• ベストアンサー

現代に自殺が多発する理由

戦前は大変な金融恐慌もあったし、事変、戦争もしばしばあって社会は安定しているとは言えなかった。 種種の差別、弾圧、人身売買も日常茶飯事だった。 戦後は敗戦の混乱、食料危機も石油危機もあった。 向精神薬、抗鬱剤が開発され、実用化されたのは戦後ずっと経ってからで、 カウンセリングが誰でも受けれる環境になったのは21世紀に入ってから。 不況があろうが、戦争があろうが、こんなに自殺を身近に感じる時代は、 戦前戦後生まれの歴史の生き証人の方々もいまだかつて無かったとおしゃられます。 若輩な私も、今年に入って自殺者のお葬式に参列する機会が既に5回を越えました。 自殺者が年間3万人と言う統計にさえ疑問を感じていまいます。 ずばり、なぜ現代の日本はこんなに自殺が多いんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.3

こんにちは 物質的窮乏が原因での自殺ではなく、 精神的な理由での自殺について、ということでよろしいでしょうか? お金持ちの人も自殺します。 お金持ちの人は、お金があれば幸せになれるだろう、 という希望をすでに失っているからです。 何かが大変な状態というのは、逆にそれさえ解決すればなんとかなる、という希望をもたせているからこそ、人は自殺しないのだと思います。 また、現代日本ではとても厳しく人を批判していると思います。 何をするにも、まず他人の目を気にするという習慣。 これは、はっきり言って楽しくないと思います。 私は、今外国にすんでますが、楽です。 人生は、楽しく生きるものなのに、現代日本では、「どうあるべきか」が先行していると思います。 自殺率、本当に高いですね。平均寿命は長いらしいですけどね。 日本にあこがれている外国人が多いだけに、残念です。 自分らしく生きる、それが人生の楽しみですが、 まったく自分らしく生きられない「生きづらさ」を抱え、 それが飽和してしまった人が自殺していると思います。

Ivane
質問者

お礼

kanakyu-さんこんにちは。外国住まいとは羨ましい(^^)。海外に駐在してもし気に入った国があったなら、そのまま辞表を書いて住んでしまいたいと考えた事があります。 >現代日本ではとても厳しく人を批判していると思います >何をするにも、まず他人の目を気にするという習慣 >まったく自分らしく生きられない「生きづらさ」 日本の過去を引きずっている「田舎」のライフスタイルが典型例だと思いました。他人と同じ発言、行動をしていないとコミュニティーから外される。故に周囲を気にしないといけない。自我を殺さねばならない。 田舎(北東北、山陰、南九州等)の自殺率が極端に高い理由を説明できるように思えます。 >希望をすでに失っているからです 所得格差の固定化、就職氷河期の被害者の救済不足、後期高齢者医療制度等など将来の希望を失わせることばかりですね。 「楽しく生きれる国」であってこそ、「美しい国」を再建できるのではなかと考えさせられました。 アドバイス有難うございました。

その他の回答 (13)

回答No.14

 No.9です。お礼ありがとうございます。  学校教育の場において知識のみが取りざたされ、「生きていく為に必要な精神力・知恵・ストレス軽減」の方法を教える場が少なくなっているのは事実です。学校内における休み時間だけでは、「遊び」から学ぶ量はあまりにも少なすぎます。知識のみを身につけるのが子供にあらず。すべてをバランス良く、知識のみならず知恵をも付けるのが教育です。片方のみを学び、片方を疎かにすれば結果は見えています。知識のみを身につければ、ストレスに弱く学歴の高い子が出来、知恵のみを身に付ければ、学歴こそ無いものの人脈に優れ、どのような困難にも対応出来る子になると信じています。そういった意味では、4:6程度で知恵に重点を置くのが理想的な教育と思っています。かといって、学校の役割が少ないとまでは言いません。学校生活において知恵を身に付ける場も多くあるのは確かです。しかし、近年の学校教育には「父兄による学校へのモンスターペアレント」や「過剰なる負担」が多すぎて、学校側が付いて行けていないようにも見えます。学校と父兄・地域が一体となって子供たちをサポートする体制が早く生まれると良いと思っています。  自殺については、私は結果論だと思っています。すべては幼少の教育にあり、その結果こそが自殺に繋がっているものと考えています。自殺の理由を幼少の頃の考えに当てはめてみると分かります。結果、完全に2極化されています。1つは「親や先生の期待に答えようと努力をしすぎての燃え尽き症候群」。もう1つは「幼少~青年期に対してストレスを発散する方法が見つけられない。つまり、趣味や親友がいない事から来る慢性的ストレス障害から来るもの」。結局、両方とも知識のみを植えつけた結果なのです。さらには、この事を説明しようにも「ウチの子は大丈夫」「そんな訳ない」などと理由にもならない理由を示し、その場を逃げる始末。そもそもが、親の意識に問題があるのは確かです。また、家の事は家の事と教師が「学校外での指導を親に任せっきり」というのもあるでしょう。言うなれば、学校と父兄が一体となっていない証拠です。  学校・父兄・地域が一体となり、自殺のみならずストレスを軽減し、より良い学校教育。ひいては教育を学べる世界にする事こそが、今の教育に対する姿勢であり、決して知識のみを植えつけて「勝ち組」などとくだらない言葉に踊らされない世界になる事を祈っています。

Ivane
質問者

お礼

再回答ありがとうございます。 幼稚園入学からの試験も多すぎると思います。子供を教科書の知識でしか推し量ろうとしない。 また、精神的成長を促すためにも、大学入試をもう少し簡単にすれば良いのだと思います。 どうせ、一般教養で高校レベルの勉強をもう一度するんですから。 効率優先で、数字でしか子供を評価できない社会のあり方にも問題があると思います。 一応締め切りますが、ご回答、後からもう一度読み直させて頂きます。

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.13

遺伝です。 世界各国の自殺率をグラフにした http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html の表を見ると、上位25位までのほとんどはロシアとその近隣諸国です。 この国々は昔、中央アジア付近にいた遊牧民の血を受け継いでいる国々 なのです。 その遊牧民は、何らかの理由(環境の変化?)により、 住んでいた地域を出て東・西・南に大挙して移住を始めました。 東に進んだ人々は、混血を繰り返しフィンランドやラトビア、 エストニア、ハンガリーといった東欧に定着。 西に進んだ人々は、朝鮮半島や中国北部そして日本にも渡って 現地で混血しながら定着しました。 南に進んだ人々は、イランやトルコに進んでいます。 この遊牧民の「民族的特性」の中に「自殺を実行し易い遺伝子」 「鬱にかかりやすい遺伝子」があったのでしょうね。 「自殺を実行し易い遺伝子」は、 肌の色や体型といった目に見える特性ではなく、体内や精神構造に 含まれる特性であって 「東アジア人は高カロリーの食生活を続けると糖尿病に成り易い」とか 「蒙古斑」等と同じような特性なのでしょう。 自殺は、もちろん憂うべき行為ですが それが多いからと言って、実際のところ「しょうがない」部分がある のではないでしょうか。 「民族的宿命」なのですから。 日本が、必死に自殺の原因となる社会的要素を無くしていっても 現在の4位からせいぜい20位以内に下げられる程度であり、それは 世界水準で考えればまだまだ「高い自殺率」と言えます。 福祉が充実して、自然環境にも恵まれたフィンランドでも高い自殺率は 社会構造の変革や国の政策でも「民族的宿命」に抗する困難さを物語っ ています。 そりゃ、生活の困窮、医療制度の不備、コンピューターの発達による 人間性の希薄、社会認識の低さ、コミュニティの崩壊、教育の失敗、 価値観の喪失・・・といった理由は「なぜ日本では自殺が多いのか?」 の解答として全て正しいです。 でもそれだけでは正解ではありません。 なぜなら、生活が苦しく、病気や飢えに苦しみ、内戦や戦争で殺しい、 まともに教育を受けられない国や 文明が発達し、教育制度が荒廃し、無軌道な若者が横行している国では 日本よりもはるかに自殺率が低い説明にはならないからです。 ただ・・・ 「民族的宿命」と回答しても、やはり自殺はいやなものです。 知り合いや身内に自殺者が出るのは、確かにショックで人生観が変わっ てしまいます。 世界各国の自殺率表を出しておいてなんですが、 カソリック圏やイスラム圏では、「自殺は大罪で地獄に行く、神に見捨 てられる」という考えが強く、そのためイランやトルコや南米、そして ヒスパニックの人口が多いアメリカでは自殺率が低いのですが、 葬儀を出す遺族や、「自殺扱いにしないでくれ」という本人のために 自殺として届けないケースもありさほど正確な数字ではありません。 そう考えると、「イギリスやタイやドイツがなぜ自殺率が低いか?」 は、日本の自殺大国からの脱却に大いに参考になるのではないでしょう か?

参考URL:
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html
Ivane
質問者

お礼

bossnassさん、こんばんは。 興味深く拝見しました。 セロトニンレセプターの活性を抑制する情報が遺伝子に刻まれていて、それが代襲されている可能性。よってその遺伝子を代襲した人間はセロトニンの代謝機構に変動を生じやすく、またその人間が希死念慮を起こし自殺率の増加に拍車をかけていると解釈いたしました。 >文明が発達し、教育制度が荒廃し、無軌道な若者が横行している国では >日本よりもはるかに自殺率が低い説明にはならないからです。 そう言われると確かに・・・。 日本国民に東欧の民族の血が混じっている可能性は、ある種(東欧人特有の)ウィルスの宿主の分布が日本人に東欧人が混血している可能性を示唆していますし、日本人は実は多民族国家であるという事もゲノム解析で分かってきていますし。 ただ、戦後のからの統計を見ても、やはり現代の自殺率の上昇は何らかのストレス要因が増えているんでしょうね・・・。 アドバイス有難うございました。

  • gerappa
  • ベストアンサー率50% (85/170)
回答No.12

全くの私見で申し訳ありません。 (理由1) コンピューターの発達により、精神的=心の『ゆとり』が失われている。 一つにはコンピューターの発達と、職場を含めた生活圏への侵入です。 コンピューターが無かった頃は、私の体験では、もっと社会ものんびりしていたように思います。 現代のような正に、分刻み秒刻みの仕事はありませんでした。 確かに納期という時間の制限はありましたが、多少遅れても文句は殆ど言われなかったように記憶しています。 ところが現代は、正に電車の時刻表のように、正確さを求められていますよね。結果、人の心に必要な『ゆとり』が失われているのではないかと思います。 しかも、労働規制法の緩和により、その事態は更に深刻になっています(長時間労働=残業や日雇い派遣等々は好例)。 (理由2) 価値観の統一。 「子供の価値観の多様性を重視しよう」と言いながら、結局は高学歴、大企業や官庁関係への就職が、人生の全てであるという価値観は、現在においても変わらない。 そうした人生コースから転落すると、絶望感しか残らなくなり易いのでは? また、再チャレンジする道も、現実には殆ど無い。 (理由3) 人生コースから転落しても、国のセイフティーネットが完備されていれば、再チャレンジもし易いのだが、これが日本の場合、他の先進国と比べれば余りにもお粗末。例えば、失業しても、失業給付金の支給期間は余りに短く、失業状態が長期化すると生活に困窮してしまう。 しかも、再就職は中高年齢になる程困難となり、逆に中高年齢になる程、生活費の出費が増大すると言う現実を、失業給付金は全く無視している。 また、年功序列制度を廃止したのは結構だが、現実的には雇用者側はこれを良いことに、その人のキャリアには関係なく、丸で昨日今日卒業したばかりの高校生並みの給料で、中高年者を再雇用することが多発しており、これが中高年者のワーキングプアを多発させる原因となっている。結果、家庭崩壊を増大させることになる。 (理由4) 政府は、小泉元首相の改革政策以来、理由3の問題を「自己責任」と称して一括に切り捨て、本来の国の責任を回避している=これこそ無責任。 以上です。 尚、自殺者数は一説には3万人を超えていると云う説もあります。 理由は、日本ではその宗教観や風習から、自殺は忌み嫌われる為、事故として処理されている場合が多いと言うのです。 また、近時に多い「死刑になりたかった」と言って殺人を犯す人も、広義には『自殺志願(願望)者』として、これに含めるべきではないでしょうか? 年間自殺者がこれ程多くなったのは、どうも小泉元総理の改革路線からのようです。 何とかの一つ覚えのように、その政策が社会にどのような影響を及ぼすかを殆ど考えずに、市場開放(市場原理主義の導入)を行ってきてからだと記憶しています。

Ivane
質問者

お礼

gerappaさんこんばんは。 切実な問題だと思います。 今の時代、例えばニートとかフリーターという言葉で不遇な人たちを叩く風潮があるのですが、これは大変な損失だと思います。 小泉元首相は「人生色々」と演説しておきながら、軌道から外れた人間には大変厳しい(間接的に軌道からそれた人間は死ねと言っている)政策を採ってきて、現政権も判然とそれを継承しています。非凡な才能がある人間が平凡な人生を歩まないのは必然であり、ずば抜けた才能、新しい時代を開拓できる能力がある人間が出現するのは多様性に寛大だからでもありますね(生物の進化と淘汰で証明されてます)。 また、企業が人間を雇用すると言う何よりも最も大きな社会貢献を放棄していると言う大変な間違いに気付かない事は早く更正されるべきです。 人を殺す政治、経済活動はもう沢山ですね。 ご回答有難うございました。

  • kojinnkui
  • ベストアンサー率10% (1/10)
回答No.11

自分も躁鬱病と診断され早5年、ないたり怒ったり、他人に迷惑かけてきたと思います。私的にに判断しますと、高度経済成長の代わりに失ったもの、環境です。風の音、木のはっぱの音、海の音、そういう精神面で必要不可欠なものが失われたことが、最大の原因だと思います。よく遊びましたね。川、海、森、山、本当に、失った大事な場所、今は、バーチャルな世界、インターネットですね。家にこもり考えに考え自分を追い詰めていくんですよ。鬱病は頭がいい人が、陥りやすいと聞きました。何とか改善してほしいですね。環境問題。

Ivane
質問者

お礼

kojinnkuiさん、こんばんは。 私は田中角栄さんが活躍した時代を知らない世代です。 それでも私が生まれた頃は、まだ田んぼに大きなタニシ、ドジョウ、ヤゴが居て、海岸の潮溜まりにはメジナの稚魚、タコ、サザエ等の生物が手づかみで取れる位居ました。辞書を見たり読んだりする情報よりも、実際に手で掴んだり、目で動きを追跡するほうが遥かに情報量は多いはずですね。(画像と動画のファイルのサイズが違うように) 実際に目で見て手で触れてこそ、生き物の命の尊さ、死に対する不可逆性を学べるし、自然に触れることが精神的な癒しに繋がるのだと私も感じています。 kojinnkuiさんのご病気も、自然が豊かでのんびり過ごせる環境であればより良い状態になるのかもしれませんね。ご快癒お祈りしています。 アドバイス有難うございました。

Ivane
質問者

補足

こちらの欄をお借りして皆様にお礼いたします。 ご回答、アドバイス有難うございました。 ご返事遅れましてすみません。放置したわけではありませんが、皆さんのお話を良く良く読ませて頂きました。

  • aho0xff
  • ベストアンサー率12% (218/1771)
回答No.10

こういうのでよく言われるなぁと自分で思っているのは いくら経済的に辛くても発展途上国や日本の戦後とかと比べたら全然マシなはずなのに・・・ ってのがあると思いますが、肝心なのはそういう状況って みんな等しく(少なくても苦しんでいる本人の身の回りの人全て)苦しい ってのがでかいと個人的には思っています。日本の自殺者は多分そこが違います。 「苦しんでいるのは自分だけ」こう思えてしまうのがまずいのではないかと。 でもそこで「苦しんでいるのは貴方だけじゃない」と口で言っても多分ダメ・・・です。 本気で同じ問題で苦しんでいるところを見て初めて「自分だけじゃない」と そう「実感」出来る物だと思っています。多分日本よりも厳しい状況の国は コレがあるはずです。 そういう意味では、楽しそうな(幸せそうな)情報が多いってのも苦しいのは自分だけ って気持ちに拍車をかけかねないかな?とそしてそういう物の積み重ねで起きてしまった 「結果としての」事件を見て「あ、いいな」とそれに続いてしまうのかも知れません。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 お礼を書き込んだはずでしたが、未記入の状態だったので再度お礼書き込みます。(旧盆でバタバタしていたからかもしれません) >「苦しんでいるのは自分だけ」こう思えてしまう 最近は部分的にしか物を見ない人が増えいると感じています。本来、良い側面、悪い側面、両方持っているのが人なはずですね。他者を評価する場合、良い側面ばかり見えている時にはワーッと賞賛するけれども、悪い側面が出てくるとボコボコに叩くと言うか。まるで週刊誌みたいに。全体で人物や物事を捉える人間が居なくなってきていると思うんです。 だからお互いに負の部分(悩みや愚痴)を曝け出し難い、他者に相談しにくい状態に誰もがなりつつあるんじゃないかなと。 aho0xffさんがおしゃるように、苦しむ自分しか視野に無いと同時に、苦しんでいる他者の姿も見れない状態に陥ってしまうのかもしれません。 誰もが幸せを実感出来るようになればいいですね。ご回答有難うございました。

回答No.9

 私は、今日の教育の在り方について疑問視をしています。それは、若年層~中年層の自殺にも繋がります。  そもそも、今の若年層~中年層には「ストレスの発散法」を知らない人が多数いると考えています。それは、幼児期~成人期までの間に遊びを知らない。つまり、勉強という名の知識のみを植え付け、知恵という名の生きていく術を知らないが為、ストレスの発散法が分からずに溜め込み続けた末に「鬱状態」に陥り、結果的に自殺を図るという事。さらに、昨今報じられている練炭自殺においても同様で、「生きていてもつまらない」という理由によって起こっています。これも、遊びや人との繋がりを知らないが為に起る社会現象ではないでしょうか。  では、原因はどこにあるのでしょうか。戦後、日本は「高度成長期」に入り生活も国際力も上がって行きました。しかしながら、その時代の流れに人が付いて行けず、さらには自分の子を上の地位に上げようと、親が知識のみを植え付けて知恵を育てて来なかったという事です。よく「遊ぶのは大人になっても出来る!」と言いますが、子供でないと出来ない遊びも多々ありますし「遊びという名の知恵」も大切です。この時期に遊びを知らなければ、大人になっても遊びを知る事は出来ません。そもそもが「教育=勉強」という固定観念によって、引き起こされるべき起きた現象でしょう。本来、教育とは知識と知恵の両面を指します。しかし、この固定観念により知識だけあって知恵がない。つまり面白みのない人が増え、面白みがない遊びも知らないが為に友人・親友が増えず、上記のような結果が残るのでしょう。  義務教育含め、学校で教える事と言えば「友人・クラスメイトとの交流を含めた集団生活という名の勉強」です。知識のみを覚えるのが学校ではありません。では、学校だけの責任なのかというとそうでもありません。家へ帰ると親はおらず、友達と遊ぶわけでもなく自宅で宿題をして塾へ。帰ってくれば塾の宿題や自主勉強。これでは、どこで遊ぶ時間があるのでしょうか。かといって、決して塾が悪いとは言いません。ただ、そのバランスこそが大切であり、その子その子によってバランスも変わります。しかしながら、親は「あの子がやっているから」や「社会に出て通用するように」と無理に勉強をさせたがります。勉強とは自主的に行うものであり言われてするものではありませんし、何より言われてやっても頭には入りません。やる気にさせる事よりも、無理にやらせる事ばかり考えた結果がこれでしょう。  再度言います。遊びと勉強のバランスこそが大切であり、そのバランスを崩せば心のバランスも崩れる可能性が高くなります。自殺者は増えるべくして増えたのです。ただ、今の子供達の親はその上の世代と子供の教育に関して対立する事が多く見受けられます。今の子供達の親は、どちらかと言えば「知恵を与えたがる傾向が強い」のです。ただ、その上の世代。子供達の祖父・祖母は教育論者が多い為、教育に関して意見が分かれています。もしかしたら、自然と回復するのかもしれませんが、確かに昨今の自殺者増加には悲しいものがありますね。

Ivane
質問者

お礼

sil_masterさんこんばんは。お礼遅れています。 「遊び」と言うのは、「学校教育」よりも情報量が比較にならないくらい多いはずです。教科書を「静止画」とすると、遊びは「動画」ではないでしょうか。 水を泳ぐことが出来るようになる為には、教科書だけの知識で泳げるわけではなく、実際に水に触れて泳ぐ為に必要な情報を全身全霊を使って習得して初めて泳げるようになるわけですから。 それと同じように、生きる事、社会に出て挫折しない事を学ぶには、遊びと言うシュミレーションを通して、相手の心のうちを推し量ったり、或いは突発的なハプニングに対して自分がどうあるべきか対処できるようになることの方が遥かに有用なんだと思います。 遊びと学習のバランスは大切だと私も思いました。 ご回答有難うございました。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.8

アイデンティティーの確立が不十分なことも原因の一つだと思います。 日本のように自分の国を悪く言う国は世界的にまれです。 自分の国を悪くいうということは日本人としてのアイデンティティーの確立に悪い影響を与えます。 またバブル期以降あまりにもお金重視の考えが広まってしまい、日本人として生きていくことのアイデンティティーが崩壊しているように思います。 自分探しの旅など、本当に旅をしないで普通に生活をしていれば見つかるはずが見つからない。 それは自分というアイデンティティーがないから見つからない。 生きることに精一杯ならこんなことを考える暇は無いですが、幸い日本はこの程度を考える余裕のある国です。 しかし、自分の国も駄目、親の中が悪く親が互いの不満を言っていれば親も尊敬できない・・・ 自分の国や親、祖先などを誇りに思う気持ちってアイデンティティの確立に大きく影響します。 マスコミの行き過ぎる反日報道や親が子供にパートナーの不満をいうなどを辞めていくようにしたほうが良いですよね。

Ivane
質問者

補足

>生きることに精一杯ならこんなことを考える暇は無い 本当にそうでしょうか? 精一杯生きようとして、必死にがんばった末に自殺する方が増加しているはずです。献身的な介護の末の自殺。求職活動中に生活費が無くなり自殺、日雇い生活(賃金を派遣先に搾取され)に失望を感じての自殺。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

ん?今も昔も全世界も自殺だらけですよ。 自殺の解釈が違うだけで外国と大差ないよ。 アフリカに限らず、それほど食料を生産できないのに人口を増やす事自体が自殺行為。 今まで食糧生産に寄与してきた森を破壊するのも自殺行為。 井戸を掘り過ぎて地下水が枯れるまでくみ上げるのも自殺行為。 自殺の方法が違うだけですよ。

Ivane
質問者

お礼

jamiruさん。こんばんは。 物質的な欲を満たすためにあまりに自然を痛めつけているし、またバイオ燃料の原作物を植えるために本来の人間の食料が供給できないとは本末顛倒ですね。生活の利便性を上げるためのオプション(工業製品の原材料)を得るために、生命維持に必須な食料を作付けしなかったり。 本当にこの悪循環をだれか止めてくれと叫びたい気分です。 ご回答有難うございました。お礼が遅れてすみませんでした。

noname#29999
noname#29999
回答No.6

アフリカなどの貧困国に自殺やうつ病が無い事を考えると、自殺は文明の落とし子と言えるかも知れません。 この事ひとつを取っても、物質的な豊かさと人間の幸せは関係ないという事はハッキリしているのに何故か人間は物質の豊かさを求めずにはいられない動物です。 豊かな生活を求めて、様々な犠牲を自分にも周囲にも強いる割には、昔のような強かさや粘り強さが今の日本人には無くなったのではないかと感じます。 よく映画で見る、戦後の日本の様子、列車の窓に鈴なりになって掴まっている人々の逞しさや目的の為にはなりふり構わず突進する一途さがなく、表面的体裁にこだわり過ぎて目的を見失っているような気がします。 「ひよわな花・日本」 ブレジンスキーは痛い事を言ったようです。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。お礼遅れました。 >表面的体裁にこだわり過ぎて目的を見失っているような気がします これで思い出すんですが、今の大学生たちの悩みに心当たりがあります。 大学とは社会に出た際に必要になる基礎的な知識、解析能力を習得する為に切磋琢磨する場所なのに、遊び友達、慰め合いの仲間を探してそれを解決するために脇目を振りすぎている者が多すぎるし、また大卒と言う学歴が無ければ社会に役立たないと勘違いしている事に疑問を感じています。 >「ひよわな花・日本」 是非今度読ませていただきますね。ご回答有難うございました。

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.5

以前、同様の質問に答えましたのでご参考に。 http://sanwa.okwave.jp/qa3969760.html?ans_count_asc=2 ↓の書籍を一読される事もお勧めします。 http://book.geocities.jp/educ60/d30.htm http://www.amazon.co.jp/dp/4862380794

Ivane
質問者

お礼

t78abyrf9cさん、こんばんは。 t78abyrf9cさん自身のお言葉でご回答下されば幸いでした・・・。

関連するQ&A