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東京と地方の不平等均衡について
文芸春秋10月号の記事「零戦型ものづくりが日本を滅ぼす」(堺屋太一さん著)の記事の中で、「戦後の日本は、強烈な地域構造政策を行って来た」との記述があります。これは、戦後の近代化(復興~経済政策)の推進に当っては、産業経済の中枢管理機能などは東京に置き、地方は手足の機能を持たせるのが良かろうと、地域ごとの役割分担を図ってきたという趣旨のようです。情報発信、文化創造についても同じだということです。 例えば、製造業等の場合、地方は生産現場に徹するということで、右肩上がりの時代に工場が地方に進出する時代は、ある程度、東京圏と地方の均衡が保たれていた。しかし、バブル崩壊でそれが頭打ちになる、またレジャー施設の崩壊などもあり、地方が貧困化するのは当然と論じています。 なるほど、分かるような気もしますし、東京への一極集中もこれまで良く聞いてきた話です。ところで、政府が、東京への一極集中を進める施策を展開して来たものとして、具体的にどのようなものがあるのでしょうか。或いは、自然に一極集中するような流れを止める施策を行わなかったということがあるのでしょうか。
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堺屋太一さんは、東京集中は、政府自らが一極集中を進める政策をしてきた結果と主張しますが、これにはややジャーナリスティックな誇張が含まれると思います。 東京一極集中の要因には、経済的要因(いわゆる集中・集積の利益)に加えて政治・行政要因があります。さらに文化的要因(国民性)という見方もありますが。 政治・行政的要因とは、中央集権的な体制の下で、企業は政府の情報を得たり、許認可を受けたりするために本社を東京に立地、あるいは東京に移転することが有利だったということです。ただし、日本政府が東京一極集中を意図したのではなく、結果的にそのように作用したという方が適当でしょう。 このような政治・行政的要因は、1960年代に、日本の経済的地域構造が東京・大阪を2つの中心とする楕円構造から東京中心の単円構造に移行した要因としては無視できないと思われます。堺屋さんの主張は彼自身が当時からされていたことと同じです。 しかし、現在の東京一極集中と地方の疲弊を論じる際に、政治的要因を持ち出すのは、やや的外れではないかと私は思います。 少なくとも過去40年にわたって、政府の基本的な姿勢は東京一極集中是正、均衡ある国土の発展であり、東京の税収を地方に大量に投入してきました。 その政策が公共事業や工業分散に偏り、自然に一極集中する流れを止められなかったという批判であれば、それはもっともではありますが、かといって民間企業を強制的に地方移転させることもできないでしょう。
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- negitoro07
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雑誌は見ていませんが、大筋では堺屋氏の言うことも分かります。しかし、過去の経済成長や経済実態が、本当に公共政策の結果だったのでしょうか? 堺屋さんは博識ですし、彼は元通産官僚なので政策通ではあります。問題は、政策の効果を実証的に検討したのか?という問題です。 地方と首都圏の分業は、本来、民間企業の中でおこなわれたものではなかったのでしょうか? また、現在は、経済における政府の介入が必要性を低下させていると言われ、また規制緩和も行われています。これが十分かどうか、という問題がありますが、仮にそうであるとすれば、今後は地方が躍進する可能性だってありますよね。 そうなると、一体何が問題だったのでしょうか? 可能性の一つは、人材です。 多くの人は、大都市圏の方が雇用があると考え、また専門的あるいは特殊な職業は特にそうだと思っていました。それゆえに、大学に上がる時点から大都市圏に行こうとし、また大学そのものも大都市に立地していましたよね。 しかし、国には地方にも大学を設置する努力をしてきました。つまり、結果とは逆の政策を推進していたことになります。確かに、地方の国立大学は大都市圏よりも規模が小さく、学部も多様ではありません。しかし、それは意図的なものでしょうか?それとも、学生がいないから、そうならざるを得なかったのでしょうか?簡単なようで、実証的に検討するのは、非常に難しい問題だと思います。 そして、もう一つ、疑問なのは製造業が時代遅れなのか?という問題です。たとえば、名古屋圏は都市の規模としては、首都圏にも(沈下気味の)関西にも劣ります。しかし、トヨタなど競争力のある製造業が多く立地し、その分、景気回復時には最も活力がある地方として取り上げられることが多かったのです。サブプライム問題でトヨタも苦しいでしょうが、景気は上下するものであり、名古屋圏が一貫して衰退するとは思えません。 逆に関西はどうでしょうか?いろんな原因があると思います。一つは大企業の本社や機能が、首都圏に移ったことです。しかし、むしろ表面的な本社機能だけに依存しない方がよいという戒めになるかもしれません。というのも、トヨタの本社は今も豊田市にあるからです。また、関西でも京都は中堅クラスの製造業が存在し、彼らも京都から動きません。京セラや村田製作所などが有名な例です。では、何が問題かと言えば、関西では産業のすそ野が狭い点が弱点ではないでしょうか?もちろん、それを解決するには、関西の製造業が弱い理由をもっと調べないといけません。 私は経済学ではないし、地方経済についても詳しくは知りませんので、あくまで推測です。少なくとも、大阪もあれだけ派手な知事がいるんだから、彼の手腕が確かなら持ち直す可能性はあるでしょう。ただし、パフォーマンスは簡単ですが、経済分析と政策実施は素人ではできません。橋本氏は弁護士ですから、弁論は得意でも、本当の政策能力は未知数です。そのまんま東の宮崎とは違い、大阪は大都市なので観光や地元特産品の宣伝だけでは復活しないと思います。
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皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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>大都市圏の方が雇用があると考え、また専門的あるいは特殊な職業は特にそうだと思っていました。 これは、正に、江戸時代から続いている思想ではないかと思います。
- tooma37
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“国がそういう方向に導いてきた”か“自然とそうなるのを国が是正しなかった”かは微妙なニュアンスの問題にもなるので置いておきますが一極集中が進んだ要因は以下のものが考えられます。 ・中集権型の政体 例えば大規模な地方都市が点在しているアメリカは州に強大な権限を持たせた地方分権国家です。 ・官僚主導の行政 いわゆる“大きな政府”で官僚が大きな権力を握るようになると自然、企業は彼らの意向を汲む事にメリットを見出し、中央省庁の近くに本社を置くようになります。 ・インフラの優先的開発 上記の2点と比べると副次的な要素ではありますが、これによってますます東京の一人勝ちは強化されました(特に田中角栄の登場まではその傾向は顕著でした) それと中央省庁などはやたらめったらに分散させればいいというものではありません。
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皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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ありがとうございます。要因として、権限の集中を挙げられていると思いますが、これは世界的に見てありがちな傾向であり、日本がそう進めてきたのか?という視点で見た場合どうなんでしょう。
- edoduki
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東京の地盤を作ったのは明治以前の江戸ですので、徳川家に聞いてみたらよいのではないでしょうか。銀座なんて海を埋め立てて作った訳ですし。 道や土木の基本となる設計は江戸時代に作られ、明治の文明開化からその後の国営工場等の民営化で巨大財閥ができあがり、一度米国の焼き払いがありながらも、大まかな基本設計は当然残るわけで、そこに戦後の都市再生、戦後復興として現東京ができあがると同時に利権構造もできあがる ってなものでしょう。
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皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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江戸時代まで遡ることには、大いに同意したいです。参勤交代による大名の江戸常駐で、地方から中央に富も移動したようですし、奉公等による人口移動もあったと聞いております。おっしゃる通り、現代まで引き継がれているような気がします。
- a3453a
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堺屋さんの言うとおりだと思いますね 東京集中の理由は全機能が東京に集中した(させた) からですね 国会、財務省、全省庁、司法(最高裁判所)、皇居、防衛、マスコミ ぜんぶが東京にあるので、東京へ行かないと仕事が進みません 今後は中央組織の各地方への分散こそが必須です それをやらなければ絶対に地方は活性化しません 例えば財務省が東京に有る限り、地方の人は東京を 向いていなければ、予算(税金)がやってきません 財務省は大阪 皇居は京都 国会は(国体みたいに)全県で回り持ち 司法は名古屋 防衛は札幌と福岡 教育関係は仙台 国土交通省は新潟 一昔前の話で 天皇陛下が行幸した地域は「天皇道路」ができて、景気も良くなる 国体を開いた県はしばらくは景気がいいし活気が出る 組織分散すると 各組織間で、連絡をとるのに不便になるのは 承知の上なのですが、これほどまでも東京と地方の 格差が出てきている現状では、東京へ全機関を 集中すべきではありません そして 地方の側も、中核都市の体力を増強しなければなりません そのためには(残念なことですが)過疎集落へはあまり補助せずに 中核都市へ移住してもらい、選択と集中による住みやすく、便利で 体力のある状況へと変貌していくべきと思います
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皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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御回答ありがとうございます。 >東京集中の理由は全機能が東京に集中した(させた) >からですね この根拠を知りたくて質問を致しました。他の御回答では、歴史的な流れや、経済的要因により 「自然と集中したのではないか」との主旨で述べられております。 他国と比較しても、日本は集中した或いは、地方との役割分担を図ったと言えるものなのでしょうか。
- papabeatles
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道路や鉄道等のインフラでしょう。それと関係省庁が東京にあるのだから東京にいたほうが何かと便利なのではありませんか。 大企業の本社が自然に集まるとその大企業と取引のある企業が自然と集まってきます。
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皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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ANo.1、ANo.2のご回答、ありがとうございます。 そうなんですよ。。。頂いた回答から、東京一極集中化は自然のことと読み取りましたが、私も、何も、日本(政府)がそれを推進したとは思えないのです。堺屋さんが、「国がそういう方向に導いてきた」と言っているので、本当にそうなのかなと思って質問したわけですが、如何でしょうか??
- cosmos-kt
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難しい・・・難しすぎますね。企業が、大消費地での販売などを強化するために、東京圏のバブルが拡大し、商業地が世界一高い・・それも、東京都だけの土地で、アメリカ合衆国が買えてしまうというとんでもないことになった。それに歯止めを懸けたとたんにバブルがはじけて・・・なけなしの財産を奪われた人たちが怒った。・・・とんでもない、詐欺商法まで流行った。 東京への一極集中はある意味で、企業側の論理であり、行政側としてはむしろ地方分権を推進してきたというのが正直なところ。 産業活動などにおいて、物・人・金の時代から、トフラーなどが提唱していたように、情報が大きなファクターを占める様になってきた。それが故、東京へ情報が集まる仕掛けを作った。よく考えてみれば分かるのだけれども、情報を発信するためには、情報を集めなければならないという原則が成り立つ。 それがため、東京一極集中という批判が生まれた。そして、それがブランドの源泉になっているという事実も必要かも知れない。
お礼
皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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皆様、御回答ありがとうございました。皆様の意見から総じて、堺屋さんの主張は根拠が薄いのかなと思っています。
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>堺屋さんの主張は彼自身が当時からされていたことと同じです。 これについては、「通産官僚時代、既に主張していた」ということでしょうか? >少なくとも過去40年にわたって、政府の基本的な姿勢は東京一極集中是正、均衡ある国土の発展であり、東京の税収を地方に大量に投入してきました。 >その政策が公共事業や工業分散に偏り、自然に一極集中する流れを止められなかったという批判であれば、それはもっともではありますが、かといって民間企業を強制的に地方移転させることもできないでしょう。 高度経済成長時代、世界に羽ばたくために、生産現場の確保や人材の確保が首都圏(に近い地域)では追いつかず、空き地である地方を、当然の如く活用したと思いますので、堺屋さんの主張には疑問符がつくところです。