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してはいけないこと
最近、秋葉原の事件などから自分の中で”人殺し”について考えました。 自分の人生は自分自身しか経験できないし、自分自身は自分の人生しか経験できません。 今、自分とすれ違った人、大学で自分の横で授業を受けている人、友達、恋人・・・。 そういった人すべてが自分の人生の中の登場人物のように感じて、この世界そのものが自分の脳の中の偶像に過ぎないような気がします。 だとすれば、その人を殺してもそれは自分の目の前からその人が消えただけなのではないでしょうか? 殺された人の未来を失わせた、命を奪ったというのは、それを経験することが出来ない自分にとって関係のない話に思えてしまいます。 事を殺人に限らなくとも、人の嫌がることをなぜしてはいけないのか解りません。 自分のことを陰口を叩いたり、恨んでいる人がいたとして、それを自分が感じることがなければ、それというのは(自分の人生において)ないも等しいのではないでしょうか?究極、自分の目に見えないところで起こっているすべての事象(目の前の他人の頭の中も含めて)を完全に無視してしまえばどんな事でも出来てしまえるような気がするのです。 そんなことを考えていると、自分という人間が法や倫理観に律せられて生きている理由がわからなくなってしまいます。「自分が楽しければそれで良い」と考える人間を愚かしいと思う反面、何のために自分はこんなにも縛られて生きているのだろうかと思うのです。 はっきり言って、自分では自分のことを真面目で”まともな”人間だと思っています。 別に、何か事件を起こしたいわけでもなければ、実際にとんでもない事件を起こした凶悪犯に同調するつもりもありません。 これからもこれまでのように自分なりの倫理観に倣って生きていくつもりなので、あまり危ない質問者だと思わないで下さい; ただ、感覚的に人を傷つけてはいけない、殺してはいけないというのは解るのですが、なぜそうなのかについて考えれば考える程解らなくなっていくのです。 皆さんはどのようにお考えでしょうか?よろしければ皆さんの意見を聞かせて下さい。
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お礼
ありがとうございます。kfd03077のような人の意見を聞くと非常に勉強になります。 色々な方の意見を聞いて、少なくとも”独我論”で物事を突き詰めようとすると色々な矛盾が生じ、元も子もなくなるという事がわかりました。 私自身独我論に苛まれて何がなんだかわからなくなる時もありましたが、今ではこの考え方自体が非常に非生産的であり、ある種の危険思想のような気がします。 世界中で起こされる(起こされた)凶悪犯罪の一部にこういった考え方があっての事かもしれません。私は犯罪者心理について非常に興味があり、そういった事についてまた時間が出来たときにでも調べてみようかなと思いました。(当方、理系学生なので専門的に学ぶ事は出来ませんが) 実際にこんな事を大学の友達に聞かせてもまともに意見が返って来るとも、ためになる話が聞けるとも思えない(あるいは危険思想者のレッテルを貼られるかも)のでココで相談しましたが、とても参考になりました。こんな曖昧な疑問に対して真剣に回答していただき本当に感謝しています。これからまた相談に来る事もあるかもわかりませんがその時はまたよろしくお願いします。本当にありがとうございました。