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国家と国民の関係
何かと国家のやり方が気にくわないという人たちを左翼といいますが、今回の個人情報保護法案などみても世論が左翼化しているような気がします。 確かに国家が国民を管理した日本の過去の歴史など、過ちを繰り返さないために行政の動向に注意しなければならないのはわかりますが、一部盲目的に国家の国民への介入を批判しているような気がします。 国家と国民の関係はどうあるべきなのでしょうか?そして現状はどのようになっているのでしょうか?わかりにくい質問で恐縮ですが、何か答えをください。
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==> 何かと国家のやり方が気にくわないという人たちを左翼といいます まず、この点は誤解でしょう。確かに左翼系の人はあれこれ国のやることに反発しまくりで、 「万年野党」と同じく「ためにする反対」という印象はもっていますが、右翼も戦後補償の 問題や対アジア外交では「遣り方が気に喰わない。売国奴め!」と宣伝しまくってますから、 「国家のやり方が気にくわない」という点では同じだと思います。 どちらも、自分の価値観以外の存在を認めない、自分の思うとおりの結果になっていないの は気に入らない、と考える視野の狭い人たちだと思っています。 スネに傷を持つ、探られて痛い過去を持っている、他人から利用されやすい、といった人は 自分の情報が他人に管理されることに警戒心を抱くのでしょう。 おまけに、防衛庁や警察庁が個人情報(情報公開請求歴や犯歴情報)を取扱規則に反して不正 に利用していた事実が明るみに出てしまったのですから、「国を信用しなさい」と言っても 難しい状況ですね。 基本的には、北朝鮮のように国を批判しただけで処刑されてしまう国よりも、自由に批判で きる国の方が健全だと思います。国民も安心して暮らせます。 アメリカ合衆国などは、大多数の国民が「アフガン空爆支持」という状況下でも「空爆反対」 という活動をしていたようですから、かなり成熟した社会だと思います。 国家と国民の関係はといえば、支配関係ではなく委任関係でしょう。公租公課を国家のため に負担するのですから、その代償として国家の安全・秩序を守る義務を負うということです。 これは社会主義ではなく、民主主義の基本原則だと思います。 日本のマスコミは、確かに横並び的でどの放送局でも同じようなニュース解説をしています が、マスコミは視聴者から認められなくなった(視聴率や購読者が得られなくなった)時点 で存続できなくなりますので、大衆の喜びそうな傾向に傾くのは仕方ないのでしょう。 国民がそれを見抜く目を持つことでしょうね。
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- north073
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1.国家という言い方について 国家、と言った場合、それが国民を含む国全体の概念なのか、国の政府という概念なのか、両者の意味で使われるため不明瞭になりがちです。そこが明確になっていればよいのですが、そこが混同されると考えも混乱しがちです。私の回答では、ご質問の趣旨は政府と国民の関係であると理解することにします(違っていたらご指摘ください)。 2.政府と国民の関係 国民は、選挙により自らの代表を選出し、その代表が作った法律を行政が執行していき、またその執行過程についても国民及びその代表者の監視のもとにおかれるというのが、日本の代表制民主主義の姿です。 国民の意思により、政府が行政を進める、ということは、国民=政府ではないということです。「国民」が「政府」という機関に、国の仕事を進めるための権力を委任しているのです。 民主主義であっても、君主制であっても、政府は国民生活に対し強大な権力をもって介入します。わかりやすい例でいえば、租税の徴収とか、警察力の行使などです。 民主主義と君主制の違いは、国民の総意によって政府の権力を統制するかどうかにあります。国民による政府の統制は、過去の日本の歴史だけに淵源を発するわけではなく、世界の歴史の中で培われてきた「よりよい政治の手法」なのです。 公租公課と安全保障の引き替えだけであれば、君主制国家であっても行っていることです。民主主義国家の大きな特色は、国民が政府の手綱を握っているという点にあります。 そして、民主主義の特徴、あるいは問題点は、この手綱を握っている国民相互の利害が必ずしも一致しているわけではないという点にあります。民主主義国家の国民は、この点を頭に入れた上で政治に参加しなければなりません。 国家主義とは、国民相互の利害を悪弊とみなして、「国家の利害」というものの存在を仮定する主義のことです。ここでの「国家の利害」とは往々にして操縦されている側の「政府の利害」となってしまい、民主主義的統制を無に帰してしまいかねないのです。 これまでの日本の世論に悪弊があるとすれば、民主主義を支えるべき、他者の意見に対する配慮があまりに欠けていることではないでしょうか。 ここでいう配慮とは、おもんばかって退くことではなく、他の意見があることを認識して、それらの意見と自らの意見を比較し、どのような点で自らの意見が優れているといえるのか、きちんと説得できる能力のことです。 「とにかく自分のいうことが正しいんだ」というだけで政府権力を動かそうとするのは、政府の手綱があらゆる国民の手に握られていることを考慮せず、自分の手綱だけで操縦しようとする自分勝手な意見にすぎません。 この日本世論の悪弊は、国民相互の利害調整を軽視、あるいは蔑視することにもつながり、悪しき国家主義あるいは全体主義を容易に導き入れかねない危険性を持っていると思います。 これは、「盲目的な批判」だけではなく、「盲目的な支持」にも言えることですし、どのような意見の持ち主についても言えることです。 近年の情報公開制度や、行政手続法の施行など、執行過程の監視の仕組みは、まだまだではあるものの、大きく進んできています。 これらの仕組みを活用し、情報をきちんと見分けて、合理的かつ論理的な思考ができる、「民主主義の主人」である「国民」となることが必要ではないかと思います。
- anaank
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国家と国民の関係は、国民は納税し、その対価を広く享受する…。少なくとも、国民に不利益となるような政策や法案は、反対意見があれば引っ込めるべきでしょうし。 > 国家のやり方が気にくわないという人たちを左翼といいますが…それって本当?違うような感じがしますけど。じゃあ、個人情報保護法暗に反対の横浜市長なんか、左翼かな?違うと思いますよ。左翼と決め付けるのは、短略的な気がするのですが。 国家は、国民の利益を守るという存在でしょうね。国民は、納税する。
お礼
そうですね ご指摘の通り対照とすべきは政府と国民でした。 皆さん数々のご回答ありがとうございます 現代には「他者性」がないということでしょうか。わかります 私が「左翼的」といったのは、個人情報保護法案を例にとれば、メディアを主体とした政府に対する批判には明らかに本来の目的である「個人のプライバシーを守る」という観点が抜け落ちていて、それを基調とした多くの国民の意見がただ「プライバシー管理に政府に介入してほしくない」という、盲目的な政府批判に聞こえたからです。