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なぜソ連は、大戦直後、中国共産党を認めなかったのか
なぜソ連は、二次大戦直後、中国共産党を認めなかったのでしょうか? 国民党政府の方を認めて、どんなメリットがあると思ったのでしょうか? 参考: http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1969/s43-13-1-1-3.htm
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メリットと見込みですね。 (1)アメリカとの衝突回避。 (2)国民党政府と手を結んで得られる権益の見込み。 (3)内戦になった場合における中国共産党の敗北予想。 (1)について・・・ ソ連は第二次世界大戦で勝者にはなりましたが大きな犠牲を払いました。 アメリカからのレンドリースによってソ連は戦争に勝てたと言ってもおかしくは無く、飛行機1万4千機、戦車7千両その他、多くの物資を受け取っています。これには食料も含まれています。ソ連における小麦などの生産量は、1945年では、戦争前の約43%にまで落ち込み不足しており、アメリカからのレンドリースで不足を補っている状況でした。 その為、平和的経済回復の時期を望み、アメリカとの衝突回避を優先し、その極東戦略はアメリカを刺激しない事を前提としていました。 だからアメリカが後押しする国民党政府を認め中国共産党の利益を犠牲にする道を選びました。 (2)について・・・ ソ連は国民党政府を認め支持する事で、平和的に満州における利益を得ようとしました。 その代表が国民党政府に対する工業「合弁」計画の提案です。 満州は日本が投資を行っていた成果により多くの工業設備がありました。こうした設備はソ連軍の満州進出に伴い、敵国資産の戦利品として、ソ連国内への運び出しがはじめられていましたが、全てを奪うのではなく、アメリカ、国民党政府との関係も考慮して、重工業の80%はソ連と国民党政府の合弁事業にしようと、ソ連が国民党政府に提案しています。これがうまくいけば労せずして、ソ連は満州の重工業から利益を得られる事が可能になる筈でした。 ただ、これは国民党政府が拒否したため、ソ連はあらゆる工業設備を解体、「戦争損害賠償」として持ち去りました。 (3)について・・・ ソ連は中国内戦が発生した場合、アメリカの援助を受ける国民党政府に中国共産党は敗北すると予想していました。何せソ連自体でさえ、アメリカからのレンドリースでドイツとの戦争にようやく勝利したぐらいです。例えソ連が中国共産党を全面的に援助したとしても、アメリカの援助を受ける国民党政府の勝利が予想されました。そうなればソ連は何も得られません。 また、内戦が勃発すればアメリカ軍が満州に入ってくる恐れもあり、それもソ連は警戒していました。 そのため、国民党政府を認め、中国共産党には内戦回避を警告しています。 こうした考えがソ連にあったため、1945年8月14日にソ連は国民党政府との間に、「中ソ友好同盟条約」を締結し、国民党政府しか援助せず、満州は国民党政府に引き渡す方針を明らかにします。 これに中国共産党は大きなショックを受けます。 さらには8月20日に中国共産党は内戦を起こしてはならないとソ連から警告されました。 しかし毛沢東は満州への進出を行いました。 9月14日にはまたソ連からの使者が来て「深い同情の念を持つが満州から撤退するように」と警告します。 以後もソ連は中国共産党に満州では絶対戦闘をしてはならず、満州で戦闘が起これば中国共産党の全滅の危険があると警告した模様です。 結局、このソ連の予想は外れ、中国共産党が内戦に勝利するわけですが、ソ連からの中国共産党への援助にしても、必ずしも速やかに、大量に行われたとは言い難く、ソ連に対する中国共産党の不満は後々まで残りました。 最初、ソ連はアメリカとの関係、中国共産党の力と国民党政府の力を計り、国民党政府を認めた方がメリットがあると考えていたわけですが、中国共産党がそれを履がしてしまいました。
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- Streseman
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ん・・・・WWII直後だと中国共産党は、政党としては認めているね しかし、共産主義政党として認めているのか?という問題では微妙になる ただ、質問者は理解できていないようだが、政党として認める・・という意味は、国際政治・歴史的には多面性がある 参考文献で指摘される政党は「政府」としてのニアンスであって、政党の意味ではない 既出回答者も、政党・政府の見分けをつけていないようだが、政党と政府は本義切り離すものだから、参考文献の記述の適否も実際問題としては、世俗向けで厳格さがない 「認める」という意味を簡単に思慮して回答・質問が成立しているが、参考文献の主旨を踏まえて適切に理解できていないのだろう
お礼
ありがとうございます。 質問のポイントとしては、ソ連共産党は共産主義政党なのに、なぜ中国共産党でなく、国民政府の方を「優先するのか」、という点です。 一切認知しないという状況は不合理に思えるので、そうであるとは思っていません。そこまで否定する強烈な理由は知らないので。 表現があいまいで失礼しました。
- rikukoro2
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理由)それまでの行動がソ連の信頼に期待できる物ではなかったから。 一応、その参考資料では『中国』いわゆる『中華人民共和国』に関して書いているようだが・・。 中国は突然ポンと建国したわけじゃない 1931年にソ連の支援を受け毛沢東が建国した『中華ソビエト共和国』があります その国家が国民党の中華民国を打倒して建国したのが1949年の『中華人民共和国』 『中華ソビエト共和国』はソ連の完全支援の元建国したのに、毛沢東は後半言うことをきかず 自分勝手に行動したらからだと思う 詳しくは中華ソビエト共和国』の詳しい歴史を調べてみてください
お礼
ありがとうございます。勉強になりました。
- mekuriya
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認めてましたよ。スターリンは満州を占拠した後、蒋介石から早く満州を中華民国に返還しろと矢のような催促を受けながら、なんやかやと口実を作って返還の実施を引き延ばしました。それは中国共産党を満州で勢力拡大させる為だったのです。そして中国共産党が十分満州に浸透した後に、満州を中華民国に返還した。ソ連は表向きは連合国の一員という形を取っていた為にあからさまに同じ連合国の一員である中華民国と敵対できなかったからです。スターリンは狡猾な二重外交で、名目的には中華民国を尊重するふりをしながら、内実的には中国共産党を支援していました。大戦後に勃発した第二次国共内戦でもスターリンは、表向きは中国共産党は支援していませんよと中華民国に対してポーズを取り繕いながら、実質は中国共産党を支援していたのです。中国共産党を満州に浸透させたのは第二次国共内戦で中国共産党を勝利させる為だったのですから。スターリンがどうして連合国の一員という立場を取り繕うことにこだわったかといえば、露骨に中国共産党を支持してしまえば、逆にアメリカに東西冷戦を意識させて国民党支持の立場に追い込んでしまうからです。それだけは避けなければならない。ソ連は戦勝国という地位を勝ち取ったとはいえ、独ソ戦での人海戦術、焦土戦術で世界最大の戦死者を出していました。その疲弊ははなはだしく、国力の回復の為の時間稼ぎをするまでは表向きアメリカと敵対するわけにはいかなかったからです。その為に内実は中国共産党を支援しながら、名目的には同じ連合国の中華民国の立場も尊重していたというポーズを取り繕った。そういう風に狡猾に2つの立場を使い分けるスターリンを単純馬鹿の日本人はどうしても理解することができない。単純馬鹿の日本人は水戸黄門のように白黒はっきりした構図を好みます。脳みそが単純にできているから、単純にしか物事を理解できないのです。悲しいことです。
お礼
なるほど、ありがとうございます。 アメリカとの敵対については、東ヨーロッパでは居座り続けたわけですから、十分刺激していると思いますが。 あちらと、アジア(中国)ではだいぶ状況が違うのかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。当時としては合理的判断だったということがよくわかり、納得がいきました。 朝鮮戦争/韓国動乱のとき、ソ連が北朝の支援において武器の援助にとどまったのも、米国との関係、中共との関係、自国の体力問題など、いくつかあったのだろうと思いました。