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学校教育の問題点:平等を謳いながらも階級社会となり個性を潰す
- 学校教育は本来、個性を作り出すための場であるが、現実には個性を潰す教育が行われている。
- 学校の本来の目的である個性を作ることに成功した生徒を、先生も一丸となって潰している。
- さらに、学校教育の仕組みは欠席者に対してフォローがなく、時代に遅れたものとなっている。
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質問者が選んだベストアンサー
対象が天才か凡人か、で分けるほうがよいのでは。凡人が対象なら少なくともはじめは個性化の必要はない。むしろ個性をなくす訓練が重要では。それでもなくならない個性はあくまで個人的にしか意味はない。つまり凡人は、公的には個性は出さないほうがよい。欠席した場合の対策については別のことでは。
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- guess_manager
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「学校は皆を平等にするためにあるはず」→誰が決めたのでしょうか。 「本来は個性を作り出すための学校」→誰が決めたのでしょうか。 どれも、そのような取り決めはどこにもありません。質問者様がそうであって欲しい、という願望ですね。 もちろん願望があることは構いませんが、現実にはそうではありません。 社会が平等ではないのですから、学校だけ平等のはずがありません。それに個性ばかり重んじていたら先生がめんどくさいので一律に同じサービスを提供しているのが現状です。税金は無尽蔵ではありません。 そして、ここは重要なのですが、こうであって欲しいと願う理想と、実際にはそうでない現実の中で、どうやって折り合いをつけていくか、あるいはそれをぶち壊すか、もしくはそこから逃げ出すか、変えてゆくか、その選択肢に迫られているのです。 質問者様は、その違いに気がついた、ということは行動のスタートラインに立ったということです。これにも気が付かず、惰性で今を過ごすよりもずっとずっと大変なことです。 ただし、これを評論家のように分析して心のなかで納得してしまう、これだけはおすすめしません。ぜひとも、この問題の当事者となって壁にアタックしてもらいたいと思います。
- SPS700
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1。題には、賛成です。 2。細部では、階級制度と知識の量の差とを混同されていると思います。先生、先輩、年長の兄、姉、などが経験が長いのは階級制度の差ではないと思います。 3。「日本の学校教育は先生が邪魔で時代に遅れている」と思うなら義務教育が終わり次第学校を辞めればいいと思います。 4。一週間も休んだ個人が遅れを取り戻す努力をしない場合「日本の学校は1週間も休むと不登校になるでしょう」のは、日本だけでなく外国でも当然です。 5。「欠席者に対するフォローがない」のではなくフォローは欠席者自信が成すべき義務だと言う自覚と常識が無いのだとおもいます。 6。「学校のHPに動画サイトを作って、毎日の授業を録画で良いので、欠席者が家からインターネットで見れるみたいなことを未だにしない」で済むなら学校は要らないと思います。 7。しかし、学校の不平等は、教育の商品化による、富裕層の買い物化し、有名教育機関の無批判な優遇が行なわれている点など多々あって、ご指摘の趣旨は正しいと思います。
平等と個性を履き違えている。
お礼
みなさん回答ありがとうございます