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キリスト教にとっての人類に対する絶対性はなぜそれほど大事なのか
かつて、ジョルダーノ・ブルーノは、地球外知的生命の存在を唱え、異端として火あぶりになりましたが、なぜこれほどまでにキリスト教会というのは「人間の絶対性」を主張する必要があるのでしょうか?また仏教的には地球外知的生命はOKなのでしょうか?
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>なぜこれほどまでにキリスト教会というのは「人間の絶対性」を主張する必要があるのでしょうか? 人間の絶対性じゃなく、神の絶対性を主張したわけです。 神を絶対だとして、その神を絶対だとする集団のトップが教皇ですから、結局 教皇の言うことは神の言うことだから、神を絶対 すなわち 人間である教皇の判断を絶対だと信じてもらわないと、人々を支配できなくなるので困るわけです。 では一曲。 (臼猫ファンタジー風) 「パパさん♪ 宇宙は6000年ほど前に神が創ったって本当ですか?♪」 『本当だにゃ わしが言うことは神のいうことだにゃ 間違いないにゃ」♪』 「パパさん ♪ 恐竜の骨が出てきました!♪ 一億年以上前のものだとされています♪」 『そんなわけ無いにゃ 宇宙は6千年前に神が創ったにゃ 悪魔が信者を惑わすために細工したにゃ』 「パパさん でも 放射能測定法では1億年以上前とされとりますが? w」 『・・・・ とりあえず最後のwはやめるにゃ ダブリュ ダブリュ ダブリュ!』 『リンクさせて戻ってくるな馬鹿神父。 リンクさせたら そこでしねー』 『ワイロ足らなくなって大ピンチ さっさと募金あつめやがれ~』 『裏金使ってやったのにその態度。そろそろねむたく なってきたぁ にゃん!』 <台詞> 「やっぱりパパさまがいると安心できますね ^^」 『そんなこと無いですにゃ 信者全員の力ですにゃ これからも信者さんたちのために一生懸命働きますにゃ』 <再び歌> 「パパさん 説教ヨロ」 『【最低50万】【いたわる】』 「パパさん 地方講演お願いします」 『そんな地味なとこで、サブリミナル使いたくないにゃ』 『くらえ 聖水ホーリー ばにっしゅ~~!』 キリスト教はローマ皇帝を取り込んで、、というより皇帝がキリスト教を利用して、人民を統率したわけです。 人間を超える者の存在を打ち出すことで、人々をそっちにひきつけたわけですね。 で、教皇と皇帝は対等だったが、人々を操ることができるのは教皇の方だったので、皇帝は教皇を恐れてうまくつきあってきた。 で、宗教に関しては口出しができなかったようで、例えば フランスを救ったジャンヌ・ダルクは都合が悪くなった時、魔女として処刑されたが、政治的支配者は口出しできなかった。 ヨハネ・パウロ2世は、歴代の教皇とは違い、御殿にこもっていないで、活発に活動したようです。 例えば、ユダヤ人は神を殺したという風潮に遺憾の意を示しました。 それによって大量のユダヤ人が虐殺されたことまでは言及しなかったようですが。 他にはそのジョルダーーノ・ブルーノの名誉も、ジャンヌ・ダルクの名誉も回復させたらしいです。 そういう異例のことをやったので、結構内部で敵作ってしまったみたいです。 中世の聖職者の腐敗の後始末を少しやったってことですね。 仏教は、キリスト教のようなこの世を作った神というものが無いんじゃないか と。 地球外生命体とかそういう妄想の世界の産物を利用せず、人間の知覚で捉えることができるものをもって、いかに流されずに生きるか を説いた哲学的な思想だと思います。 ここが大きく違うところ。 キリスト教は人間の知覚では捕らえられないものの存在を打ち出し、近くできないものに頼って生きろと説いた。 仏教は人間の認識で可能な範疇で、十分安楽になれると説いた。
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- mmky
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「なぜこれほどまでにキリスト教会というのは「人間の絶対性」を主張する必要があるのでしょうか?」 いい質問ですね。 キリストという意味は救世主という意味ですね。ユダヤ教では救世主と言われるのはモーゼですね。ユダヤ教はとても偏狭です。ユダヤ教以外は異端ですね。ユダヤ教の神はたたり神ですしね。さてキリスト教会の見えない世界の先にあるのが誰かで教会の性質が決まりますが、疑問が出るように「愛の神、イエス」ではなさそうですね。あーめん・そーめんの先の神はユダヤ教ですね。だから偏狭なんですね。 「愛の神、イエス」は白鳥座から地球にこられた大霊ですから、つまり自身が宇宙人ですので「人間の絶対性」など説くはずがありません。次回の降臨では宇宙人との隣人愛を説くそうですから、再びキリスト教会に迫害されそうですね。 「また仏教的には地球外知的生命はOKなのでしょうか?」 これもいい質問ですね。 釈尊晩年の霊鷲山での説法を聞きにはるか遠くの国からきたというのがあります。法華経では意味不明ですが、はるか遠くの国というのは他の惑星から釈尊の説法を聞きにきたというのが本当のところですね。釈尊の魂は他の惑星の魂の親でもあるということですね。だから地球外知的生命も問題ないんですね。 仏陀もイエスもおおらかでもっと偉大ですね。偏狭な教えはありません。
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イエスが絶対神的存在ではなく、教義でゆがめられたものだということらしいですね。本当の始祖がそんなに狭量であるはずがないと思ってたところです。集団的組織というのはどうもろくなことをしません。仏教的にはもっとおおらかさがありいいですね。
- magga
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<<仏教的には地球外知的生命はOKなのでしょうか?>> OKですね(パーリ語の仏典的には)wもし我々の知っていない生命がいても我々と同じ生命ですから。特に問題の起きようがないです。その生命を差別することは無知なこととされます。 違いはあれど同じ生命ですからね。 いろいろな生命の次元があり、この今我々が生きている次元にも多くの生命を育むような場所が有るともいってます。 しかしそれに「絶対で信じなければいけないんだ。」とは言わないです。 各々の理性を持って持つ見解があり、解らないことは解らないこととし、その範囲できちんと物事を観ることを勧め、「より理性的に物事を観れるようにするにはこうしてみたら良いよ。」と言うスタンスなのでw 前提を守るものと、実際どうなんだと、柔軟に理性的に確かめていくものの違いでしょうかね。
お礼
そうですか。仏教では、考えられること手の届くことしか考慮に値せず、しかし、その先にあるものを否定するわけではないという、もっとも実践的で節度の取れたしそうだと感じます。
キリスト教は神は一人だけで、神は自分に似た存在として人間を作った。とあり人間は特別なものとされています。 地球外知的生命=人間でない知的生命 人間でない知的生命=他に神がいた(絶対神が揺らぐ?) 人間でない知的生命=人間は神に似た存在ではなかった(人間は脇役?) 神は一人だけで、その神に作られた特別な存在である(神に似ている)キリスト教徒は絶対正義。 他の宗教を信仰するものにはなにをしても良い。 っとまぁ、キリスト教会が自らの力を誇示するために「人間の絶対性」は必要だった。 私から言わせればキリスト教は一種の集団催眠です。 仏教的は多神教のため地球外知的生命はOKだと思います。(私は仏教徒の権威ではないので絶対とは言いませんが)
お礼
そうですね。よくわかりました。キリスト教的な「絶対神」というのが、ずいぶんと犠牲を払わされたものだと思います。宗教戦争や迫害その他ありますね。
- cable1037
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クリスチャンではありませんが 聖書は読みます 人類に対する絶対性は神が決めたことだからです 非クリスチャンの勝手な解釈ですが 聖書の初めは、絶対神がこの世界を創り そして人間を、この世界を治めさせるために自分(絶対神)に、似せて創りました そして 現在の人類はこの 神に似せて創った人間(アダムとイブ)の子孫と言うことになります 聖書によれば、この子孫の系列から外れる知的生物はありえないし もしあるとすれば それは悪魔の系列になると思われます 悪魔を肯定的に評価する人は当然のことながら 冒涜の罪を犯しているのですから死刑は当然のことと思われます 仏教上のことは 人間も他の生物も、みな同格と理解しています
お礼
よくわかりました。ありがとうございます。
お礼
わかりました。 仏教的なものは、より現実的で妄想を説くな信じるなという、一種味気ない表面に実に豊穣な内面を宿しているのだなぁと感じますね。キリスト教世界は、政治的にもどす黒い歴史を作ってきたようです。それも、絶対神が統治するという、あの教会の尖塔が目指す世界のような、人間を超えたものがある(しかしそれは地球外生命でなく、この教会が統治しているもの)という、考えようによってはなんとも厳粛でおごり高ぶった世界であろうと感じます。