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未来の 「学校」

■先生が黒板に立って授業をする 30-40人近くの生徒たちが、その授業を聞く。 朝授業が始まって、6時間目の授業で終了。 その後は、部活。  母さんお帰り、腹減った。 ■教育はその形を大きく変えるだろう ・・・ という議論もあります。 ○ 技術革新のため ? ○ 学習についての新しい考え方が出てくる? ○ 「学校」をとりまく、社会環境などが、変わる? 学校のあり方は、変わっていくでしょうか? 変わるとしたら、どのような形が考えられるでしょうか? 予測など不可能ですが、 「こうなる可能性ならある、、、 」 というものが、ございましたら、 どうぞよろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.4

まず変わらないと思います。 変わるとしても、社会形態の大きな変容を承けてというものでしょう。 学校の目的は、必ずしも知識だけではありません。 かつては『富国強兵』のため、一種の『国民の規格統一』も目的としていました。 現代は、いろいろと見解は別れるでしょうが、 スケジュールに従って行動する。 説明を理解する 表現をする 机に向かって知的作業を根気よく行う こういった能力の養成も含まれていると思います。 ホワイトカラー的な仕事をする上で必須な能力ですね。 逆説的な言い方をすれば、 ・納期がある ・人の説明を聞いて理解する ・人に説明をする ・机に向かって知的作業をする こういった項目が、社会においてマイナーな存在となり、 その能力に対する社会の要請が極めて小さくなれば、 学校の形態は劇的に変わるかも知れません。

penichi
質問者

お礼

************************************ スケジュールに従って行動する。 説明を理解する 表現をする 机に向かって知的作業を根気よく行う ↑ ・納期がある ・人の説明を聞いて理解する ・人に説明をする ・机に向かって知的作業をする ************************************ ・・・ これは、非常にわかりやすい・・・。 学校には、数え切れないほど沢山の役割がありそうですね。 『社会人として必要なスキル』は、間違いなく重要な能力の一つでしょうね。  これからの学校 を考えるとき、なるほど、大人になったときに身につけていたい能力はなんなのか。  何を学校に期待するのか。  そこを考えの出発点とすると、よいのだなと思いました。 どうもありがとうございました!

その他の回答 (3)

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.3

基本的に、学校に行って授業を受けるという形は、義務教育までは変わらないだろうと思いますが、IT化が進んで、1人1台のPCを使った授業が展開されるだろうという気がします。先生が一斉に話をしてというよりは、コンピュータカリキュラムをこなしていき、理解できない生徒を先生がフォローするような形になるのではと思います。学力格差は、今以上に拡がりそうな気がします。

penichi
質問者

お礼

一人一PCは、 いかにも実現しそうですね。 また、ヘタな先生の話よりも、 コンピュータ画面で、よほど優れた、わかりやすい説明ができそうです。 そうすると、先生の役割というのも、変わってくるのでしょう。 どうもありがとうございました!

noname#140971
noname#140971
回答No.2

Q、未来の「学校」とは? A、教える重点が変わる。 「社会で成功するための教育」ではなくなります。 「社会を生き抜くための教育」に重点が移ります。 その場合の一番の変化は、中学校までのテストの位置付けの様変わり。 究極の変化としては、<テスト全廃>かと推察します。 これから、どんどんと家族が核家族化します。 これから、どんどんと離婚が一般化していきます。 ですから、「社会を生き抜く訓練の場」は家庭から学校の問題になるでしょう。 こういう家族のスタイルの変化は、当然に教育システムにも反映せざるをえないでしょう。 まあ、「社会を生き抜くための教育」は個々の家庭の問題から社会責任ということに。 なーんてのが私の考えです。

penichi
質問者

お礼

なるほど。家庭が今までの責任(役割)を果たせなくなり、 それが、学校にのっかると。 リクルートから和田中の校長になった 藤原和博さんが、まさにそのポイントについて論じていましたね。 「社会を生き抜くため」 に必要なスキルには、 例えば何があるだろう・・・。 それが、No.3で、お答えいただいたものですかね・・・。 どうもありがとうございました!

  • ryugarage
  • ベストアンサー率32% (77/237)
回答No.1

義務教育は家の中でも認められる法案もあります。校区制度が見直され、親や子どもが通いたい学校で自由に教育を受けることが出来るなら、インターネット等を利用して授業を受け、集団教育、体育や課外授業は地元の施設を利用して専門教員が指導、教育をしていくようになります。 地方自治において、労働力の流出を防ぎ、財源の確保を考えると、どの土地で生活基盤を置いても、自由に子どもたちを全国一律の水準で授業が受けられるようになるというのは何十年も検討されています。 そして、各学校での格差をなくし、文部科学省、教育庁の手が届くようにするためや、学校施設を子どもの増減で廃校や増設することなく、教員の質と量を安定させることも可能になります。 インターネットが完全に普及し、セキュリティーが万全で、そのための法整備が整えば、将来は学校に行くのも家で授業するのも自由になり、遠い地方の子どもたちと交流でき、親は教育のために生活基盤を変えることなく、自由な教育を受けさせることが出来ます。地方にとっては労働力確保のための教育施設を都会なみにそろえることなく、地元産業を計画的にバックアップできるようになります。

penichi
質問者

お礼

学校という「集合場所」から 自由になるという点に、納得させられました。 一方で、 (小学校の運動会を見ての感想ですが) 地域の人たちが作るコミュニティ  というウェットな役割も、学校には期待されているように思います。 自由だぞ → 寂しいな そういったところにも、興味が出てきました。 どうもありがとうございました!

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