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ぼくは勉強ができない
山田詠美氏の「ぼくは勉強ができない」の「健全な精神」で、締めくくりの意味がわかりません。 長い時間と高等技術とはどういうことなのでしょうか。 お願いします。
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全くの私見ですが 前の章で、"不健全"を推奨,自認する同級生の真理が 爪の手入れをしていますよね? 甘皮を棒で押して爪の面積を広げます。 それを見ている"ぼく"は、自分の爪にまで 痛みが伝わるように感じます。 そして、男に見られるために、そこまでして爪の手入れを する真理に、ちょっと不健全な匂いを感じます。 一方、その"ぼく"は、桃子さんと、ちょっとした嫉妬心から ぎくしゃくしたものを感じていて、そのことで しばらく前から苦しんでいますよね。 男は甘皮を押したからと言って、どうにもならない、 押すべきものが、あるとすれば、長い時間と高等技術が必要だ、と。 つまり、 大好きな桃子さんとの関係を修復、発展させるためには、彼女を理解し受け容れ、 そしてその上、自分も多少積極的に押す"不健全な精神"を持たないとダメで、 それを学習するためには、ある程度、長い時間がかかり、 また、真理が甘皮を棒で押して爪の手入れをするように、 そこには、ある種の"高等技術"も必要だ、と、比喩的にオチを 述べているのだと、思います。 参考までに書いてみました。
お礼
ご回答ありがとうございます! 特に「自分も多少積極的に押す"不健全な精神"」という部分はたいへん参考になりました!