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学校のハイテク化
安部総理は教育問題に熱心に取り組むそうですね。 以前から思っていたのですが、 数学・物理・化学など全ての高校、大学の授業からは 予備校みたいに、全国的に、教え方の上手い先生の映像配信授業とNHK・JSTのような 教育機関の動画を、学校の授業で生徒達に配信した方が、本当の理解が早く進むし、 良いと思いますがどうでしょうか?何か弊害がありますか? インターネットやスキャナ・デジカメetc情報機器が発達した今の世の中で、黒板などはもう不要なのではと思います。
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私は個人的には、使える技術はどんどん導入すべきと思っています。 すぐれた教育動画の配信、たしかに効果は上がりそうです。 その一方で、授業は、人の知恵を人に受け渡すことだと考えています。 「知恵」は「知識」と同じようで、違うものです。 やはり「授業」は「人(教師)」と「人(生徒)」との双方向コミュニケーションがあって、成り立つものだという気がします。 極論すれば、教育動画の配信は、「知識の一方方向への伝達」であるわけです。もちろん高い評価を受けている人のそれは効果はあるといえますが、生徒が学校へこなくてもできることです。(たとえばそういうメディアセンターを地域共同で作り、そこへいけばいつでも見られるようにすれば、配信効果が単純には広がります。) 知恵と知識の両方が蓄積されることで、人間はここまで進化してきたと思っています。いくらハイテク化されてもそれが知識の刷り込みのみでは「考える」「応用」「機知」という部分が育つとはあまり思えません。 黒板については、そういう物体はなくてもいいと思いますが、人が何かを伝えるのに、すべて電子化された文字や図形になってしまうのは、個人的にはちょっと寒いです。 前述したように、ハイテクはどんどん入れてほしいとは思います。慰安たーネットなどどんどん活用すべきです。そういう点では、現場はまだまだ遅れています。 しかしそれでも、自分の手で文字を書いて表現することは、たとえ国語の授業でなくても、なくなってしまうことは頭脳の機能が退化してしまう気がしてなりません。(根拠はわからないですけど)
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- Ama430
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>安部総理は教育問題に熱心に取り組むそうですね これは庶民の期待とは方向性がぜんぜんちがうので、注意してください。 だいたい出ていますが、すでに、テレビの情報番組は、学校ではとても太刀打ちできない予算とスタッフを使って、とてもわかりやすい「授業」を送信しています。 それらは学校自身も見習う点が多いのですが、やはり、重要な役割は、教室でないと果たせません。 その大きなひとつが「民主主義を学ぶ」ということです。 充分学び終わった大人同士なら、テレビ会議のようなハイテク技も有効ですが、とっくみあいのケンカから民主主義の初歩を学ばせるには、生身でないとできないでしょう。 また、コストパフォーマンスの問題もあります。 黒板は、結局一番安上がりなのです。
お礼
ありがとうございます。高校生くらいからなら、もう充分、大人かなと思います。 米百俵の話じゃないですが、コストについて、「教育」というものには、効果がある限り、他の何よりコストを掛けて良いぐらい非常に重要な分野だと個人的に思います。
- asaka3
- ベストアンサー率33% (85/255)
良い点は、ご理解されていると思うので、 弊害のほうだけ書かせていただきます。 児童生徒の思考力が落ちた背景に、 画像・映像刺激だけに頼っている点が指摘されています。 文字による脳の刺激はとても大事です。 それは科学的な分野でも同じ事です。 また、書くことの大事さも同様に指摘されていますが、 そうなると、カードや作られたプレゼンを見せるだけでは、 生徒の書く速度に対し、速すぎることが多いです。 板書やホワイトボードなどで、書く所を見ることで、 ただ書いてあるものを読むよりも効果が上がることも言われています。 また、論理的な思考をするために意見を検討する場合は、 その場で出た意見を比較できるようななにかにまとめていく必要があります。 全員に見られるように並べて提示する物として、黒板以外の物を導入して、 費用をかけるだけの効果があるかどうか。 スキャナ、デジカメなどはすでに現場でばりばり使われています。 ですから新しい点は映像配信・動画配信になりますが、 それも必要に応じて行われているのではないかと思います。 高校、大学の方が遅れているのかな? 知識の伝達だけなら良い方法だと思いますが、 科学は雑学ではありません。自分で新たに構築できなければ科学の進歩はありません。 先人の知っていたことを伝えるだけだったら、どうやって科学が 発達していくのでしょうか? 思考なしに科学の進歩はあり得ません。 教材配信だけでは限界があると思います。 最後に、科学的分野では現物にかなう資料はありません。 操作をして、初めて気づくこともたくさんあります。 画像映像では、においや温度は伝わりませんよね。 下でも出ていましたが、要は上手く組み合わせることと思います。
お礼
ありがとうございます。文字を読むこと、文字を書くこと、文字を書く所を見ることは、ハイテクになってもできることだと思います。 比較してまとめる事についても黒板でなく、動画のほうが比較するバラエティも増えるし、理解も進むと思います。 でも確かに、「現物に触れ、思考する」という教育上大切な作業は、忘れないよう気を付けるポイントですね。
- 7tsuki8kumo
- ベストアンサー率24% (116/468)
単なる知識の獲得のためなら、ハイテク技術を活用することも有効だと思います。しかし、教育が何故人から人で行われているかというと、教師の人間性を通じて、知識以外のものを得る場合も多いからです。正誤判断できるものは時間短縮になるでしょうが、理解のための一言などが教師からだけでなく、生徒から得られる事もあるでしょう。協力して問題解決したり実験する楽しさもあると思います。 アイザックアシモフの作品で、「学校」というものが存在せず、家庭でコンピューターを使ってのみの教育をえがいたものを読んでクラスでホームティーチングについてディベートをしましたが、社会性の欠如につながるのではという意見も多く出ました。画面を通して人と接するより、やはり直接対面する方が距離も近く、同じ授業を受けても印象が違うと思います。 映像配信などは授業で活用すると効果的な場面もあるでしょうが、学習者が単なる受信者にならないように考えていかなければならないと思います。 黒板については、ホワイトボードやプロジェクターに換える事も可能だと思います。
お礼
ありがとうございます。 学習者が単なる受信者になり、社会性の欠如になるのは、なるほどと思いました。 実験など「生徒自らの主体的な、人との共同作業」を、ハイテク授業と併用することが大切みたいですね。
- Y-N-S
- ベストアンサー率31% (5/16)
動画配信で学ぶスタンスは場所を選ばず時間を選ばず合理的ですね。 人件費も抑えられるし、理解が早いと思います。 映像ならば半永久的に使用できるのである程度予算をかけてグラフィックやCGを駆使した教材が作れるので便利です。 >黒板などはもう不要なのではと思います。 学校の片隅に置いておいて「あ、アナログな黒板だ! あはは!」というネタとしておくのも脳の活性化に良いかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 黒板は、本当に明治初期から使われていますが、・・・ある意味凄いですよね。
お礼
ありがとうございます。「知恵」ですね。 現在の教育が生徒の知恵を育てているとも思えませんが、 ”知恵を育てる”という大切なキーワードいただきました。 ハイテクと融合しつつ、どうすれば知恵が育つか考えてみたいと思います。