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冷戦時代の中国とソ連の関係について
中国とソ連は、同じ共産国同士なのに仲が悪かったと聞きました。 国境紛争が原因だろうと思うのですが、同じイデオロギー同士なのだから話し合いでの解決は出来なかったのでしょうか?
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中ソ関係の悪化は1956年のフルシチョフのスターリン批判から始まったと言われています。 1956年2月に開かれたソ連共産党第20回大会で、フルシチョフ第一書記は、戦争は不可避でなく、社会主義国と資本主義国とが互いに平和に共存することは可能であるとし(平和共存政策)、さらに平和的手段による社会主義への移行は可能であること主張しました。 また秘密報告で「スターリン批判」を行い、大粛清(スターリンが1930年代後半に反対派の人々を大量に処刑・流刑に処したこと)におけるスターリンの暴虐さを暴露し、スターリンの独裁と個人崇拝を厳しく批判するとともに、スターリンの政策(特に晩年の政策)を厳しく批判しました。 このスターリン批判は、それまでスターリンを神格化し、崇拝していた全世界の共産主義者に大きな衝撃を与え、特に東欧諸国ではスターリンに追随してきた自国の指導者に対する不満が高まり自立の動きが出始めます(1956年ポーランド反ソ暴動) こうした東欧の動きに警戒した毛沢東はフルシチョフのスターリン批判は受け入れられないとし、両国の間でイデオロギーを巡る論争が繰り広げられます。お互いの主張は平行線のままで次第に両国間の関係は悪化し、1959年のチベット紛争時にソ連がインド支援を表明すると、中ソ関係は危機的状況に陥ってしまいます。 さらに1966年文化大革命が始まると関係は修復不能の状況となり、ついに1969年のダマンスキー島、新疆ウイグル地区で武力衝突を起こすことになります。 この後の両国の対立は1989年のゴルバチョフ訪中まで続くこととなります。
お礼
とてもよく分かりました。 根深い対立があったのですね 有難うございました。