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昔の人々は娯楽目的で海外へ渡ることは有ったのでしょうか?
昔の人々は娯楽目的で海外へ渡ることは有ったのでしょうか? 唐へ渡った留学生や留学僧、医師や細工師 また、輸出入の為の貿易船や遣唐使船の話は聞きますが 海外旅行をした貴族等は全く聞いたことがありません。 当時の航海技術や製作費用など 金銭的にも技術的にも無理だったんだろうな、とは思うのですが 知り合いや先生に聞いてもハッキリとした回答は得られませんでした。 「昔の人々」というと 漠然としていて申し訳無いのですが… 江戸以前を基準に考えています ズバリ 娯楽目的で海外へ渡ることは有ったのか? 無かったのならば、その理由は? 少ない情報でも構いませんので 是非 回答をお願いしますm(_ _)m
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使節や、交易や、学問、芸術、武術、宗教などの修行以外の目的で海外渡った人はない、すくなくとも記録が残っている人はないでしょう。 勿論海外渡航が命がけであったのが主因ですが、 名所や観光など娯楽旅行のための情報が、海外に関しては殆ど入って来なかったのも原因のひとつです。 一方国内の名所や観光地や温泉などの情報は、都などにはあふれていました。 貴人が国司に任命され、赴任する旅の途中にあるこれらに寄り、帰任後皆に伝えていました。 西行法師の歌詠み旅行も修行より観光です。 でも大変な娯楽旅行でした。 国内の名所をめぐるだけで手一杯でしょう。 貴人の海外渡航としては、皇位争いに敗れた高階親王が仏教修行のため、天竺(インド)をめざした航海があります。
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- ecoshopQ
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ジョン万次郎が有名ですが、手元にある本によると、 江戸時代に長崎からオランダ人に紛れてシナに渡った 工藤忠兵衛という人があったようです。この男はオラ ンダの航海術と砲術を熱心に学びインドに渡ったこと まではオランダの文献に出ているそうですが、その後 の消息は分かっていません。この人の場合、自分が オランダ人から聞いた異国に対する興味で外に出たの でしょう。
お礼
工藤忠兵衛…初めて知りました 記録には無くても、他国の船にこっそり乗った人は居てもおかしくないですね。 回答ありがとうございます!
- nebnab
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日本に限って言います。 少なくとも、戦国時代にヨーロッパの船が来るまでは、海外への渡航は技術的に命懸けだったことでしょう。 そんな時代に単なる娯楽で海外にいった人はいないと思われます。 日本人が娯楽の目的だけで海外に行き始めたのは、1964年の海外旅行自由化以降だと思います。 明治以降、それ以前に外国を「観光」した日本人はいたでしょうが、少なくとも仕事や勉強が付随していたはずです。
お礼
やはり単なる娯楽での渡航は考えにくいのですね… 通訳が観光をしていた話は聞いた事があります。 海外旅行自由化…というと それ以前は許可が必要だったのでしょうか? 回答ありがとうございます。
- cse_ri2
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日本に限って言えば、娯楽で旅行という考えや行動が出てきたのは、平和になった江戸時代からです。 それ以前の時代は、そもそもそういう発想がありませんでした。 戦国時代や江戸時代の初めは、大名でさえメシにおかずがほとんどなかった時代です。 豊臣秀吉は権力者になってから派手な遊びを何度かしましたが、それも自分の勢力圏内、もしくは大勢の軍隊を連れてのことです。 また、それ以前にそういう行動をする人がほとんどいなかったから、有名になりました。 皆、食べるだけで必死な時代。 自らの領土の外にでれば、大勢の家臣に守られなければ身の安全すら保てない時代。 国内は言わずもがな、日本の外に出ればさらにひどい。 そういう時代に、物見遊山の旅はほとんどなかったでしょう。
お礼
技術や経済的な問題より そもそも前例、というか発想が無かったのですね。 確かに下克上の時代、権力者が自分の勢力圏外へ無防備な状態で行くのは自殺行為だと思います。 かと言って大勢の護衛と共に行動していたら、観光どころでは無いですね。 回答ありがとうございます!
お礼
なるほど… 情報が入って来なければ、海外旅行の発想が浮かばないのも当然ですね。 国内であれば旅行は行われていた様ですが そう気軽に出来るような物ではないみたいですね。 回答ありがとうございます。