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佐世保に引き揚げて来た人々の印象
太平洋戦争後に大陸から佐世保に引き揚げて来た人々の佐世保の印象はどのようなものだったのでしょうか?
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子供のころのピアノの先生と、小学校の代用教員(定年退職者の臨時雇用)から聞いた話です。 ピアノの先生 中国戦線を転戦しのち中国から帰還して佐世保港へ着。 「これが日本か」と思ったそうです。 ひったくりや詐欺にあってピアノの先生が奥さんと無事再開したときは、 文字通り身ぐるみはがされて、無一文になってしまったそうです。 誇りを持って戦い抜いて帰ってみたら、軍人は犬畜生だから なにしたって構いやしないといった風潮があって、かなり集中的に 略奪を受けたそうです。敗戦の原因がお前達軍人が悪い、敗戦もそうだが、 日本がこんなすさんだ国になったのは全部軍人のせいだと、 帰還兵へ目の敵にされたそうです。 ピアノの先生はそれ以来、日本人が一番世界中で大っ嫌いな民族だと いい続けていました。 代用教員 中国で敗戦を迎え、佐世保についてすぐに略奪にあったそうです。 中国人や朝鮮人が我が物顔で略奪の限りを尽くし、日本人の一部の不良が、 彼らの手下となって同じように悪さしているのを見て、怒り爆発して、 殴りまくって相手の意識を失わしたそうです。 ほんとの話かどうか実に疑わしいのですが、当時は混乱していたので、 チンピラの一人や二人どうなろうが、騒ぎにもならなかったそうです。 それぐらい混沌としていて、日本であって日本でないといってました。 なによりも中国人や朝鮮人が我が物顔に日本人に略奪を働いて鬱憤ばらししているさまが許せなかったといってました。 彼らのために戦争していたのに、負けて帰ってきたらやりたい放題しているのが、 ゆるせなかったといってました。 こんな回答でよろしいでしょうか?