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夢を睡眠中に見る理由として納得行かない部分があります。
夢を何故見るのか、何のために見るのか、という理由において、納得行かない部分があります。 ここで言う夢とは、願望・希望の事ではなく、睡眠中の体感現象を指すものとします。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2 wikipediaを覗くと夢を見る理由として、 > 夢を見る理由については現在のところ不明である。 夢の存在意義を定めようとする説はさまざまあるが主に > > * 無意味な情報を捨て去る際に知覚される現象 > * 必要な情報を忘れないようにする活動の際に知覚される現象 > > の二つが有力である。 とあります。 仮に上記が正解だった場合、そして、私が考える仮定が正解であった場合、私はこれは違うのではないかと思うのです。 正解かどうか不明な仮定に回答は頂けないのを承知で書きますが、仮定の上での回答をして頂けるのであれば教えて頂きたく。 1. 以下、私の推測の羅列ですが・・・。 ・原始的な記憶の喚起 ・原始的な状況の把握・注意喚起 ・原始的な思考・認識 といった、脳の働きが低下している時の脳活動の認識が夢を発生させているんじゃないかと思うのです。 よく体調が悪い人で、夢か現実か区別が付かない、という人がいますよね? これは脳の血流が悪いときに正確な認識が出来ていないんじゃないかと。 そして夢を見ている状態になってしまうんじゃないかと思うのです。 これは正しいでしょうか? 2. 上記が正しいとした場合、「夢の理由」を理由付ける場合、 願望・記憶の焼付け・記憶の取捨選択の為に、脳活動が低下して夢を見る、という意味合いが含まれてしまっているようなwikipediaのニュアンスに納得が行かないのです。 脳活動が低下した結果、夢を見て、願望・記憶の焼付け・記憶の取捨選択が起きた、という順番が正しいと思うのですが、この論法に誤りはあるでしょうか? 簡単に書くと、 ×:願望・記憶の焼付け・記憶の取捨選択→脳活動が低下して夢を見る ○:脳活動が低下した→夢を見る→願望・記憶の焼付け・記憶の取捨選択が発生 と考えており、wikiの説明は夢を見る理由足りえない。 蛇足かもしれませんが、一応書いておくと、wikipediaの書き方の場合、キリンは高い草を食べる為に首が長くなったと書いてあるように思えるのです。 現在はキリンの例はそうとは見られておらず、首の長いキリンがたまたま生まれて生き残った。 同じように、たまたま夢を見る人間が生まれて、それが生き残った。 いや、哺乳類は夢を見るそうですから、正確に書けば、 同じように、たまたま夢を見る「哺乳類」が生まれて、それが生き残った。そして人間に進化した。 という感じで、夢を見る理由として目的が先に書いてあるのが納得行かないのです。 ここら辺の研究で現在どのようになっているのか、あるいは参考となる書籍をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。 変な質問で大変恐縮ですが、宜しくお願い致します。
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こんにちは。 > 無意味な情報を捨て去る際に知覚される現象 > 必要な情報を忘れないようにする活動の際に知覚される現象 このようなものは明らかに古い解釈だと思います。 このwikiの説明はフロイトから1980年代までに提唱された諸学説に基づく解説であり、まだ記憶というものの生理学的構造がきちんと判明していませんでしたので、この頃は専ら「夢の生物学的意義」といったものが何かと持て囃されました。ですが、現在ではこれに対しまして、果たして「我々が見る夢に妥当な目的は成立しない」という考え方が主流であると考えます。 「夢」といいますのは主に中枢神経の働きによるものです。では、この中枢を始めとする我々動物の「神経系の役割」とはいったい何かと言いますと、それは「知覚入力(外部情報)に対し、記憶情報(内部情報)を基に与えられた状況に対応する」ということです。 「状況に応じた正しい行動を選択できる」 これは、起きているときであるならば立派な「生物学的意義」が成立します。ですが、動物が「寝る」というのは神経系を休ませるということです。ならば、ここで栄養エネルギーを浪費するというのはどう考えても生物学的利益に反します。 生物学的利益が存在しないのに、どうして進化を遂げたのか。このため、従来の古典心理学では「人間は何故夢を見るのか」といった問題の解明に論議が寄せられたのではないかと思います。 ですが、この「何故夢を見るのか」という問題を生理学的に解釈するならば、それは寝ているときでも我々の脳の活動が完全に停止することはない、という説明で簡単に片付いてしまいます。そして、寝ている間でも脳に通電しておかなければならないないというのは、これがほとんどの動物で絶滅の原因とはならなかったということですね。 このように、我々が夢を見るということに特に生物学的な意義は必要ありません。では、ここでどうしてその「目的・意義」までが否定されなければならないのでしょうか。 質問者さんのお使いになる「原始的な」という言い回しは、これは「生理学的構造に基づく」というのでいかがでしょうか。我々の脳内ではこの神経系の生理学的・解剖学的構造によって様々な役割が機能分化しており、神経信号はこれを伝わって必然的に結果を出します。では、そんな単純に必然的な結果だけではなく、我々人間には「自分の意志・思考」というものがあるではないかということにもなりますが、果たしてこの「意志・思考」といえども脳内にそのための「構造」が存在するために成立するものです。 このように「原始的な」という言葉は「構造的な」という解釈にしますとたいへん使いやすくなると思います。また、同じ生理学的構造でありましても、「学習記憶」といいますのは後天的な構造ですから、ここで原始的という表現では少々都合が悪くなる場合もあります。 さて、我々の脳内で「記憶の選別」といいますのは、その全てが「神経回路の選択的反応特性」によって行われるものです。恐らく、30~40年前ではこのような解釈はほとんど使われていなかったと思います。 記憶の想起とは必ずや何らかの入力信号に対応して発生するものであり、その重要度といいますのは記憶回路の「選択的反応特性」によって決定される結果論です。「結果論」とはどういうことかと申しますと、その記憶情報が重要であるかどうかかは本人が決めることではなく、たまたま反応特性の強い記憶回路が形成されたために、それが頻繁に思い出されるようになるということです。 このように、記憶の重要度といいますのはその回路の反応特性の強さによって決まるものです。そして、「記憶回路の反応特性」とは、繰り返される入力信号により、回路を形成する「細胞同士の横の繋がり」が強化されることによって獲得されるものです。 これがどういうことかと申しますと、その重要度といいますのは「記憶形成の過程」で決定されるものであるということです。ですから、我々は大切な情報に注意を振り向けることによってそれを行うことができます。ですが、一旦出来上がってしまった記憶に対して何れが重要であるかを選別する機能といいますのは我々の脳内には存在しません。記憶情報といいますのは単なる並列回路なのですから、外から見ただけではどのような情報が保存されているかは一切分からないからです。 もちろん、記憶を再生してみればどんな情報であるかは分かります。ですが、本人にとって重要であることと生物学的に重要であるかどうかは全く別の問題です。ならば、何が重要であるかどうか分からない情報が夢の中で選別され、整理・廃棄されるというのは、これでは記憶を司る我々の脳の生理学的構造とまるで矛盾してしまいます。 では、脳内に記憶の重要度を選別する機能が存在しないのであるならば、どうやってそれを思い出すのかといいますと、我々が正しい答えを見付けることができるのは、これは即ち外部入力に基づいて検索を行うならば反応特性の最も一致するものが必然的に引っ掛かるからです。これが質問者さんの仰る「原始的反応」、即ち「記憶の生理学的構造」です。 このように、起きているときであれ寝ているときであれ、我々の脳は再生されていない記憶情報には判定を下すことができません。そして、それが再生されるためにはその回路の反応特性に見合った必ずや「外部入力」が必要となります。では、我々の脳内で記憶の再生を行っているのは外部入力という「他律的要因」です。従いまして、我々は自分の意志によって特定の記憶を思い出すということは基本的にできないわけです。 このため、脳内には記憶想起の切っ掛けとなる「手掛かり記憶」や「連想記憶」というものが作られます。我々はこれを使うことにより、論理的に矛盾のない情報を選別しています。これが「原始的な喚起」ですね。 これを「自然連想(自由連想)」といい、我々の意識の中で行われる思考とは全てこの流れによるものです。そして、夢といいますのは生理学的には決して特別なものではなく、それは起きているときと「原始的(構造的)に同じ心理現象」ということになります。 最初に確認致しました通り、我々の脳は寝ているときでありましても神経細胞の発火は無作為に発生します。ですから、これが記憶の喚起の入力となりますので自然連想は夢の中でも起こります。そして、寝ているときは環境からの情報入力がほとんど遮断されていますので、目が覚めてしまえば「必ずや現実と一致しない」というのが夢の決定的な特徴となります。 wikiの説明にも書いてありましたが、「フロイトの夢分析」といいますのはその後大幅に変更されることになりました。フロイトが予測しましたのは現代人の脳に内在する「性的道徳観」というものです。これはこれでたいへん画期的な研究ではありますが、既に現在に至ってはそれが「大脳辺縁系の情動反応」であり、そこに学習獲得されるのは性的道徳観ばかりではなく、生後から生涯に渡るありとあらゆる個人体験がそのひとの人格として形成されるというのが解剖学的に解明されてしまいました。このため、果たしてフロイトの理論といいますのは生理学的にも改正は避けられなかったということになります。 記憶の重要度といいますのは神経回路の反応特性によって決まります。このため、我々は自分の意志で記憶を操作することはできません。 もし、自分の意志でどうにかなるのでしたら、 「これは重要だから覚えなさい」 先生が授業でそう言ったら忘れる学生はいないはずです。 ですが、 「これは覚えなさい、テストに出します!」 このとき、我々の脳内には「テスト!」という言葉に対して大脳辺縁系に情動反応が発生します。 「やや、それは大変だ!」 この情動反応は中枢系に対して上行し、脳内に神経伝達物質の一斉投射を行う経路を持っています。これにより、知覚系の注意状態が移行され、記憶系の連合野でも覚醒状態が一気に亢進されます。つまり、我々は自分の意志で覚えたのではなく、「テスト」という言葉によって覚えさせられたということになるわけです。 自然連想として意識に再生される記憶といいますのは、このようにして決定された優先順位を持っています。このため、夢に現れる事柄を分析しますならば、そのひとの関心事や状況を割り出すこともできるということになります。 「夢は抑圧された願望である」というのは、これは心理学というものを過大評価した大げさな解釈です。何故かと言いますと、これは全く当たり前のことでありまして、欲求といいますのは実現されないのであるならば、それは果たして必然的に抑圧であるからです。 例えば、遠足に行きたいという願望を抱いたとしましても、実際には遠足の日にならなければ欲求は実現されません。ですが、夢には「現実という制約」がありませんので、子供は遠足の夢を見ることができます。 ですから、これをいちいち「抑圧された願望」などと定義する必要は全くないわけです。抑圧が発生するのはそれが現実だからであり、果たして夢の方には現実という制約がありません、ただそれだけの話です。このため、子供はそのときの一番の関心事である遠足の夢を見ます。 試験の夢など見なくないのに出てきてしまうのは、これは記憶というのが自分の意志では操作することのできないものだからですね。 回答と言いますよりは問題をいじくり回しただけになってしまいましたが、質問者さんがご指摘をなさいますように、我々の脳内の心理現象といいますのは「原始的」、即ち「構造的」に起こるものです。これは謂わば現在の脳科学における主流の考え方であり、従来の古典心理学の学説といいますのは果たして軒並みに変更を迫られているというのが昨今の実情です。wikiの記事といえども鵜呑みにしてはいけないです。
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- ruehas
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こんにちは。 #4です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。 たいへん恐縮ですが、「個人的な興味」から脳の勉強を続けており、自分の知識を高めるためにこのサイトに参加しています。そもそも生理学を専攻していませんので専門家ではないです。そして、論文を書いて認定されたこともありませんので、私には出版をしたり公表をしたりする資格がありません。このため、回答は全て「参考意見」ということになります。 ですから、仮に個人の意見と突っ込まれても反論はできないです。ですが、もし質問者さんがご自分の言葉でそれを誰かに説明するとしますならば、その根拠のひとつひとつがしっかりしてさえいれば、それは「個人の立派な意見」として評価してもらえるはずです。逆に当初、質問者さんがwikiの解説に疑問を投げ掛けたのは、これは権威による信憑性を鵜呑みにしない、冷静で毅然とした姿勢だったと思います。 投稿された質問にきちんとした答えがあるならば自分の知識や手持ちの資料から引用をすればそれで良いのですが、そうでない場合は何らかの根拠を探して問題を解かなければなりません。解けないならば回答はできませんが、幾つかの事実を組み合わせるならば結論の出せるものがあります。脳科学といいますのは一般情報がまだ希薄ですので、私の回答がしばしば何処の書籍にも載っていないようなものになるのはこのためです。 ですが、少なくとも用いるものは全て必ず根拠を確認するようにしているつもりです。このため、このサイトに参加していますと自然に情報が集まってきます。自分の鍛錬のためですから、補足要求を頂きましても一切の負担にはならないです。 夢に就いて調べましたら、「自由連想仮説」というのが見付かりました。 そもそもこのご質問はwikⅰの「夢仮説の解説」から始まっています。夢に関する仮説は他にもたくさんありますが、この「自由連想仮説」は年代的に新しく、手法としましても他の仮説とは一線を画しています。そして、この他の古典心理学における仮説と異なる特徴といいますのが、果たして現在の脳科学の認識と最も良く一致します。 加えますならばこの「自由連想仮説」は、「記憶の想起とは神経回路の選択的反応特性に対応する」という生理学的構造を予測、あるいは網羅していると思います。また、「神経回路の選択的反応特性」というのは武田晃・著「脳と物理学」で学びました。 http://jssr.jp/kiso/hito/hito10.html 「澤口俊之」という博士が「わがままな脳」という論説を展開しています。 本文か解説かは忘れましたが、 「脳というのは常に安静覚醒状態に戻ろうとする性質がある」 と述べられていたことを憶えています。 脳といいますのはたいへんな栄養エネルギーを消費しますので、これは「省エネ」というわけです。ですが、それが脳の性質であるとするならば、ここでもっと重要なことは、100%正確な結果を出してきっちり停止するコンピューターとは違い、このような「自然に安静状態に戻る機能」というものが備わっていなければ脳は間違いなく暴走してしまうということです。たいへんですよね。 細かい説明は省きますが、このように脳の構造といえどもそれは「生命維持」を優先して形成されるべきものであり、夢を見るために進化したとはちょっと考えにくいというわけです。 きちんとした資料提供ができなくて申し訳ないのですが、他にも概ねこのような論説を基に「我々が見る夢に妥当な目的は成立しない」という結論を出しました。そして、これは「生理学的構造に対応しない現象は概念として扱うべきである」という現在の脳科学の基本的な手法に従うものです。 従来の古典心理学といいますのは「外に現れた心理現象」から脳の構造を予測するのがその目的でした。ですから、そこには「夢の生物学的意義」を説明し、分類する必要があったわけです。ですが、現在の脳科学とはその「内部構造」を生理学的に解明することであり、今後、夢の研究といいますのはこのような方向に修正されてゆくものと考えます。
補足
素早い回答を頂き、ありがとうございます。しかもほぼ即答で・・・。 >冷静で毅然とした姿勢だったと思います。 いや~、お恥ずかしい限りで・・・実は個人的に納得・理解できなかっただけなんですよ。インターネットサーフィンを物見遊山的にしていた時に、ムム? そりゃおかしいだろうと。 丘サーファーならぬ「山」サーファーからwikipediaという海にケチつけたような形でしたので、そんな高尚な疑問では無かったのですね・・・(恥)。 >自分の鍛錬のためですから、補足要求を頂きましても一切の負担にはならないです。 さいですか。ですがご好意を受けるようなものに甘えるのもなんですので、私から投げる質問の時には気をつけようと思います。 そして、結論(飽くまで私個人のものですが)が自分の中で納得できてすっきりしました。 ・夢とは生命維持に対する目的が無い。 ・何々の夢を見た、これはどういう意味だろう、と考えるのは意味が無い。 ・夢とは生命活動の副産物である。 ・夢とは生命活動のおまけでもある。 QAサイトでは、納得いかない回答を頂いたまま質問をしぶしぶ締め切る事も多々あるのですが、非常に良質の回答を頂きまして、本当にありがたい限りです。 改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
- ruehas
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こんにちは。 #3です。何時も回答をお読み頂き、ありがとうございます。 >余分なオプションかもしれないけれども取りあえずは機能として遺伝的に残ったよ、と捉えてしまいました。 はい、これは間違いなく私の説明不足に責任がありますね。 >この説明ですと生物に神経細胞の発火現象が遺伝的に残ったという直球の理由には遠いような気が致します。 仰る通りです。 それは明らかに違います。 ですから、 >こちらは、通電が生き残りの為の必要なオプションであった、と解して宜しいでしょうか? はい、ゴメンなさい、これはちょっと待って下さい。 何とご説明すれば良いか色々と考えたのですが、 それは生き残りのための生命戦略として選択されたものではありません。 どちらかといいますならば、それは我々が生きているがため「通電という浪費が発生する」という解釈を執るべきではないかと考えます。ならば、それは生きていることの証なのですから、この浪費のために存続の道を絶たれてしまった生物というのは、恐らく長い進化の歴史の中にもいなかったはずである、ということですね。 >とあり、そうか、夢はこの生体反応の産物なんだ、と思ったのですが、 >それでは神経細胞の発火はどうして起こるのかと言った時に、 夢というのが生命現象の副産物であるという解釈を確認する必要はないですね。 では、意識とは何のためにあるのか。 神経細胞の自然発火はいったい何のために発生するのか。 このようなものはたいへん高度な論議でありますから、専門家でもおいそれと結論の出せることではないと思います。 ですが、ここでは少なくとも、 寝ているときは意識が発生してはならない。 神経細胞の自然発火は起こってはならない。 このように決め付けてしまう理由は特に何処にも見当たりません。 このような生命現象が発生してはならないのは、それは寝ているときではなく、我々が死んでいるときです。ならば、従来の心理学のような、それは人間が夢を見るためであり、夢には何か特別な役割がなくてはならないという哲学的な拘りは、果たして本末転倒ということになるのではなかいと考えたわけです。 前回の説明ですと、神経細胞の自然発火があたかも意識を維持するための構造のように思われてしまいますね。質問者さんのご指摘で後手に回りましたが、視点の方をもう一度整理してみます。 「通電の必要性」というものを検証するならば、ここで論議されなければならないのは、それは「何故、夢を見るのか」ではなく、「何故、脳は夢を見られる状態でなければならないのか」ということです。 これは例えばの話ですが、眠るときに不必要な機能を停止させるというのは、これはきちんと生物学的な利益に適っています。ですが、そのために覚醒状態に戻るための機能までも停止させてしまうというわけにはゆきません。眠ったら最後、二度と意識が戻らないというのでは、これは「脳死」であります。 死んでいることと眠っていることの違いとは、再び目を覚ますことができるかどうかということです。従いまして、それは基本的には生命活動を維持するための機能であり、我々が夢を見るために作られたものではありません。 このように、我々の脳内には「夢の必要性と一致する生理学的構造」というものが何処にも見当たりません。ならばこのような場合、それは生命活動の副産物であるとして扱うのが脳科学では基本的な手法となります。
補足
本当に遅くなってしまいましたが、御礼申し上げます。 丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。 夢は生命の副産物なのですね(余剰物とでも言うべきか)。 この辺りの事が分かって非常にすっきりしました。 そして、普段見ている夢がどうして脈絡の無いストーリー仕立てなのか、人が共通した夢を見るのは何故かという根幹的な見方も少し分かったように思います。 毎度ですが素晴らしい回答を頂いて恐縮です(一般人じゃないですよね? この辺りの分野は既に出版とかなされているのでは・・・と邪推しました)。 まだこちらの質問をご覧になられているのであれば、一つだけお願いがあります。 この結論は、研究、あるいは書籍によっているものと思うのですが、どこで発表されたものかを教えて頂けないでしょうか? 例えば、これを論拠に他の人に話したり、あるいは件のWikipediaを編集・修正する際に「論拠はQAサイトの回答です」というのはいかにも弱いのです。それは確かにもっともらしくはあるが、飽くまで個人の一意見という可能性が捨てきれないのではないかと突っ込まれて終わる為です。 勿論、御礼も遅れてしまったのでこんな事は基本的には言えませんが、私の個人的我がままですので、ruehasさんのご負担になるのであれば不要です。 p.s. ロマンを排し答えを求めて質問した結果、具体例を提示して頂き、私の中で得られた回答が更に別のロマンになっていたとは。
wikiでは次のように書かれています。 >夢の存在意義を定めようとする説はさまざまあるが主に… 私はこの意味を次のように理解しました。 「夢の効果はさまざまあるが主に…」 日本語で何故と質問を立てたとき、その答え方は大きく2通りあるのではないでしょうか。 ひとつは意味的な回答、二つ目はプロセス的な回答(発生メカニズム的な回答)。 wikiでは意味的な理由を掲げているのに対して、質問者様はプロセス的な観点から述べているように思われます。 夢という現象が発生する生態的メカニズムの説明としては質問者様の意見に賛成しますし、そのように発生する(現象する)夢の意味(効果)としてwikiの説明も理解しうるものです。 同じように「夢」という現象の理由を求めるのに、wikiと質問者様は違う切り口で臨んだだけであるのではないでしょうか。 余談:キリンの話は、進化論の変容として有名ですよね。 確か古い時代の進化の考え方は、高い木の葉を食べるためにキリンの首は伸びた(獲得形式は遺伝する)というものでしたが、近年ではこの考え方は否定されつつあり、突然変異により長い首をたまたま獲得したため他の動物種と食料確保のために争うことが少なく容易に環境に適応できたキリンが種として存続している(獲得形質は遺伝しない)という説明が主流と聞いています。 これも発生のメカニズムとか進化のメカニズムという切り口のみで語られています。
補足
回答ありがとうございます。 >夢の存在意義を定めようとする説はさまざまあるが 「夢の存在意義」とあるので、私はここを「なぜ夢は存在するのか」と捉えました。 煽っているわけではないのですが、私は上記のようにしか訳せません。うーむ・・・。 そもそも夢の意味を問う事が、サイエンスを超えたロマンのように感じるのですね。それが違うんじゃないかと。 皆既日食は何故起こるのか? という問いに、 ・月が太陽と地球の間にはさまれて・・・ という理論的な観点ではなく、 ・神がお怒りになられているから・・・ といった心情的な観点からの観測で、その「意味」を探ろうとするのは違和感を覚えるのです。 もちろん、文学などでこれを述べるのはおおいに結構で、そうした意見も私は楽しみたいのですが、あくまでwikipediaの記述では、その記事の流れからするとサイエンスからの観点から述べるべきなのではないかな、と思うのです。
- hakobulu
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研究の状況や参考図書については知識を持っていませんが、一素人の感想として少しお邪魔します。 夢というのは脳が記憶のデータベースを整頓する際に、余剰的に派生する現象である。 とWIKIは言っているように見えますね。 私にはそれを否定する根拠とてありませんが、WIKIの言うとおりだとすると、人は常に必要な情報のみを整頓して保管していることになりますが、どうもそういった印象はもてません。 (トラウマやフラッシュバックといったような現象が説明しづらくなると思う) booterさんは、 「脳の働きが低下している時の脳活動の認識が夢を発生させているんじゃないか」 と思うわけですね。 そして、両者の違いを ×:願望・記憶の焼付け・記憶の取捨選択→脳活動が低下して夢を見る ○:脳活動が低下した→夢を見る→願望・記憶の焼付け・記憶の取捨選択が発生 のようにまとめています。 脳活動の低下というのは、交感神経を休ませ、交代に副交感神経が主導権を握って脳が休息モードに入る、ということを指しているのでしょう。 脳が休息モードに入ることによって夢という現象が現われるのは、そのとおりと思います。 覚醒時には意識が幅を利かせているわけですが、休息モードに入ると意識も休憩に入り、結果として意識によって無意識下に押さえつけられていた記憶が浮かび上がってくる。 これが夢だと捉えています。 「脳活動の低下」がまず最初にあるのは自然だと思いますが、しかし、WIKI がそのことを否定しているようにも見えません。 私がWIKIの解説に違和感を覚えるのは、睡眠が情報の取捨選択のためにあるかのように書かれている点です。 そして、その過程で『派生的に知覚されるのが夢である』と言っているようにみえる点です。 夢は毎晩必ず見ているもので、目覚めたときに記憶しているかいないかの違いがあるだけです。 意識無意識の領域に拘らず、覚醒時に強く印象付けられた事柄は、夢として睡眠中も再現されるだけのエネルギーを持った記憶である。 ということではないか、と思います。 その強い思いを仮想的に実現することで内部にエネルギーを溜め込まないようにし、精神の安定を図ろうとする意図を持っているような気がします。 私としては、もし地上に(高い)木というものが全く無ければ、「たまたま」にせよ首の長いキリンは生まれていなかったのではないか、と感じます。
補足
御礼が遅くなりましたが、回答ありがとうございました。 違った角度からのご意見ありがとうございます。参考になりました。 >意識無意識の領域に拘らず、覚醒時に強く印象付けられた事柄は、夢として睡眠中も再現されるだけのエネルギーを持った記憶である。 ということではないか、と思います。 なるほど、一歩考えが進んだように思われます。 >私としては、もし地上に(高い)木というものが全く無ければ、「たまたま」にせよ首の長いキリンは生まれていなかったのではないか、と感じます。 私のうろ覚えの進化論では、突然変異でキリンの首が長くなり、首が長くなった種族だけたまたま生き残れるようになったので、現在のキリンは首が長いものしかいない、という事だったと記憶しているのですが・・・ちょっと自信ありません。 ですので、 >もし地上に(高い)木というものが全く無ければ、「たまたま」にせよ首の長いキリンは生まれていなかったのではないか という考えにおいては、 もし地上に(高い)木というものが全く無ければ、 →突然変異で「たまたま」首の長いキリンは生まれたが、 →生存環境に適した体型ではなく、淘汰されていた。 と考えます。
補足
回答ありがとうございます。&お久しぶりです。 「何故明日やろうと思うのか。「面倒」の心理について。」の回答を過去に頂いて以来ご無沙汰しておりました。 再度回答を頂けるとも思ってもみず。 今回もエッセンスのみを凝縮したど直球どストライクな回答ありがとうございました。 どこで勉強されているのですか? 本当に感服致します。 学問の為の回答ではなく、本当の意味での知識欲求に応える為の学問的回答を頂き、私のような素人に回答して頂いてなんだか毎度ありがたいやら申し訳ないやらの気分です。 回答を拝読致しました。 大体は飲み込みましたが、夢を見る理由を遡った時に疑問に思う点があります。 >最初に確認致しました通り、我々の脳は寝ているときでありましても神経細胞の発火は無作為に発生します。 とあり、そうか、夢はこの生体反応の産物なんだ、と思ったのですが、それでは神経細胞の発火はどうして起こるのかと言った時に、 >寝ている間でも脳に通電しておかなければならないないというのは、これがほとんどの動物で絶滅の原因とはならなかったということですね。 が説明の部分だと思います。ただ、言葉の揚げ足取りをしていてイジワルな言い方かもしれませんが、 通電しているから生き残った、という事を明示しているのではなく、通電してても絶滅しなかった。 余分なオプションかもしれないけれども取りあえずは機能として遺伝的に残ったよ、と捉えてしまいました。 この説明ですと生物に神経細胞の発火現象が遺伝的に残ったという直球の理由には遠いような気が致します。 こちらは、通電が生き残りの為の必要なオプションであった、と解して宜しいでしょうか?