※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死との向き合い方)
死との向き合い方
このQ&Aのポイント
死との向き合い方についての考え方とは?
若い人が感じる死の恐怖と向き合う方法
生きている以上、死の恐怖を感じることは必然
私のような若い人間(大学生)が言うのも変な話かもしれませんが、時折「死」というものが非常に自らに迫ってくる時があります。
特段、病気を患っていたり、生命の危機的状況に現段階でいるわけではありません
しかしながら、夜寝る時や夕方下校途中など、ふと人生について考えてみると、急に何とも言いがたい恐怖感に襲われてしまいます。換言すれば、「死」という絶対的なものの前での人間(自分)の無力さを痛感してしまうのです
こうなると寝れなくなってしまったりしまい、「死の恐怖」を忘れようとするかの如く、漫画やテレビ、いわゆる娯楽に逃げこんでしまいます。
「現実逃避」「逃げ口上」と言われるかもしれません。実際、それを完全に否むことは出来ないです。
ただ上述のような恐怖を感じたりするといったことは紛れもない事実です
生きている以上、「死の恐怖」を感じるのは必然だと思っています。故に「死の恐怖」を完全に払拭することは不可能であるということも重々承知の上です。
私はただこの恐怖との、いわば付き合い方を知りたいのです
もちろん絶対的な答えはないでしょう、ただ皆様のお考えを参考にしたいと思っています
自分の考えを思いつくままに書いていますので、駄文かつ長文となってしまいましたが、みなさまに回答していただければ幸いです。
お礼
回答ありがとうございました 一纏めで申し訳ないですが、回答していただいた皆様には本当に感謝しております 皆様の意見・勧められている本等はしっかり参考にしたいと思っています WOPRさん> 様々な意見の中でも一番目を引いたのでお礼を書かせていただきます おっしゃるとおり、(語弊がありますが)人生を存在にしている時に「死」というものを痛感します 思うに、これはある意味では警告のような気が今ではしています 人生を無駄にしてはいけないという潜在的な何か(体・心・本能?)からの警告こそが「死」の恐怖を我々に感じさせることで一生懸命生きろということを伝えようとしているのかもしれません 以前、ある方が「死ぬのが怖ければ、そのことを忘れるくらい働けば良い」と言っているのを聞きました 必ずしも「働く」ことである必要はないですが、一生懸命何かに打ち込んだりして、一生懸命日々生きて、人生を謳歌しろという意味で私は納得しています 未だに「死の恐怖」は自らの内に存在します これとの最善の付き合い方は、「この存在に気付かなくなるくらい人生を懸命に生きる」ことだとじわじわと実感している次第です。