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冷戦時代の中国とヴェトナムの関係について
同じような質問を繰り返してしてすいません。 中国とヴェトナムは、同じ共産国同士なのに仲が悪かったと聞きました。 中越戦争は国境紛争が原因だろうと思うのですが、同じイデオロギー同士なのだから話し合いでの解決は出来なかったのでしょうか?
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中ソ対立を背景としたカンボジアを巡る争いで両国関係は悪化しました。 1975年にヴェトナム戦争が終結すると、カンボジアとヴェトナム国境で紛争が発生し、1978年ヴェトナム軍はカンボジアに侵攻します。 翌1979年にプノンペンを占領するとポル・ポト政権は崩壊し、代わって親ヴェトナムのヘン・サムリン政権が樹立されます。 これに対しポル・ポト派はカンボジア北西部に逃げ込みゲリラ活動を行うなどしてヘンサムリン政府軍・ヴェトナム軍に激しく抵抗したためカンボジア全土で内戦が激化します。 この内戦に対しソ連がヘンサムリン軍・ヴェトナム軍に支援を行った為、ソ連と対立していた中国はポルポト派に支援をするという構図で内戦が続くこととなります。(カンボジア内戦1979~82年) このため、中国とヴェトナムの関係が急速に悪化し、1979年に中国が北ヴェトナムに侵入して中越戦争(中国=ヴェトナム戦争)が起こることとなります。 侵攻から一ヵ月後に中国軍は撤退しますが、西沙、南沙諸島の領有権をめぐる「海上問題」での対立など両国の対立は、2000年の中越共同宣言まで続くこととなります。
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- jambopurin
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こんにちは。僕はジャンボプリンと言います。某大学史学科卒です。 結論から言うと、「中越紛争」をキーワードとして書籍・ネット検索・中越紛争に詳しい大学教授のゼミ生(大学院生がいいと思います)に情報提供を依頼する、ってあたりが、一番楽ちん&疑問がある程度解消できるんじゃないか?と思います。 ちなみに、正攻法はやはり中国史とベトナム史を概略でいいので、勉強した上で、中越紛争に関する文献(紛争の要因となる背景をしっかりと説明したもの)をじっくり勉強するのがいいと思います。そのほうが、身につくと思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。
お礼
中ソの対立が原因だったのですか。 冷戦時代の共産圏は一枚岩のイメージがあったものですから、ちょっと意外でした。 有難うございます。