• 締切済み

小さい頃は何にだってなれたのに。

とくに深刻に悩んでいるわけではないのですが、 最近、「小さい頃は何にだってなれたのに今は・・」と思うことがよくあります。 たぶん、私が大学4年生で内定も決まった状態だからだと思うのですが、自分の将来が具体的に見えてきたような気がして動揺しているのかもしれません。 小さい頃は、ケーキ屋さん、宇宙飛行士、スポーツ選手・・何にだってなれたのに、今は何だか自分の道が狭まったような気がして寂しいというか、怖いというかなんとも言えない気分です。 内定者の集まりで、女の子が(特に一般職の子が)「結婚して早くやめたい」などと言っていたことにも少し影響されました。結婚なんてまだまだ半人前の私には遠い話だと思っていたから。 そして、私自身が夢をひとつ諦めてしまい、目標を失ってしまったのも大きな原因です。ロースクールに行って司法試験を受けるため、日に10時間以上勉強したりして判定もよかったのですが、一番は経済的なこと、そして女なので2年間勉強した末受からなかったときのことが怖かったこと、今年就職率が良いこと、とりあえず始めた就職活動で人気企業から内定をもらえたこと・・さまざまな理由から諦めてしまいました。 たくさん悩み、いろいろ相談した上で決断したことなのでもう後悔はしていません。ただ、自分の熱意はこんなものだったのか、と失望はしています。いくら勉強していたとはいえ、受からなければ何の意味もなしません。 将来の可能性が減ったと嘆くより、着々と社会の一員になれそうなことを素直に喜べばいいのかもしれません。まだ21歳ですし。ただなんとなく、寂しいような怖いような気持ちになります。 夢が一つ消えて、なんとなく大学に入り、なんとなく就職して・・という道が不安なのかもしれません。 大人のみなさんは、私のように感じた経験はありますか?今どんな夢をもっていますか?将来的な目標(仕事とプライベート両方)はどういうものですか?どのようなモチベーションで日常を過ごしていますか? 結婚すれば家族や子供のため、と思いやすいので、特に未婚の方に聞きたいです。 いかにも若輩者というような質問ですが、何かヒントを得られたらと思います。

みんなの回答

  • jonariba
  • ベストアンサー率12% (2/16)
回答No.14

No.12さんが一番正しくかつ冷静です。 それを真摯に受け止められないあなたは、 No12さんのいうように、次に目をさましたとき 大変な状態でしょう。 下手をすれば、ホームレスです。

  • ubatama76
  • ベストアンサー率14% (35/246)
回答No.13

小さい頃はなんにでもなれる可能性はあるけど 成長するにつれ多くの選択肢を選んでいくことによって 出来ること、出来ないことは切り分けられていきます。 今の貴方の状況は過去の貴方の選択の結果です。 そしてこれからの貴方は今の貴方の選択の結果です。 あの時こうしていればと後悔するのは人の常ですが これからの貴方を決めるのは今の自分ですから 今できることを精一杯やっていくしかないです。

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.12

「小さい頃は何にだってなれた」 ?そのころは何にもなれていませんよ。 なれると思っていた、でしょう。それは子供で 判断を誤っていただけです。 子どもと大人は違います。 大人が「小さい頃は子供料金で電車に乗れたのに」と 言って何の意味がありますか。 「自分の将来が具体的に見えてきたような気が」 いまごろですか。普通は高卒時にだいたい見えますよ。 その時までに人生全体の計画を立てて、 実行するために高卒後の進路を選ぶからです。 「ケーキ屋さん、宇宙飛行士、スポーツ選手」 ケーキ職人になるにはそれ用の学校に入るし 経営にはそれ用の勉強も必要です。宇宙飛行士になるにはそれ系の学部を選びトップクラスの成績で卒業しなければなりません。 スポーツ選手になるなら十代から少なくとも 基礎トレーニングを毎日するものです。 あなたはやるべきタイミングで何もしませんでした。 「今は何だか自分の道が狭まったような気が」 気がしてではなく現実だし遅くとも高卒時にだいたいひとつに 狭まっています。ケーキ屋にも宇宙飛行士にもスポーツ選手にも なれないと学部を選んだ時点で決まっています。 ??卒業間近になって気づいたのですか?? 「結婚なんてまだまだ半人前の私には遠い話だと」 社会的に未熟でも結婚できるケースは多いですよ。 「日に10時間以上勉強したりして判定もよかったのですが」 そのペースで勉強すること自体はできるという申告ですが、 してないですよね。そんな行動力があるなら他の実用的な 勉強をしているはずですが、していない。 それはやろうとしてもできないのです。 「そして女なので2年間勉強した末受からなかったときのことが怖かった」 他の簡単な職につけばよいし、仕事をすべて失敗しても 見合い結婚すればよいので女だからという方向性がありません。 落ちる可能性を中心に考えるなら何も受験しないことになります。 それはつまり受かる見込みがほとんどないという判断であり、 前出のやればできる的な記述と矛盾します。 「今年就職率が良いこと、とりあえず始めた就職活動で人気企業から内定をもらえたこと・・さまざまな理由から諦めて」 そこまでの記述が正しいとしても、選択肢から差し引きプラスが 大きい、得な方を選んでおいて不平を言うのはおかしなことです。 それは欲張りが自分の欲に苦しめられているにすぎません。 「自分の熱意はこんなものだったのか」 そのとおりです。高卒時に決まっています。 「いくら勉強していたとはいえ、受からなければ何の意味もなしません。」 それはベストを尽くしたが失敗した自分を厳しく律する言葉であり、 あなたは受けないことを決め努力をやめたのだから適合しません。 「なんとなく大学に入り、なんとなく就職して・・という道が不安なのかもしれません。」 それは高卒時に進路を考えるときに言うことです。 ようするにあなたは15才ぐらいから人生の決断を 先送りし続けており、期限切れで目が覚めたというわけです。 ちゃんと頭を働かせて現実と向き合わないと 就職してもすぐリストラされてしまいますよ。 次に目が覚めた時はホームレスかもしれません。

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 皆様の回答を読んでだいぶ整理されてきましたが、ここへきて揚げ足とりのような回答だなと思いました。 高卒時・・にこだわっていますが、だからこそ法学部を選択しました。 そのときの志が何らかの理由で変わり、迷うことはあると思います。私以外にも高卒時とは違う選択をする人は世の中にたくさんいると思います。 私もこの質問をしたときは大変視野が狭く、いろいろ型にはめて考えてしまっていましたが、回答者さまの回答は、私以上に凝り固まっているように感じます。 未熟でも結婚できるケースがあるとか、就職を得なほうだとか・・・私の質問に対してこのような回答は何か意味を為しますか。 反論してしまい、失礼しました。私の書き方がいけなかったのかもしれません。 申し訳ありませんが、今回はすれ違ってしまったようです。 また何かありましたらそのときはよろしくお願いします。

回答No.11

なんにだってなれる!,なんていうのはちょっと言葉が足りない... >最近、「小さい頃は何にだってなれたのに今は・・」と思うことがよくあります。 なんにだってなれる“ような気がする”...というのが精確なところでしょう? ね? “仕事”というのは,社会とどのように関わって生きていくか,と置き換えてみてほぼ間違いないです。これはケーキ屋さん,,とか宇宙飛行士とかそういう職種のような,いわば“役割”をも含めた概念です。ケーキ屋さんになってみたところで,一流ホテルのパティシエなのか,街角のしゃれた洋菓子店のオーナーなのか,,ひとくくりにはできないでしょう。社会人になって仕事をする,というのは幼児が口にするようなケーキ屋さんや車掌さん,宇宙飛行士みたいな“役”の名まえを“貰う”のとは訳がちがうのだと思います。 >自分の将来が具体的に見えてきたような気がして動揺しているのかもしれません。 ですから,,これは子供が学芸会でヤリたい役が叶わなかったときのような“気落ち”なのか(そうそう,,学芸会ですらなりたい“役”になれるわけではないのです。なんにでもなれる,なんて言葉はあまりにぞんざいです),仕事=社会と関わって生きて行くことへの漠とした不安感なのか ,,質問者さん自身はどちらだと思いますか? 夢や希望は“あれば”あったほうが良いです。が,なくてもさして困るものではない。ヤリたい役が叶わなくったって,なにも投げ遣りになることはありません。ほかにもあなたが学芸会で活躍できる役,みんなの助けになる役はある訳です。 わたしは「夢や希望の先に“仕事”がある」なんて言い方はあまり好みません。夢や希望は生き方の目標値あるいはセッティングであって,見失わないのが望ましい...なくしたらすぐセットするくらいの割り切りでいい。それに対して“仕事”はあなたの生き方そのものになるわけですから,片時も失うわけにはいかない。。。。。 まぁ同じことを言うにも,いろいろな“ことば”を選ぶことができます。ですがひとの思いや考え自体が“ことば”から作られているのです。迷ったり悩んだりしたときには,自分の“ことば”をじっくり練ってみてください。丁寧に(“ことば”を)選んでみてください。意外とすっきり“腑に落ちることば”が見つかるものですよ。

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 あれだけの文章なのに行間を細かく読みとってくださり、自分でも言い表せなかったことに気づけました。驚きとともに感謝します。 No.2のお礼にも少し書きましたが、「なんにでもなれる」という大げさな表現で何か言いたかったし、わかってほしかったのかなと思いました。それがなんだったのか・・はうまく言い表せませんが、回等者さまの回答も含め、みなさんの言葉で自分の中ではわかりました。 後悔していないとは言いつつも、割り切れず、先も見えず・・で悶々としてしまっていました。今までずっと勉強漬けだったのでこの夏休みはけっこう遊んだのですが、夏休みが終わり現実が戻ってきて、いろいろと考えてしまったのかも。 私はコツコツ計画を立てて行動はできても、性格はそこまで真面目ではないので、たしかにことばはきちんと選んでいませんでした。投げやりな部分もありました。 今回、質問をして、回答を読んで、またお礼をして・・と文章に表しているうちにだいぶすっきりと整頓されてきました。本当に回答者さまの仰るとおりです。 大変参考になる回答をありがとうございました。

  • poi-poi
  • ベストアンサー率31% (115/361)
回答No.10

織田裕二さんがドラマで言ってましたね。「大きくなるに連れて、できま線って線を引いて、自分でできないことを決めてしまう」って。しみじみ、そうだなぁ~と思いました。 子供の頃の夢は、夢というより、自分が知っている職業に対して一番興味があるものになりたいと思います。私は母親の職業を自分の将来の夢だと思っていました。小学生くらいの年齢になると、その職業は「夢」のような遠く難しいものではなくて、そう難しくなくなれる仕事だと気づきました。興味がなくなりました。 中学では英語と映画が大好きだったので翻訳家になりたいと思いました。高校に入り、自分の英語力はたいしたことがないとわかり、翻訳家なんてとんでもない・・・と諦めました。大学に入り、こういう会社に勤めて、海外出張をしたい!と思いました。望む分野の会社に入れたけれど、一般職だったので、何年務めてもお茶組もコピー取りもあります。入社して3年も経つと新しいことを覚えることが殆どなくなり、毎日を漫然と過ごしていました。 ある習い事をしたら、とてもはまり、収入が安定しなくても、好きな仕事をしたほうが楽しいだろうから、仕事を辞めてこの世界にはいろうかな?と思いました。今の仕事は嫌いじゃない、でも誰でもできる仕事。魅力は安定したお給料がもらえる、なじみのある場所。長く続けた分だけ、それなりに信頼もされるようになった・・・どうしたものか?と悩みながら、ある考えに行き着きました。この習い事は一生続けたいから、仕事にしないほうが「安全」だと。仕事にしたらいくら好きなことも辛くなります。嫌いになるかもしれない。お金をもらうっていうのはそういうこと。好きだから、楽しいから・・・だけではできないもの。好きだからこそ、趣味で。その趣味を続けるための収入は安定した仕事で・・・という結論になりました。私は、厳しい道のりよりも、より安全な道を選びました。 そんな状態で、今の旦那様に出会いました。色のない世界にいた感覚だったので、彼と出会った頃は毎日がバラ色で、スキップして街中を歩き、朝は小鳥さんに挨拶したいくらいの高揚感でした。彼の一言一言が映画の中にでもいるような気分にさせられました。が・・・さすがに3ヶ月もすれば、そこまでの感覚は消えました。結婚したらもっと落ち着きました。でも、ちょっとしたときに幸せだなぁ~と、感じ、独身時代の灰色な気分には今のところなっていません。 そして結婚して数ヶ月が経ち、目標ができました「ママになること」です。自分だけではどうにもならないので、病院に行きました。不安的中で、私も旦那様も不妊治療をする必要がありました。そして、今は不妊治療中で、ママになることを毎日夢見ています。私にとってママになることが目標から「夢」になりました。追いかけているときは楽しいけれど、諦めなきゃいけない日がきたときは、絶望を感じると思います。諦めることになれば、私が人生で最初に感じた絶望なのかもしれません。そういうこと避けて生きてきたからです。 辛くても夢を追いかけて「今」を生きることにかける人、リスクは回避し極力安全な道を選ぶ人、その違いです。人が無謀だと思っても、自分の人生は一度きりなので、突き進むのもありですし、一度きりだからこそ、失敗をして将来の自分が苦しむのがイヤであれば、今できることの中から自分がしたいことを選べばいいだけ。 失敗を恐れて安全な生き方をするのは悪いことではないし、その生活の中にも困難なことも楽しみも見つかるはずだし、なによりどんなことも「継続」することが大変なんです。お茶汲みOLでもある程度の収入になったのは、辞めずに続けていたからです。途中で辞めていたら、今のお給料にはなりませんでした。一番大事なことは、諦めたことがあっても「自分が選んだこと」には変わりないという意識を持つことだと思います。「本当だったら、こうだったのに」とか「今頃はこうだったかもしれなのに」と私は思わないようにしています。そちらの世界は、自分が選ばなかった段階で「ない」からです。映画なら、IFの世界を見せてもらえるけれど、現実にそれはありません。 私も高校のときに力不足の自分に気づき、諦めるのではなく、学べば、今頃は翻訳の仕事ができていたかもしれません。でも、選びませんでした。だから、私の将来に翻訳の仕事はありません。でも、40歳になったときに思い立ってまた勉強したとしたら、その先にはその夢があるかもしれません。年齢制限があってできないこと以外は、歳をとってもできます。 xxx11xx1xさまが、諦めた司法試験も、就職してある程度のお金がたまったら、自分の稼いだお金で司法試験浪人をすることもできます。また、収入の高い人と結婚して、主婦をしながら、昼間は勉強して司法試験を目指すということも女性はしやすいです。実際にあった話なのですが、貧乏な家に生まれ、20歳で60歳の方の後妻に入った女性が、旦那様に「先生になりたかった」と夢を語ると「子供ももう家を出た、おまえとの間に子供は作らないつもりだ。家に居てもつまらないだろうから、大学に行きなさい」と結婚してから大学に通わせてくれて、教員採用試験にも受かり教師になれたそうです。そして、教師になってすぐに旦那様が病気でなくなり、彼女は再婚し、教師を続けながら、子供を産み幸せに暮らし、また旦那様に先立たれたそうです。再婚した旦那様は彼女が再婚だったとは知らずに・・・。こんな映画のような話が現実に普通の「中高年のオバサン」と見える人にあったできごとです。 人生は何があるかわかりません。20代後半の既婚者の私にとってはxxx11xx1xさまの年齢であれば、それこそ「なんにだってなれる」ように思えます。40代の方から見たら、私のこともそう見えるかもしれません。でも、xxx11xx1xさまが「やれることを選ぶしかない」と思う年齢だとご自身で決めたなら、それも正しいのです。 何を選んでも後悔なさらないで下さい。個人的にはエドさんのように、40歳過ぎても夢を追いかけられる人間でありたかった・・・と思いますが、私はそんなに強い夢も意志もないので、今の生活を選びましたし、それに後悔はしていません。そして、今の生活を続けたいと努力をしています。試験は自分の努力次第で受かりますが、結婚は相手もあることなので、自分の努力では報われないこともあります。よっぽど不安定なんだな・・・と結婚してからわかりました。

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 回答文自体も非常に参考になりましたが、大変親身に答えてくださり、その気持ちにも心を動かされました。 ドラマは見ていませんでしたが、まさに「できま線」を引きまくっている状態ですね。 具体的に細かく書いてくださったおかげで、今までの悲観てきで、悲しく、怖いという想像とは違い、前向きに自分の将来を読みながら思い描くことができました。 私は経済的な面も原因にありますが、私自身でリスクを回避して、今の選択にいたりました。決断自体に後悔はありませんが、リスクを回避して安全な道を選ぶというのはなんとなく罪悪感がありました。しかし、これも自分の現状や将来を考えて考えて考え抜いた結果です。まだ21ですが、今までの人生で一番悩みぬきました。回答者さまの文章を読んで、やはり後悔すべきことではないんだなと確信することができました。 と同時に、この悩みに悩んだ決断がすべてではないとも気づくことができました。今はこのような決断をしましたし、これから遠回りして目指すにしても自分にはそんな資格ないんじゃないか・・とも言う思いも少しありました。 回答者さまのおかげでそのような複雑な思いを少しずつ整理していくことができそうです。 大変参考になりました。ありがとうございました。

回答No.9

まだ21か そこらの人が何を人生悟ったような事を言ってんですか。 まだまだ何にだってなれますよ! あなたの諦めたという夢もまだ諦める必要はないでしょう? 経済的な理由で断念したので あれば 今は「夢を叶えるチャンス」じゃないですか。 その会社に一生居ないといけないワケじゃないでしょう? #3の人が酷い事を言ってますが あなたは 1日10時間勉強して努力していたんでしょう? (どのくらいの期間か知りませんが) 会社の仕事も 疎かにせずに 司法試験の勉強もして 合格を目指せば良いじゃないですか。 経済的な理由が克服された今は諦める理由がないと思うのですが?

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 とても前向きな回答で励まされました。 チャンスの期間が延びただけ・・と考えるとだいぶ前向きに楽に考えられます。やる気も沸いてきます。 ここのところ、ただ勉強しているだけで意味はあるのか・・と思っていましたが、そのモヤモヤが少し晴れたような思いです。 具体的な計画などは働き出してからしか考えられないと思うので、今は回答者さまが仰るように前向きにただやるだけやっていこうと思います。 大変参考になる回答をありがとうございました。

回答No.8

30代前半女性です。 小さい頃は、情報がないし現実味がないから、「なんだってなれる」気がします。夢は人の心を大きくしますから、非現実な夢を子供の頃に見ることは、よいことだと思います。 大人になると、自分の力で生きていかなくてはなりませんから、夢は具体的な目標へと形を変えていきます。 そして、1つの道を選択したとき、隣に並んでいた99の道を諦めることになります。けれど、「選択」という行為は常にポジティブであり自分の意思で行うものですから、残りの道に進むのをやめた自分を憂う必要はないでしょう。今いる道を中途まで進んでみて、違うと思ったら引き返してまた別の道を選べばいいだけです。 人生って、樹形図みたいなものではないでしょうか。 スタート地点はひとつで、そこに立っていると無限に枝分かれした道が見える。進むにつれて、自分は常にどこかひとつだけの枝を選んでいかねばなりませんから、枝分かれの数も減ってゆくのです。 でも、進めば進むほど、高い空に近づくのだとも思うのです。 選択肢をただ並べて可能性を夢見てとどまっているだけではつまらないですからね。 私の将来の目標は、方向転換の結果選んだ今の業種で、国内(のその業界)で名が知られる程度のところまではいくつもりです。名前で仕事ができるようになれば個人事業主になれますし、そうすればプライベートとの仕分けも自分の都合でできるようになります。 ただ、途中で「やーめた」となったら、また違う道に転換するかもしれません。 プライベートでの夢とか目標はあまりありませんね。 結婚するもよし、しないもよし、自分で自分を食わせていけるだけの甲斐性と経済力をまずつけて、四季を楽しみながら贅沢な日々(金を使う、という意味ではなく、豊かな気持ちや豊かな人脈に囲まれて健康に生きること)を過ごしていければと思っています。

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 読んでから気づきましたが、私がこの質問で一番聞きたかったことだと思いました。こんなことを言っては失礼ですが、10歳しか離れていないのにこんなことが書けるなんて・・と尊敬します。 私も回答者さまのような女性になれるかな、なりたいなと思いました。 全体的に大変わかりやすく、参考になりましたが特に >今いる道を中途まで進んでみて、違うと思ったら引き返してまた別の道を選べばいいだけです。 この部分に励まされました。引き返すこともできるんだなぁ、引き返しても良いんだなぁと。 将来の道のことだけではなく、精神的にももっと成長したいと感じました。 大変参考になる回答をありがとうございました。

  • elenjynt
  • ベストアンサー率4% (17/389)
回答No.7

>女なので2年間勉強した末受からなかったときのことが怖かったこと (今からの年齢で) 司法試験 は 男でも 10年を 目安にしてください。 医師は 大學にはいるのに3年を 目安に その後 6年。 私は医師になるのに 中学から 2年 高校3年 思いを絶やさずにきました。 >自分の熱意はこんなものだったのか。 思いをたやさないことは 若いときだから できたとおもいます。 まだ 4大卒業したて。 32歳の 男の方も 同級生にいました。

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 No.2のお礼に書いたようには考えていますが、金銭的な部分が大きかったのでとりあえず今は断念してしまいました。 新司法試験制度ではローに通わなければならず、受けれる回数も制限されています。医師ほど合格率が高いわけではなく、見切り発車の新司法制度で今後また低くなると思います。金銭的な問題が大きかったのもありますが、一度社会人を経てからというのは今まで以上に壁が高くなりました。 考えてはいるのですが、働いてからの状態(お金や時間)がわからないので、なんとなく思い描くことしか今はできません。 決断したことはしかたのないことですし、後悔はしていませんが、未練たらたらです。金持ちはいいなぁと少し悲観的になっていましたが、やるべきこととできることをやりながらやはり真剣に考えようと思っています。 回答ありがとうございました。

  • usikun
  • ベストアンサー率35% (358/1003)
回答No.6

なりたいと願ったとて必ずなれるものでも無いのですが 幼い時は夢見ることは自由にできたはずです。 年齢を重ねるということは、夢見る自由を捨てるようなものと 30を越えてつくづく思います。 今更、他の職種につくという選択は考えがたいし 仕事だけでなく恋愛でも年齢相応の付き合いをします。 バレンタインデーに放課後意味もなく教室に残った頃を懐かしく 思ってもあの頃には戻れません。 そのような喪失感は「若くない」年齢に達するとどんどん出てくるように思えます。 だからといって現在の僕がダラダラ生きている訳ではありません。 人は現状で出来そうなことにモチベーションを見出して生きていけるものです。 今の会社を自分のノウハウで良くしてそれが周囲に認知されるのが小さいですが仕事上の目標です。 プライベートは男女共にいい友人がいますので割に充実していますが、なかなか恋愛する気分になれないぐらいしか問題はありません。 昔はすぐにポーッとなったのですが、折角友人が飲み会を主催して くれても、楽しく談笑しただけで連絡先の交換もしないので 「やる気ない」とつい先日も叱られたところです。

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 心にスッと入ってくる回答だなぁと感じました。 今みなさんの回答を読んで前向きになりつつありますが、また定期的に同じようなことを思うときがくるのだろうなと思っていました。回答者さまの言葉ですこし救われました。 私が今考えていることは、私自身も時期的なもので時間がすぎれば・・と薄々わかってはいますが、親身に答えてくださったことに感謝します。 モチベーションはいつだって自分で作り出せますよね。 悲しいとか、怖いとかいう気持ちが薄れました。 大変参考になりました、ありがとうございました。

回答No.5

大人になってからだって、何にだってなれますよっ! 大切なのは、夢や目標を持つことより好奇心です。 社会人になってからでも、好奇心があれば仕事漬けの毎日でも新たな発見や出会いがあるものです。そこに新たな夢を見出し、目標にしていくことだって可能です。大人になるにつれ現状に不満があっても、満足しようと思い込む習慣がついてしまいます。地位や名誉や守るべきものができると、現状の満足感と犠牲にするもの大きさを天秤にかけなければいけません。そうなると、なかなか新たな挑戦はしにくくなりますからね・・・。仕事に追われる日々の中で、疲れ果て余裕もなくなるものです。それでも少しの余裕を持ち続けることで、公私ともに楽しく過ごすことができます。気持ちに余裕があれば、新たな発見や転機は無限にあると信じています。これを逃さない為にも、少しの余裕と好奇心を持ち続けて下さいねっ!私は30代半ばの♂ですが、イタリアンシェフから転身し、現在は福祉施設で施設長をしています。それでも小さな頃からの夢である海洋生物学者を目指し勉強中です。もちろん家庭もあり住宅ローンもありますが、人間には「こう生きなければいけない」っと言うルールは存在しません。いつでもどんな時でも、少しの余裕と笑顔を忘れずにですよっ!

xxx11xx1x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても元気がでました。ちょっと考えすぎて余裕がなくなっていた部分も大いにあると思います。 No.2のお礼に書いたように、これからのことも少し考えているのに、具体的になかなか・・・という状態でしたが、勉強しつづけることも、お金を貯めることも少しゆとりを持って考えられるような気がします。 考えてみれば、3年と少しの間勉強したり寝る間も惜しんで動いてきたことは、(今の時点では)司法試験だけのことを考えて全く無駄だったとむなしい気持ちになっていましたが、大きく捉えると全く無駄ではありませんでした。 努力してきたことは間違いなく私の自信になっていますし、だからこそ就職活動でも業界1位の第一志望に内定がもらえたんだと思います。 これからのことも、今はまだ学生ですし、働き出してからも責任があるので、少し気楽に考えて、やるべきことやできることを少しずつやっていこうと思うことができました。 体験談も大変参考になりました。うちの父もサラリーマンから2回ステップアップの転職を経て、大学教授になりました。最初の職業とは全く結びつきませんが、父は父のやりたい仕事ができてといても生き生きとしています。逆に母はずっと専業主婦ですが、いつも明るく家庭を支えてくれて、いなくてはいけない存在です。高校のときの担任も、私たちが受験のときに一緒に受験をして、医師になるために教師をやめて大学にいきました。思えばお手本になる人が私の周りにたくさんいました。 なんだか頭が凝り固まっていたようです。 大変参考になり、元気をもらえました。ありがとうございました。

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