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悪魔は人を愛せますか?
悪魔は自身以外の他者を愛しますか? そもそも自身は愛しているのですか?
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悪魔を 物語の中で話をするとすればですが。 われわれ人間は 悪魔にそそのかされますが 飽くまで(しゃれではありません) われわれの意志で そのそそのかされた行為を行ないます。そうしたいと思い そうしようと決めて 悪魔の指し示した行為に踏み出します。 そして 一度は 決定的に われわれ人間は 一人残らず その悪魔の誘惑の起源となるような誘いに乗ったことがあると考えられます。例外なく そういう前科を持つと考えます。 ところで――この物語という前提をおいた限りでですが―― 神は 悪魔の起源的な誘惑から派生するかのようなさまざまな誘惑に対して 耐えた人びと(善人)にも 耐えなかった人びと(悪人)にも ひとしく雨を降らせるという言い方があります。 そうだとすれば 悪人に対しても 日が 等しく 昇るということは 善人が その善の徳を さらに固めていくようにという伝言の役割があると考えられます。 だとすれば 悪人をも善人をも 誘惑する悪魔は 大きく 神の配剤であると考えられます。悪魔は 神に仕えているという物語です。 悪魔じしんは 自分をも人をも愛していないでしょう。 もっぱら すべてを否定する役割を担います。善をも ひょっとすると 悪事をも 否定するというささやきです。心地よいように 天使を装って 大いなるニヒリスムをささやくのではないでしょうか。
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No.3です。その結論は ★ 悪魔は自身以外の他者を愛しますか? ☆☆ 《愛する》という意志や行為ではないと考えます。 ★ そもそも自身は愛しているのですか? ☆☆ 愛するという意志もなければ その行為として存在するものではない。 ☆ でした。そのように 同じく今も 考えます。ただし 少し微妙にちがった見方もあるかと思い直しました。述べます。 〔ふたたび 断り書きですが すべては おとぎ話です。その中での物語に属します。その前提で お願いします〕。 悪魔は 死そのものです。死という・あたかも意志です。すべてを否定する精神です。人間にとっては 死の制作者です。死んでもいいから これを得たい・あれを行ないたいということが 人間には あるようです。その葛藤の様子から 悪魔という擬人化した存在を表現に用いたと思われます。 悪魔は 死そのものです。死が固まり 死が死ななくなったものです。ちなみに 人間は 自分の本意に逆らって あたかもその結果 死の状態に陥ることを経験するのですが この死は 我れに還り 自己を取り戻すことによって 死ぬと言われます。死が死ぬ つまり 生に還るということです。ですが 悪魔は 死が死ななくなった状態の存在です。(これを 第二の死という場合があります)。 ところが 或るひとりの人は 悪魔のその死そのものの真っただ中にまで おもむいたということが起こりました。悪魔自身は それを為し得ませんでした。死が死ななくなった死そのものの内面へとは よう行かなかったのです。どうしても 入っていくことが出来ません。たぶん そうすると 自己が消滅するというおそれを抱くのではないでしょうか。悪魔が です。 だとすれば 悪魔は 自己を愛しているかのように振る舞っていると言おうと思えば言えるかも知れません。これが 補足です。 悪魔は その或る人が死の内奥にまで 死の奥の奥にまで 入って来たとき 自身は その死の淵にまでも 行けませんでした。それだけは 恐いということなのでしょう。だから そのようにした或る人に対しては もう頭が上がらなくなったという物語です。 人間にとっても それまで刺さっていた・死の棘が 抜かれた。悪魔なる死の棘が 鈍ってしまったという物語です。 わたしは この悪魔の話が 好きではありません。哲学の徒として 経験思想において 表現したいと思います。ただ その力が まだ 及びません。おとぎ話のほうが 分かりやすいのだと思います。 ただし 百科事典をつくって その中から 抜き出して来て 引用をすれば それで 分かったと思うような錯乱ではないと思います。悪魔の物語は です。
- mmky
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悪魔は自身以外の他者を愛しますか? そもそも自身は愛しているのですか? 現在は地獄の人口も増え続けていますね。地獄にいる人は皆、自分自身は愛してますよ。地獄の帝王サタンも2番手のベルゼベフやパピアスマーラも自分自身が一番えらいと思ってますしね。地獄の一般市民で一番多いのが自分自身を愛しすぎて他人を考えない人ですね。嫉妬・疑い・うそつき・泥棒・快楽などいろいろですが自分さえ良ければという人々ですね。それらをまとめてグループを作ってるのが地獄の獄卒ですね。ヤクザの親分てとこですね。地獄での立場は学歴や地位や名誉には無関係ですけど唯物論の学者や間違った宗教家や思想家は多くの人を地獄に連れてくるので悪魔と呼ばれてますね。これもいっぱいいますね。ニーチェやマルクスも20世紀の地獄界のヒーロですね。ヒーロが死ぬと地獄の新聞社から号外がでますよ。笑えますがね。 というように他人を愛さなかった人の集まりが地獄ですが、一番の理由は仏神を愛せなかった人や前向きに仏神に嫉妬した連中が作った世界が地獄なんですね。天国に入る簡単な条件は仏神を愛することですね。仏神を愛することが回りまわって自分自身や他人を愛すること大切にすることにつながるんですね。
- magga
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「悪魔」の解釈 ・煩悩を引き起こすものまたは煩悩そのもの ・煩悩に多く焼かれて理性を多く失っている人 理性を失い煩悩に基づいて行動している人は、自分にも他人にもためにならないことを容易に、そのときは良いと思ってやってしまいますね。 「愛」の解釈 ・煩悩により執着する心 ・慈悲喜捨の心 そのような人は、自己を煩悩により執着により愛することはできても慈悲喜捨によって愛することはかなわず、他者にも同じでしょうね。 しかし、悪魔と称される人も「正しい見解に基づいて煩悩を絶ち、理性を増せば」慈悲喜捨の心で理性的に自他の役に立つように出来る人間になることも出来るでしょう。 人のことをあまりいえないような我々無知な生命は、悪魔の部分・煩悩・無知を持っていますね。だから我々も、正しい見解に基づいて煩悩を絶ち、理性を増し(八正道)、慈悲喜捨の心で理性的に自他の役に立つように出来る人間になる様に精進することが必要になるでしょう。 「現代人のための瞑想法」サンガ出版「仏法」をオススメしますw ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
お礼
>「愛」の解釈 >・煩悩により執着する心 ここが気になりました。 愛とは執着ではないと思っていたからです。 西洋思想と東洋思想の違いでしょうか。
- harepanda
- ベストアンサー率30% (760/2474)
デーモン小暮は、自分の子供に対して、「かわいいじゃん」と発言しています。
お礼
なんだかうれしい話ですね。
- negitoro07
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悪魔って、実在するんでしょうか? 人間にとって重要なのは、どこまでが自分の仲間か、敵なのか? あるいは、人間関係を利害ととらえるか、運命共同体をとらえるか? という問題だと思います。 ちなみに、悪魔みたいな人間でも、家族や愛人がいたりします。 ヒトラーや北朝鮮の金親子だってそうですよね。 もちろん、愛人をとっかえひっかえする人もいますが。。。
お礼
悪魔は実在すると思いますが形の問題ではありません。人の形ではありません。 あなたはとても幸せな人生を送ってきたのですね。
- honn1mono1
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それは無理です。それが悪魔です。 人を愛する悪魔は悪魔とはいいません。 悪魔は人の苦しみや悲しみを喜びとする神と相対するものです。 悪魔は人の苦しみを喜びとして、人の辛さを糧とします。 天使と反対の心の持ち主です。それが悪魔ですね。 悪魔はこの世に必要のないものです。 そもそも悪魔は自分を愛するといいますか、愛はもってないです。 持っているのは憎しみや憎悪、悪の力などなどです。 悪魔は人を愛せません。それが悪魔だからです。 人を愛した時点で悪魔ではなくなります。 よって悪魔が人を愛することは有り得ません。 悪魔は自身を愛することもなく他者を愛することはないです。 それが悪魔だからです。
お礼
次点をつけさせていただくはずが操作に失敗しました。 申し訳ないです。 安心しました。
- cliomaxi
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悪魔にそう言う概念はありません。
お礼
ありがとうございます 論拠をすこしでも示してくださるとみなさん喜ぶと思います
お礼
ありがとうございます。 物語という断り書きをくださったのは私に気を使ってくださったのですね? 私は物語と現実という区別は無意味だと思っています。 物語は現実(というものがあるとしたら)から生まれてくるものであり、なんらかの形で現実を語るものということから出られないように思うからです。