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auのコピー「おとくにぐっと、つながれる」に違和感を感じるのは何故か?

携帯電話会社auのコピーで「おとくにぐっと、つながれる」というのがあります。 このを聞くたびに違和感を感じてしまいます。 「つなぐ事ができる」という意味なんでしょうか? 文法的には問題ないという人もいますし、 気を惹くためにわざとそうしているという人もいます。 ただ、私には「牢屋につながれる」といった悪いイメージが浮かびます。 本当に正しい使い方なんでしょうか? これが時代による日本語の変化なんでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • phodumi
  • ベストアンサー率31% (6/19)
回答No.12

□■ 電話の会社のコピーなので、 「電話がつながる」という言い回しに関連づけてのものなのだと思います。 「電話がつながる」に可能の意味を持たせるにはどうしたらいいのだろうか?と考えることは、 「空が晴れる」に可能の意味を持たせるにはどうしたらいいのだろうか?と考えるのと同じことのように思えます。 「空が晴れれる」とか「空が晴れられる」などと言えるでしょうか? どうも一言で一気に言い表せる表現はないようです。 「電話がつながる」ことも「空が晴れる」ことも、「手紙が届く」ことも「地震が起こる」ことも、話し手や書き手の力や、能動的な行動が介在する余地はあまりないと思われますから、「れる・られる」で可能の意味を表現するのは適当ではないようです。 こういう考えからであれば、文法的に正しくない文で、違和感を感じるのもやむなし、ということになるのかもしれません。 不自然ではあるけれども、「空は晴れうる」、「電話はもっと経済的につながり得る」、「空は晴れることができる」「電話はもっと経済的につながることができる」などとは言えるかもしれません。 ■■ >「つなぐ事ができる」という意味なんでしょうか? 「つなぐ」に可能の意味をもたせるなら、「つなげられる」になるはずであって、「つながる」ではないはずです。 コピーライターが、言葉を文節単位でしか捉えられない粗いセンスの人物である可能性もありますが、“狙った”表現である可能性もないではないと思います。 ・「人の輪に加わっていられる」とか、 ・「なじみのコミュニケーション相手と連絡を取り合える状態を保っておける」とか、 ・「不特定多数の人達と出会う可能性をキープしておける」、 ――コンタクトできる、アクセスできる、という意味、―― つまり、 「他人(ひと)/社会/コミュニティ“に”つながっていられる」ということと 「電話“が”つながる」ということが、混同されているように思えます。 「コミュニティにつながる」に可能の意味を持たせるには? ・・・私だったらまず、「コミュニティにつながることができる」という表現を挙げます。「つながりうる」は学者くさくて敬遠します。 「コミュニティにつながる」に「れる・られる」はくっつけられるだろうか? ・・・ 「コミュニティにつながることができる」が、やっぱり望ましい。 「コミュニティにつながれる」は、・・・・・・文法的に正しいのかもしれないけど、私は使いたくない。質問者様と同じように、やはり隷属化をイメージしてしまいます。 □□ 私は文法書など参照しないようにしています。 実践的な言葉と文法書との関係は、飛ぶことで生存を成り立たせている鳥の飛翔と‐航空力学と同じ関係にあると思います。飛ぶ鳥は航空力学のことなど全く知りませんが、自由に空を飛んでいます。ある鳥が、「航空力学に反した飛び方で飛んでいる」と学者に指摘されたからといって、その鳥は飛んでいないことにはなりませんし、飛ぶことをただちにやめなければならないわけでもありません。 巷間で使われている言葉が文法的に正しくないからといって、それに気づき、指摘した人あるいは文部科学省などの機関が、その用法をただちに禁止できるというようなものではありません。 文法は常に新参者なのです。彼は常に「実践」の後をのたのた追いかけているのです。科学上の論理や法則だのも、自然界の諸現象から抽出されたものに過ぎません。 言い方を変えれば、文法はオレンジジュースです。オレンジジュースからオレンジを再構成することはできないのです。純粋な文法概念だけで文を編むなどということはとてもできないことなのです。 いちばんいいのは、鳥が自分の翼を信じて空を飛ぶように、自分の感覚を信じて言葉を操ったり、読んだり聞いたりする言葉を批評したりすることではないでしょうか。 私の感覚を信じて判断するところによれば、意味を二股かけているような表現は、やはり使うべきではない、特に客商売では、――おちゃらけた雰囲気を出して、親近感を与えたいのかもしれないが、――避けるべきであるように思います。

miazsm
質問者

補足

ご回答ありがとうございます 言葉のとらえ方って人それぞれ違うんだということが事が実感できました。 文法に合っていないから認めようとしない 文法に合っていないけど語呂がいいから構わない 文法に合っているけど語呂が悪いから使えない 文法に合っているけど耳慣れないから違和感がある ただ、この「つながれる」についても、文章として紙に書いたものを見ただけなら、気にもならなかったような気がします。 食事しながら何気なく見ているテレビからCMとして聞こえて来る時には、前後の文章が頭に残らず「つながれる」だけが強調されてしまいます。 そういう時ってありませんか? 「つながれる」だけを考えるとマイナスのイメージがまず思い浮かび、それから「つながることができる」という意味かと無理やり納得させる自分がいるのです。 どちらが正しいという結論は出せませんでしたが、様々な意見が聞けて勉強になりました。

その他の回答 (11)

  • yanart
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.1

たしかに。。。 「おとくにぐっと、つながりあえる」 っていうのは、どうでしょう。

miazsm
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます 「おとくにぐっと、つながりあえる」ならいいんですが 語呂が悪かったのでしょうか? 普通すぎてコピーとしてイマイチと思ったのでしょうか?

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