e3%83%a4%e3%81%a8%e6%97%a5%e6%9c%ac 日本神話とユダヤの話 興味深いものが沢山あります どうぞ好きなだけご覧くださいww

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.2

>鎖国中は外国の情報など一部の人が知っていたけれど・・・ 欧米どころが中米産のイモ(甘藷)を、幕府(将軍吉宗)が救荒作物として広めました。  経路:中米→欧州→中国→沖縄(唐芋)→鹿児島→江戸(薩摩芋)→日本全国へ  「さつまいも 青木昆陽」  http://060636.blog24.fc2.com/blog-entry-229.html >また、一体いつの何をもって日本人の白人文化、習慣等との邂逅の最初・・・ たとえば、仏像はギリシャ彫刻が元祖なんですが(笑) 間接的ならいくらでも遡れるのでは? 日本神話も怪しいし・・・

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.1

日本人と西欧人の接触は、戦国時代~安土桃山時代、つまり江戸時代の手前です。ポルトガル人のもたらした鉄砲が戦国時代にもたらされました。十分な財政や進取の精神を持った織田信長が、この鉄砲と常備軍の編成によって全国統一の目途を付け、安土桃山時代へと入っていきます。 安土とは織田信長が統一目前に立てた安土城(滋賀県)から来ています。これも、日本様式と西欧様式をミックスした独特の様式であり、安土桃山文化の一つとされています。 桃山とは京都の伏見にあった桃山城で、織田信長の暗殺後、家臣だった豊臣秀吉が築城したものです。最近まで、桃山城を復元した施設があったんですが、客入りが悪く、不採算のため閉鎖されちゃいました。