この精神科の医師の言葉について
鬱病治療中4年目の女性です。今は医師から週二回の精神分析的療法の治療を受けています。
分析的療法が始まってから半年がすぎました。以前は月に2、3回の診察でした。
今までのカウンセラーなどに対して抱いたことのない感情を以前からこの医師に対して持っていたのですが、精神療法が始まってからそれがいっそう強くなりました。
陽性転移に近いものだと思います。
生育歴に影響され、人に甘えたことがありません。無条件に愛される感覚も知らずに育ちました。
今、医師とのセッションの中で、相手の反応やどう思われているか(私に対する評価、見解などです。)が気になって仕方ありません。病的かと思うこともあるほどです。
やっと素を出せるようになったのですが、今まで自分をさらけ出したことのない私はそんな自分に戸惑うこともあり、相手が迷惑ではないか、困らせているのではないか、面倒くさい患者だと思われてないか、依存して重たい患者だと思われてないか、などが気になり、言動もストレートじゃなかったり、そしてまた自己嫌悪になることも多いです。
帰り道、そんな自分に嫌気がさして涙が出ることもしょっちゅうあります。
時々、試すような言い方で聞いてみたこともあります。~だと思ってますか?とか、思ってても言えないですよね?とか、やっぱりちょっと歪んだ言い方になりますが。
この間、医師が
「私が○○さんのことを心の中でどう思っているか、ジャッジメントしてるかどうか、などは問題ではない。気にする必要もないし、考える必要も、私の顔色を見る必要もないんですよ。いいじゃないですか、私がどう思っていても。」と言われました。(口調は優しげでした)
気になるなら、ぬいぐるみか、野菜が座ってるとでも思えませんか?ともー。
私はかなりショックを受けました。治療関係といえども、治療者を信頼しているから、その人だからこそ、自分をさらけ出そうと勇気が出るのに、目の前にいるのが誰であれ、その相手が自分のことをどう思ってようがおかまいなく、というのはあまりに淡々としすぎだと思いました。
もちろん、伝えましたが、なんとなくその話は終わってしまいました。
私が医師に転移感情があることは気づいていないと思います。どちらかといえば嫌われてると医師は思っています。(ときどき冗談まじりにそう言うので)
だから私がこんなに医師が私のことをどう思ってるか気になるのがわからないのかもしれないし、もしかすると、批判的な見方をされてたら腹立たしいなんて私が思ってるから、と理解してるのかもしれません。
でもどちらにしてもこの言葉は私にはショックで、やっと開き始めた心に鍵がかかってしまいそうなのです。
精神分析的療法において、医師のいうような心持ちでいることは必要なことなのでしょうか。
もちろん気にしすぎなのは認めますが、
私がどう思おうが関係ないでしょ、という言葉を冷たいと思う私が間違っているのでしょうか。
アドバイスいただけますか?