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知ること、知ったかぶること。
このコーナーですが、 どーも、知りもしないのに回答する人が多いような気がします。 全く見当ちがいの思い込みで根拠なしなのに自信たっぷりに 書かれてたり、嘘800が書かれてたり、浅い知識で決めつけたり、 ただ、検索エンジンの検索結果だけが書かれてたり。 質問する側が、辞書引く手間を惜しんでるだけっていうような 質問も見受けられるので、そのへんの影響もあるんでしょうか。 ここって知識の有効利用をする場であるとともに、 いろいろな見解を見れる面白い場でもあるんですけど、 上記に列挙されたような知ったかぶりな人々はどうして、 無駄に意見を披露したがるんでしょう? ここは公開の場なので、そういった人々の存在を認めなければ ならないことは確かです。なので、これは非難のつもりで書い ているわけではありません。 なぜ、そういった人々が発言をやたらにしたがるのか、 そのへんの意識の仕組みについて不思議を感じるので、 そのあたりの謎を解明できればなぁ~ という意味の質問です。 主旨を御理解頂いて、回答頂ければ、と思います。
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うーん、難しいですね。はみだす部分ですか…。 この哲学カテゴリーに関していえば、「哲学という学問の性質を捉えていない」ということがありうると思います。 といっても、これにも「回答者の心理」に還元しきれない部分というのはありまして、それは「哲学という学問の性質そのものの曖昧さ」であろうと感じます。哲学って、何でもアリでしょう。数学っぽい質問だって、文学っぽい質問だって、心理学っぽい質問だって、何でも飲み込んでしまってココに置かれても不自然な感じがしない。なにしろ「ドラゴンボール…」という質問までが、いまだにこのコーナーに転がってるくらいですから。誰も文句を言わないという…(^^; 哲学カテゴリーの常連客(いるのか?そんなの)は、よほど心が広いか、のんびりした人たちなのでしょう。「ま、いいんじゃない?」みたいな。(だから置いときましょう!>「ドラゴンボール」) で、問題となりますのは、そういう部分ではないわけです。「人」の問題。 扱いにくいですね、実に。というのは、上に述べたように哲学って何でもアリですから、非常に幅の広い参加スタイルが許されてしかるべきだと思われるからです。対照的な例を挙げれば、「法律」や「医療」のコーナーなどは「いい加減なことは書けないぞ」的雰囲気があるはずです。そりゃ、なきゃいかん。これに比べれば、哲学コーナーは実にリベラルです。真面目に語りたければ語ればいいし、遊びたければ遊べばいい。 が、しかし、問題は「哲学という学問そのものが遊びである」とでも捉えているかのように感じられる人がいる、というあたりでしょうか。哲学という場で議論されていることの内実を真摯に受け止める能力がないか、あるいはそうしようとしない人がいるとしたら、そういう人から見ると「真摯な質問や議論」も「遊び」も区別がつかないことになるでしょう。すると、その場の雰囲気にそぐわないチャチャを入れたりすることも起こってくる…。前回述べたように、これはご遠慮願いたい。 あとは…そうですね…「ちょっと背伸びしてみたい」っての、あるかもしれません。かく言う私にもあります。大学で専攻していたために、たまたま色々な資料が手元にあります。で、前回書いたようにそれを参照しながら書いています。それで、このserpent-owlなる邪悪な名前の男は、その実体以上に「偉そうに」見えているかもしれません。あたかも、ある意味でウデのよい蕎麦屋が、一匹の海老を四本に裂いて、巨大なコロモをつけて立派な海老天を作り上げ、まるまる一匹分の海老天だと信じて口に入れた客が、そこで初めて「サギだ」と気付くような、そんな巨大なコロモのように。(長い比喩だなー) 要するに、「誰かの役に立ちたい」という思いと、「ちょっと背伸びしてみたい」という思いとが重なり、そこに客観的知識や信頼に足る資料の裏付けが伴わない場合、「知ったか回答」が生じてくる…そういうことではないでしょうか。 なお、前回書き忘れたことがあります。オフラインで書いてても書き忘れるんですね。アタマポリポリでございます。 それは、「短い言葉でまとめるには、長く書くよりも時間がかかる」ということです。 ご覧のように、私の文章は長いです。過去の履歴を参照していただいてもけっこうです。長いです。少なくとも、平均よりも。 ムダが多いんですね。まあその、ムダな部分を楽しんでいただければなどという勝手な思いもあるのですが、やっぱこれはかつての「ニフティ癖」が抜けないせいでしょう。 短いに越したことはないです。やはり。それはもう、自戒しちゃいます。 その点、oni_ocさんは「かつての日経mix型ネットワーカー」として高い技量をお持ちと見えます。特にこのスレッドでの流れを見ると。彫刻家が微妙にノミを振るうように、着実に問題点の中心を明らかにしてこられたと見ています。 では、ご批判を仰ぎます。
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- bangbangbigaro
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よくわかんないけど、30件も回答が帰って来るのはすごいっすよ。 はじめて見ました(まだ1ヶ月弱しかやって無いけど)
お礼
そうですね。非常に有り難いことですね。 ただ、思うのは、この「教えて!goo」または「OK Web」においては、 質問内容がある程度抽象的であるほうが回答が返ってきやすいようなので、 こういう回答数になっているというようなこともあるように思います。 誤解をしやすい質問であればあるほど、回答が集まるような気もします。 そのへんは、結局自分自身に返ってくるところでもあるので、 真摯に受け止めねば....とこのところ思うわけでもるんですけど。
- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
???! 何故、怒っているのか分からないのですが、なんにせよ、『哲学』に生産(結果)を求めるのはらしくない事です。考えること自体が大切です。又、『衝動の起源』を知りたいという気持ちは私にもあります。ですから、わたしが、この質問に対して『無益』だなんていうことはありません。 >人間関係とは、 感情が無意味に動き、ただの化学反応並みの関係しか築けないものとの結論に辿り着くのではないか? そうではないことは、あなたもよく分かっているはずでしょう。 しかし、その化学反応を、私たちは熱望したり、拒絶したりする(化学反応)わけです(ここに衝動の起源の存在が考えられる)。『化学反応』が今の『私』たちにとって、かけがえのないものである事は間違いない。 又、よくあなたは、「『意味』がないといけない」と言うが、そんなことはない。 >心理学的、または哲学的考察によって・・・・ 心理学と哲学は違うものです。 話は又始まりますが、 >そのへんの意識の仕組みについて不思議を感じるので、 そのあたりの謎を解明できればなぁ~ この、「なぁ~」もあなたの知りたい謎のパターンに入っているので、最初の意見を投稿したのです。 >あなたは、相関関係自体も否定することになる。 そうすると、この世の生きとし生けるもの感情は全て無意味となる。 だとすればあなたはなぜ、無意味な行動を繰り返すのでしょう? なぜ、このような人間関係の問題に 口を挟まれるのでしょうか?哲学に興味を示されるのでしょうか? 生産的だとか、意味がないといけない、などの次元では『衝動の起源』を哲学的に考えるにあたっては話にならない。 相関関係のみが存在している状態だと、『自』の所在が明らかにならないので、その存在すらわからない。「相関関係」を認識しているということは、そこに『自』という相関関係に左右されないものの存在があるといえる。 口を挟むのは口を「挟まれ」たいから挟んだんです。 挟んだので回答を出すと、「遺伝子がそうさせる」のではないかと思います。殺人者の遺伝子というのもあるので、『知ったか』の遺伝子もあってもおかしくないと思います。ですが、この回答は哲学カテゴリにはふさわしくありません。哲学は悩みを解決するためにあるのではないのです。ですから、もっとピシッとした科学的回答が欲しいのなら、別のカテゴリに質問しなさい。心理学のカテゴリもありますし。。。
補足
生産でまずけりゃ、前進でも進歩でも、前向きでも構いません。 ただ、あなたの論法は無限連関し、前に進まないと言っているのです。 哲学に答えはないとおっしゃるが、答えがないことを肯定し、 答えがないことを答えとしたら、考えること自体が無意味ではないですか? と言っているのです。 だとすれば、答える必要などないでしょう。 あくまで、その論法にこだわるのなら、それは御自分が御自分の 思考停止を肯定しているだけのことにすぎません。 あなたの論法は、 「自分にわからないものは存在しない」というものです。 だったら、あなたは原子力発電所の仕組みを知らないのだから、 この世に原子力発電所は存在しないことになる。 以上。
- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
何度もすみません。 >書くことが必要だと思われる理由、もしくは、それにより、 あなたが何を導きだそうとしているのかをお書き下さい。 理由はこうです。自身の行動を起こす「衝動の『起源』」を科学的機材を一切使わずに、究明できると、自信たっぷりに知ったかをしたがる人の『衝動の起源』を考えるにあたり役立つと思うからです。あなたの質問は、「何故、自信たっぷり・・・・したがるのか?」でしたので、「それをしたがるのは、こういう事の存在が根底に考えられるからだ」という風に答えるのがふさわしいと思ったからです。 その衝動がどこからきているのか?あなたの意見を参考にして、導き出す方よいと思うのです。
お礼
補足の補足です。 なお、僕はNo.124409で >心理学的、または哲学的考察によって、 >潜在意識とかまで探れば、「答えたいから答えた、理由はない」 >なんて言い切れなくなりませんか?ってことです。 と言っていることをよく御理解ください。 ですから、僕が仮にここで、何も答えなくとも、 僕の論理となんら矛盾するものではないことを御理解ください。
補足
要するに、caballeroさんは、僕が「もう書けない、勘弁して!」 って言うまで書けとおっしゃるわけですね。 で、あなたはそれを読みもしないでおそらく、こう仰りたいのでしょう。 「ほら、じゃぁ、その原因は?書けないでしょう?」 悪いですが予想通りです。 で、その論法は、この質問のためだけに僕の人生を使えといっている ようなもので、無益このうえない。 で、こう書けばあなたはこう言うでしょう。 「そう、だからこの質問は無益なのですよ。」 違いますか? では、お尋ねします。 そうやっていけば、この世のモノの全てに対して繋がっていくこととなる。 確かに世の中は全てのモノの存在の相関関係で成り立っている。 しかし、その論法でいくならば、何に対しての質問であっても、 答えは同じになります。 「全てに意味はない。気にするな。」 違いますか? で、そういう答えが出ることを肯定するのならば、 あなたは、相関関係自体も否定することになる。 そうすると、この世の生きとし生けるもの感情は全て無意味となる。 だとすればあなたはなぜ、無意味な行動を繰り返すのでしょう? そして、あなたの論法をエスカレートさせていけば、人間関係とは、 感情が無意味に動き、ただの化学反応並みの関係しか築けないものとの 結論に辿り着くのではないか? もし、そこまで考えての発言ならば、なぜ、このような人間関係の問題に 口を挟まれるのでしょうか?哲学に興味を示されるのでしょうか? 全てを意味がないとするなら、これは無意味であるはず。 そこまでは考えてなかったと仰るのなら、考えて下さい。 ですから、僕はあなたの導き出す非生産的な論理には おつき合いいたしかねます。 わざわざ、あなたの疑問に僕が答えるまでもなくこのぐらいのことは 推測がつくのですから、あなたの出したい結論をズバリと言って下さい。
- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
>申し訳ないですが、caballeroさん、同様のことをお聞きします。 僕の質問した理由をなぜ知りたいと思ったのですか? こだわられた理由をお聞かせ下さい。 あなたの理由が、写真(他の目的でも)に由来する事ではなく、ただ知りたいということであれば、「そうでしょう、回答者もただ答えたいだけという人もいる。その人にとっては、『回答すること』が至上目的であり、その場合、回答者にとっては、回答の真・偽は重要でない。」という風に、回答したかった訳です。これが理由です。 >僕は「やりたいから、やるんだ、理由はない」というような説明 (例えば「そこに山があるから登るんだ」とか)っていうのは、 僕の質問した理由と同じように、 ひとくちに理由を説明できないから、そんな風に言うのだと 思っているのですが。どうでしょうか? 「山があるから、『登る』ではなく、登りたいから『登る』んだ」ということを言いたいのです。確かに、一口では説明できてません。むしろ、「何故、登る?」ときかれた時に、「登りたいから」、これで一口です。「何故、登りたい?」と訊かれると、一口では無理です(「楽しいから」で一口の場合もある)。こっちの理由が知りたいのですね?衝動の起源というか。 あなたが写真をつくるのは、何故ですか?「つくりたいからだ」。では何故つくりたいのですか?「楽しいから、社会風刺?をしたいから、自慢できるから、・・・」色々あげれますが、何故、何故?していくと、あなたの写真の場合はどこまで答えれますか?経緯もよければ教えてください。(又も回答を出せずにすみません)
補足
>あなたの理由が、写真(他の目的でも)に由来する事ではなく、 >ただ知りたいということであれば、「そうでしょう、回答者もただ答えたいだけ >という人もいる。その人にとっては、『回答すること』が至上目的であり、 >その場合、回答者にとっては、回答の真・偽は重要でない。」という風に、 >回答したかった訳です。これが理由です。 すいません、誤解があるようです。僕も最初から、 「回答の真・偽」など問題にしていないのですよ。 裏づけのない自信を持って尊大に発言をできるのが不思議だと 言っているだけです。 で、自信をもって強い発言をするくせに、裏づけが、 「そう聞いた」「そう思う」だったりするのが「?」 だと言っているんですよ。 質問の最初の方にある「全く見当ちがいの思い込みで根拠なしなのに自信たっぷりに 書かれてたり、嘘800が書かれてたり、浅い知識で決めつけたり、 」 というのはそれを指しています。 で、以降にある質問ですが、caballeroさんの質問意図がわかりません。 で、この状態で、僕が推測による回答を行うと、caballeroさんの最初の僕に対する 問いかけのときと同じように、誤解が誤解を産み、無駄な論議となり、 話がそれるだけで、前に進みません。 しかも、caballeroさんの僕に求めている答えは(僕の推論では) 本論に関係するとは思えません。しかも、書けば長大なものとなります。 ですから、書くことが必要だと思われる理由、もしくは、それにより、 あなたが何を導きだそうとしているのかをお書き下さい。 少なくとも、前回僕に投げ掛けた質問では何の話の進展も見られないのではないかと、 思われますし、であればこそ、ただ、質問されるのではなく、 質問に答えることによってなんの前進が得られるのかをお教え頂けなければ、 無駄に終わる可能性の高いと僕には思われる長大な文章を書く気にはなれません。 (ここで、「やっぱり書けないんだー」って言われるのなら、それは本末転倒です)
- tabio
- ベストアンサー率29% (5/17)
私も案外、スカタンなことを回答したり、質問している者の一人かもしれません。これもまた、なのかもしれませんが。 という前置きをして、「間違った回答」も大いに結構なのだと思いますよ。 この「教えてgoo」は、その名の通り、教えてほしいこと、つまり質問者があって初めて成り立つものだと思うのです。質問のないところに回答はありませんから。そして質問した側は、この「教えてgoo」を利用することによって、図書館に行って調べてみたり、専門書のようなものを読み切ったり、そのような労をへて解を求めるよりは、安易に回答を得られます。「安易」というところが、私自身、案外ミソなのだと思っています。 たとえば、aという質問をした場合、イ、ロ、ハ、ニ……、と回答が寄せられます。oni_ocさんが仰るように、玉石混淆、いろんな回答が寄せられます。ただしこれは、aという問いに対する正解を知っている人から見た場合にのみ、わかることですけれどもね。 aの質問をした人は、イ、ロ、ハ、ニ……、様々な回答のなかから自分が納得し、正解だと思うものを抜き出します。場合によっては、それを学校の宿題の答えとして書くかもしれません。あるいは、他人(ひと)にそのまま「これが正解なんだ」とばかりに言うかもしれません。そこでもし、君が正解だと思っているaの答えは違うのだよということを指摘されたとき、そのときは自分が赤っ恥をかけばいいのです。なぜなら「安易」に答えを求めたことのバチとして。 でも、少数の人はそれを素直にバチとして受け入れることができないのでしょうね。「“教えてgoo”で回答した、あのヤロー、間違った答えを書いてオレに恥をかかせやがった」というふうになって。しかしその人は、ここには間違ったことも回答として寄せられる場合もあるのだということを、間違いなく知ります。そういう意味では「間違った回答」も大いに結構なのだと思うのです。 また、「知ったかぶりの回答」も大いに結構だと思いますよ。なぜなら、どこまでが知ったかぶりなのか、その範囲がわかりませんからね。たとえば仏陀でも仏教のことでもいい、それについての質問が寄せられたとき、数多ある経典のすべてを読破し、理解したものでなければ答えてはならないのでしょうか? 般若心経だけを知り、そのなかから回答を寄せてもいいではありませんか。坐禅和讃だけを知り、そのなかから考えた回答を寄せてもいいではありませんか。結局、どの回答をよしと考えるのかは、質問した側なのですから。 ここでoni_ocさんの質問の本題に────。 「嘘八百や知ったかぶりの発言を、なぜにやたらとしたがるのか」ということですが、どうしてoni_ocさんは、その発言が嘘八百や知ったかぶりの回答だと決め付けたのかという不思議を、まず解明しなければならないのではないでしょうか。 たとえば「1+1は何ですか」という質問に対して(これは哲学的な意味合いではありません)、「3」という回答があったとします。正解は「2」ですから、これは間違った答えには違いありませんが、その回答を寄せた人が本当に「3」を正解だと思っていたとしたらどうなるのでしょうか。たとえ間違った答えであっても、もし「ああ、この人も解がなくて困っているんだな。私、それを知ってるよ」という思いから「3」という答えを寄せたとしたら、どうなるのでしょうか。決してその答えを、「やたらに」という言葉から感じられるような否定的な感情で捉えることはできないと思います。 たとえば「仏って何ですか」という質問に対して、「釈迦のことです」「テレビの刑事物でよく言われている死体のことです」「森羅万象あらゆるもののことです」「宇宙です」「奈良の大仏のことです」という回答があったとします。一体、何をもって正解、不正解の回答だと決め付けることができるのでしょうか。正解、不正解を断ずるのは、oni_ocさんではなくて質問した側のはずです。 「知ったかぶりの回答」については、どこからどこまでが知ったかぶりなのか、それを決め付けているのは、「あっ、これは知ったかぶりをしてやがる」と思ったその人自身なのですよね。その裏側には「オレは1から10まで知ってるけど、こいつは1から7までしか知らないのに偉そうに答えているぞ」という気持ちが働いているのかもしれません。そして、それを不愉快に感じたり、あるいはそれとの優位性を示そうと、さらなる回答を寄せてみたりする。ところが、自分はよくよく知り抜いていると思って回答してみると、違う人から「あっ、こいつは1から10までしか知らないくせに、偉そうに回答してるぞ。知ったかぶりしやがって」と思われてしまう。 あなたは何をもってその回答を嘘八百、あるいは知ったかぶりだと決め付けたのか。あなた自身がそう決め付けた意識の仕組みを解明すれば、あなたが寄せられた質問の答えとなるのではないでしょうか。 最後に一言。この「哲学」というエリアでは、私は知ったかぶりの回答などあり得ないと思っています。なぜなら、知ったかぶりでもいい、「私はそれをそう考えているのだ」ということが「哲学」だと思っていますから。そして、数多くの考え、言い換えれば、数多くの知ったかぶりを知り、それについて思考してみることが「哲学」だと思っていますから。
補足
申し訳ないです、tabioさん前半部分の大半は僕が もう他の方に受けた指摘であり、それに対する僕の考え方の説明も しているものなのです(言い回しは違えども、少なくとも僕には そう受け取れます)ですから、書くことは同じ内容になってしまいます。 そこで、乱暴な話で申し訳ないんですが、下記にある参照箇所を お読み頂きたいと思います。 >「間違った回答」も大いに結構なのだと思いますよ。 kaleenさんとのやりとり No.122787→No.124296、 myeyesonlyさんとのやりとり No.123067 を御参照ください。 >そこでもし、君が正解だと思っているaの答えは違うのだよ >ということを指摘されたとき、そのときは自分が赤っ恥をかけばいいのです。 >なぜなら「安易」に答えを求めたことのバチとして。 myeyesonlyさんとのやりとり No.122341を御参照ください。 これをお読み頂いたと仮定した上で、続きを書きます。 どのような理由があれ、間違いを肯定することは、 回答する人間としてはマズイことなのではないのでしょうか? >なぜなら「安易」に答えを求めたことのバチとして。 とお書きになっている御自身が、「安易」な回答を容認する、 これは回答する人間の姿勢を問われることとなりはしませんか? つまり、大袈裟に言えば、御自身が「安易」となりかねない。 実際にあることは僕も否定しませんし、仕方ないことと思いますが 何も掩護する必要もない。そう思われませんか? >どうしてoni_ocさんは、その発言が嘘八百や知ったかぶりの回答だと >決め付けたのかという不思議を、まず解明しなければならないのではない >でしょうか。 これは、僕に個々の事例を挙げて誹謗中傷をしなさいと、 おっしゃるも同然です。これにはお答え致しかねます。 そういう場面で、僕は分かるように個々の間違いについて、 正してきたつもりです。相手が納得するまで。 もし、それをここで際限しろとおっしゃるのなら、 できないことはありませんが、とてつもなく長大になります、そして、 それこそ「尊大」ですし、誹謗中傷そのものです。 知らないからと言って否定するのは簡単です。 しかし、それを「尊大」「知ったか」と言うのではないでしょうか? ここで、僕が個々の事例を挙げないのが不満なら、どうぞお好きなだけ 僕の追跡調査でもしてください。その上で「決めつけ」と言われるのなら、 仕方がありませんが、そうせずに推理で「決めつけ」と「決めつけ」 られては話になりません。 >あなたは何をもってその回答を嘘八百、あるいは知ったかぶりだと決め付けたのか。 >あなた自身がそう決め付けた意識の仕組みを解明すれば、 >あなたが寄せられた質問の答えとなるのではないでしょうか。 当然のごとく、それは解明されています。多くの物証があります。 多くて書ききれないほどの。そして、それは「動機」であり、「答え」ではありません。 そして、人を批評したいのであれば、少なくともそのコーナーの文章を全てお読み頂く 程度の思考の過程を踏んだ上で、批評してください。 ではまず、あなたが「決めつけ」と「決めつけ」た理由からお伺いしたいものです。 それについては何一つお書き頂くことなく「決めつけ」られているようですから。
- artist0
- ベストアンサー率24% (92/378)
3度目の登場のartist0です。 (今ごろようやく)補足読みました。 前回の書き込みをしたのは、 >しかし、まー「野菜スープでガンが治る」とかいうような思いっきり >怪しいことを例えば自信たっぷりに語ってる人がいたらどう思います? >これ科学的根拠も何もない話なので、科学的に否定の解説書いても >しょーがないわけですよ。 という部分から、「否定的事実も伴わないのに、現代科学が解明できていないものを はなから否定する」人かも?と思ってしまったからなのです。 うかつでした。 プラシーボ効果のお話まで出てきてますから、その心配は無用でしたね。
補足
僕の意図を読み取って頂けて幸いです。 僕は自分がおかしいと思うだけでは、やはりこういう場での否定材料とはしません。 大事なことを知らないからする誤解であるかもしれないからです。 しかし、プラシーボ効果ってすごいですよね。 その存在自体がある意味奇跡かも、と思います<非科学的発言
- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
>自覚できる意識としてはないかもしれません。とくに、自分を知識人と誤認 している人には。ただ、心理学的、哲学的考察においては、無意識下の意識 に理由を求めることができます。 「無意識」の下の「意識」という意味が分からないのですが。心理学的にはどうかわかりませんが、哲学的考察というのは、意識下、理性で行われるものです。ですから、その意識下にある状態で、のに、そこに属さない無意識下を考察するというのは 矛盾する話だと思います。ある「知ったか行為」に意識下が大きく関与しているとしても、意識がない場所で、理性を働かすのはおよそ不可能な事です。 >この場合においては、人間の行動に理由がないということは考えにくい。 ですので、僕は理由があるかのように自覚的に書いたのですが。 むしろ、難しい=答えを知りたい!、の場合もありますし。 この『=』は『から』という意味で捕らえてよろしいでしょうか?それは、ある疑問に感じる魅力として、『難しい』ことが一つあげられるのであって、その場合、ピッツァマルゲリータの魅力に『トマトの栄養がたっぷりだ』というの数えるのとおんなしだと思います。。。その場合、『難し』ければ、「知ったかの人は、、、、」という疑問じゃなくても、知りたいという欲求は存在できます。他のトマト料理でも構わないわけです。私が言うのは、何故?「知ったかの人は、、、、」ということが知りたいのかということです。「この疑問」ではないといけないという場合もあるでしょう。「それは、何のためでもありません。」というようなです。(あなたが実際にどうかはわかりませんが、、、) >人間の脳が考えるレベルのことなら、きっとどっかに理由があるんではないか と僕は思うわけなんですが。どうでしょう? そうですね。脳ミソであるかぎり、確かに理由がないのは考えにくいかもしれませんが、「ある音楽を聴いているとき、α波がでる。」といったような、臨床心理学のように生体反応を観て、理由づけすることは可能とをもいます。そういう意味で、前回は「生理的」な事をのけてはと書いたのです。もはや、臨床心理学は大脳生理学との違いをつけがたいようにおもいます。そういう脳ミソの科学的な意味の回答はすみませんが、私には回答する事はできません。。。どういった回答を欲しいのでしょうか?科学的なことでしょうか?哲学的なことでしょうか?それ以外でしょうか?
補足
>「無意識」の下の「意識」という意味が分からないのですが。 ぱっと単語が思いつかなかったので、この言葉を使いました。 考え無しに使ったことをお詫びします。潜在意識ってことです。 >哲学的考察というのは、意識下、理性で行われるものです。 もちろんそうです。すいません、言い回しのせいか、 誤解をされたみたいです。 心理学的、または哲学的考察によって、 潜在意識とかまで探れば、「答えたいから答えた、理由はない」 なんて言い切れなくなりませんか?ってことです。 >何故?「知ったかの人は、、、、」ということが知りたいのかということです。 なんどもお聞きになられるので、 話が大きく逸脱することを御承知頂いた上で、 理由について書いてみましょう。 僕は写真をやってます。人の写真も撮りますが、一番撮るのは、 都会の雑踏の中で人々が動いているところといった写真です。 で、長いことそういう写真を撮り続けてきて思うのは、 こういうやり方で写真を撮る際に、重要になってくるのは、 ここを歩いている人たちが数秒後にどのような動き、表情、 をするだろうか?ということをある程度予測することです。 ただ、予測をせずに、「今だ!」って思ってシャッターを押したって、 タイミングが少し遅れるので、いい写真が撮れる確率が低くなります。 確率を上げるためには、予測が必要になります。 予測するためには、人をよく知り、判断を正確にしなければなりません。 そのためには、心理学的な、哲学的な手法で、さまざまな人々を分析し、 把握しなければなりません。これは非難でも、批判でもありません。 単なる分析材料集めです。ですから、自分だけで考えても理解のしずらい タイプであるところの、「尊大な人」について質問したのです。 長くなってすいません。お分かり頂けましたか? 申し訳ないですが、caballeroさん、同様のことをお聞きします。 僕の質問した理由をなぜ知りたいと思ったのですか? こだわられた理由をお聞かせ下さい。 僕は「やりたいから、やるんだ、理由はない」というような説明 (例えば「そこに山があるから登るんだ」とか)っていうのは、 僕の質問した理由と同じように、 ひとくちに理由を説明できないから、そんな風に言うのだと 思っているのですが。どうでしょうか? 説明ができない、またはしないということは、 脳が考えることなのだから理由があるという主張もそのような 考えによる発想です。 ですから、別にいろいろな分野に答えを広げようとは思ってないです。 他の補足で何度も「心理の仕組み」という言葉を使っていますが、 その枠組みの中での答えを求めてます。 どうしても逸脱しないと解明できないと言うのなら、 逸脱も必要なんだとは思いますけれど。
- jumpey
- ベストアンサー率50% (3/6)
非常に難しいテーマだと思います。 本物の専門家が客観的な知識に基いて回答を書くケース、 頭のおかしい人が無茶苦茶に回答を書くケースをとりあえず除外して、 考察対象となるケースは、つまりところ、 素人が自分の経験談を一般化してしまうというケースなんでしょうね。 もちろん、「経験談」には、回答するために辞書を引いたり、 本を調べてみたりしてパッと掴んで得た「浅い知識」も含みます。 つまり、パッパと調べて「こういうことなんですよ!」というように 回答する人ですね。この場合は、辞書や物の本によって「権威付け」を しているケースですから、「権威」に関する心理学の範疇に入るの でしょうか。つまり、辞書や物の本という権威の代行として、 回答者となるわけですから、権威というものになりたい、あるいは 権威に対してコンプレックスがある人なのかもしれません。 一方で、自分の経験がさも一般知識であるといった回答をする人もいますよね。 もちろん、「これは経験談ですが~」と前置きする人は除いて。 その方は、もしかしたらこういった公式の場で自分の意見を述べることによって 快楽を得ているのかもしれません。 その快楽とは、たとえ一時的であっても回答者=権威者となることから くるものなのかもしれませんね。おそらく、そういった方は自分の回答が 否定・反論されたりすることに対してとても嫌悪感を示すのではないでしょうか。 つまり、権威になりたいのにその権威を否定するものが現われることは気分が 悪いと。皇帝ネロのタイプなんだろうか・・・。 あるいは、そこまでいかなくても、社会参加をしたことで快楽を得ているのかも しれませんね。社会参加というのは、自分の存在を確認する行為でもあると 思います。すると、自分の存在(感)に対してコンプレックスを抱いている人が あてはまるのかも。もしかしたら、こういうタイプの人は、参加すればそれで 快楽が得られるので、否定・反論されたりしたら逆に快楽が増すのではないでしょうか? う~ん、徒然なるままに書いてしまいました。 でも、銭湯でのオヤジたちの怪しい談義や、主婦の井戸端会議にも通じる ものがありそうですね。 もし、こういうことに深い興味をお持ちでしたら是非、心理学を勉強して みたらいかがですか?そして、いつの日か説得力のある答えを我々に披露 していただけら楽しいですね。 (ご承知だとは思いますが、「知識」そのものに対する哲学的?社会学的考察 は省略させて頂きました。「そもそも知識とは?」という問いかけからアプローチ してみるのも楽しいかもしれませんね。) で、私はどうして回答しているんだろう?という疑問が・・・。 論文執筆からの逃避なのかも~。
お礼
わかりやすいお話ありがとうございます。 >その快楽とは、たとえ一時的であっても回答者=権威者となることから >くるものなのかもしれませんね。おそらく、そういった方は自分の回答が >否定・反論されたりすることに対してとても嫌悪感を示すのではないでしょうか。 >つまり、権威になりたいのにその権威を否定するものが現われることは気分が >悪いと。皇帝ネロのタイプなんだろうか・・・。 この下りは特にうなずきながら読ませて頂きました。 僕は回答するときは「いや、こういうのっておせっかいっていうんだよな~」 とか自嘲しながら回答しています<屈折 で、僕はこれかもしれないっていう気もします。 >参加すればそれで快楽が得られるので、否定・反論されたりしたら逆に快楽が増すのではないでしょうか? 自分が変態のような気がしてきた(笑)←ここはは使ってもいいでしょ。 ううん、学生のとき勉強しなかったのが祟ってるような気もしてきたな、 返事書いてて。いい年こいて悩むことかぁ~~?って。
- kaleen
- ベストアンサー率30% (77/250)
補足ありがとうございます。 話が広がっているようですが、それはさておき、当初のご質問に沿って書かせていただきます。 >間違うことに罪はないのですが、間違いを信じてしまう人が >出てくればそれは罪です。 まず、「法的な意味合い」からは、たとえば職業的な責任などがなく、実質相手に損害を与えたという実証がない限りどちらも「罪」・・・にはならないと思います。いいこととはわたしも思いませんが、それは主観、感覚的なものであって「罪」「責任」というきちんとした土台では論じることが残念ながらできません。 そこで「倫理的」「社会的」にはどうか。質問者が謝った回答を信じて行動したり、人にそれを話して恥をかく場合など、質問者に回答者が損害を与えた場合はく「責任」が生じると思いますが、「罪」ではない。 どうしてかというと、ここは回答者が不特定多数であり、質問者はその情報の信頼性の限界を理解して利用する所だと思うからです。 そうとは言え、その信頼性にも一定の線をもうけたい、そのため管理側は回答者の回答の自信を「あり・なし」で記すようにしたのではないかと思います。 >そのあたりを自覚していれば、尊大な態度をとることは、 >かなり恥ずかしいことであるはずです。 お気持ちは理解できる気がします。たぶん、対面でお話する場面でしたら「よーく、わかりますよ」と相づちを打っていた所です。事実や、ネットコミュニケーションにおいての情報の信頼性についてのoni_ocさんの誠実さが非常に感じられて、好感を持ちました。 しかし、「あるはず」は主観です。恥かしくない人もいるかも知れません。 >では、なぜ、その人々は尊大な態度をもって、自信過剰気味に、 >知識をひけらかせるのでしょうか? そこで、「態度」については、受け取る主観と、答える人の心づもりが必ずしも一致はしないというのは、すでにここでは解決されたと思います。ですから、まどろっこしいですが「本人の気持ちはさておき、尊大な態度をもって、自信過剰気味に見える人」に限って話を続けます。 ・・・・・先のみなみなさまに同じ!きっと自分を大きく見せたいんでしょう。 「なぜこの人は自分の話ばかりするのか」(著者忘れました、すみません)など、書籍も日ごろ自分には参考になっています。また、 ここからは個人的な思いですが、別にいいじゃないか、などと思います。それが自分の利害に関係なければいや、別に・・・といった所なのですが、oni_ocさんはいかがですか?
補足
「罪」ということについてひとつ。 これは法的にの意味で使った言葉ではありません。 御理解頂けると思いますが、当然のごとく そのような法的罰則などないのですから。 ただ、間違った発言はときとして、法的罰則に値する「罪」 を産み出すこともあります。 たとえば、某カルト宗教団体の教義などです。 仏教的には考えられないまちがいがそこには散見されます。 これは、大きな意味で「罪」と言えなくもないでしょうか? 僕はこういった視点を含めて「罪」という言葉を使ったことを御理解下さい。 つまり、これは僕なりの責任感の持ち方の話なんです。 >しかし、「あるはず」は主観です。恥かしくない人もいるかも知れません。 まぁ、そうなんですが、とすれば、その人は「自覚して」いるのでしょうか? これも主観かもしれませんが、それでは、「自覚して」いないのではないかと 思うのです。 では、なぜ自覚できないのかとなるとこれも相当疑問です。その場合は、 「恥かしくない人」だからってことになるんでしょう。 しかし、こう、いくらでも論理が循環するようでは、 これでわかったって感じにはならないんですよね。 >・・・・・先のみなみなさまに同じ!きっと自分を大きく見せたいんでしょう。 そりゃそうだと、言わざるを得ませんが、 これっていうのは話が元に戻ってるような気がするんです。 だって「尊大」と「大きく見せたい」って同じ意味じゃないんでしょうか? >それが自分の利害に関係なければいや、別に・・・ >といった所なのですが、oni_ocさんはいかがですか? そうなんですけど、害があって困ってるとか相談してるんじゃなくって、 どんな精神構造からそういう発言が導きだされるんだろうとは思います。 単純に仕組みへの興味はあります。
- gomuahiru
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2番目に回答させていただきましたgomuahiruです。 皆さんの真摯なご意見、いろいろ読ませて頂いて勉強になりました。 感想を申し上げます。 「尊大な人、自分に甘くて人にきびしく攻撃的な人は自然淘汰されます。」 これは一般論です。40年間生きてきて実生活でいろいろな場面でこれをみてきました。私は尊大な人が”自分に直接歯をむき出して攻撃し、家族や自分の名誉を傷つける”場合以外は放っておきます。今まで皆さんが重ねておっしゃっているように~威張りたい人は威張りたいのです~自分が弱くてその傷をかくすために尊大な態度をとるひともいます。(コンプレックスの裏返し) 私も若い時は、納得がいかない人に俄然ファイトを燃やし、やりあってきた経歴の持ち主ですが(その場合、相手がなんでそんなものの考え方をするのだっと徹底的に分析もしました。だから、oni ocさんの気持ちはわかります。)最近は時間の無駄だと考えるようになりました。 一つだけ苦言をいわせてください。 stomachmanさんのおっしゃるように、皆さんの回答に”ナナメにかまえる”のはどうでしょうか?皆さん真剣に回答されているのですから・・・ このoni ocさんの質問に対する答えは私はcaballeroさんのお答えに尽きると思います。失礼いたしました。
お礼
>「尊大な人、自分に甘くて人にきびしく攻撃的な人は自然淘汰されます。」 そうだといいんですが...案外そうでもない人もいるようです。 No.123894のpopesyuさんへのお礼に挙げた某大手賃貸ビル会社会長の例 をお読み頂きたく思います。 >皆さんの回答に”ナナメにかまえる”のはどうでしょうか? そう読み取られたのでしたら、お詫びします。 stomachmanさんにお礼を書きましたのでお読み頂ければと思います。
お礼
>というのは、上に述べたように哲学って何でもアリですから、 >非常に幅の広い参加スタイルが許されてしかるべきだと思われるからです。 確かにそうですね。まーしかし、serpent-owlさんが言われる通り、 「御遠慮願いたい」ケースもしばしば。 これって、誤解に基づく知識を内省し、検証する作業で、省いていく作業を していないからなんではないでしょうか。(いわゆる「トンデモ」科学者と 同じか?)そこで、「知らない=ない」って御都合主義がまじりつつ、 No.124321でjumpeyさんの述べられている考察にある「権威になりたい」 という心理(性格?)が絡んでくると、 「尊大」と化すんでは? なんて気がしてきました。どうでしょうか? >oni_ocさんは「かつての日経mix型ネットワーカー」として高い技量をお持ちと見えます。 んー過大な評価を頂くと「尊大」になっちゃいますよぉ~~