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奉仕の心が持てない

生きていて今一歩、奉仕の心が持てません。自分の事、自分の努力の見返りばっかり考えてしまいます。 もちろん、こうしてあげたい!と自然に思う気持ちになることはあります。席を譲ってあげたり、募金したりと、人としての当然のやさしさはあります。こう言いきってしまう事態、奉仕の心はないのでしょうか?日常で、どんなにお世話になっている人にでさえ『タダでやってあげてんだから!』と思ってしまいます。口には出しませんが、きっと顔には出ています。そして、変に見返りを催促して相手を嫌な気持ちにさせてしまうのです。 これはやっぱり本当に困った経験がないからでしょうか?こんな大人になりきれない自分がイヤで変えたいのですが、変わる方法がわかりません。 みなさんのご意見お待ちしています。

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  • jovijova
  • ベストアンサー率28% (17/60)
回答No.1

 確かにそうですね。いい事していい事起きないかなあと思ってしまいますね。しかし、自分がそう思っていると、まわりの人間もそう思っていると思い「偽善者」に思われたくないという思いが発生し、実行に移せません。  これの解決策としては、 1、開き直る 2、無心でやる  前者は、いろんな意味で開き直るのです。もしかしたら、「ガンジー」も「テレサ」も偽善者のなのかもと開き直るのです。そう考えれば、そう信じれば、もともと偽善である行為を偽善でやればいつしか善だけになっていきます。これは非常に偏った考え方ですので、難しいかもしれません。  後者は、偽善とか勇気とかを考えずに、まず思ったことを口にするのです。まず思ったことというのは、「あっ、席譲ろう。」「あっお金入れてあげよう。」とかです。思った瞬間に行動に移すのです。そうすればあとには引けません。最後までいってしまいます。  あなたはボランティア(奉仕)の精神を十分に持っています。なぜなら奉仕について考えているからです、悩んでいるからです。するしないは、その時の感情、タイミングなどあると思います。しかし、その「したいのに、できない。」気持ちは絶対忘れないでください。そして、いつしか、あなたに、心かお金に余裕ができたときに、その少しを、ほかの皆さんに分けてあげてください。

その他の回答 (7)

回答No.8

計算高いというのは、ビジネスの世界では重要なことです。計算高くない人は、ビジネスの世界では落ちこぼれます。奉仕の心を持てないというのは、ある側面においては必要不可欠な能力なのです。かと言ってそれを露骨に出すわけにもいきませんし。割り切って、心の中では恩着せがましく、なるべく表には出さないようにして奉仕するという姿勢は、僕は素晴らしいことと考えます。

回答No.7

> 生きていて今一歩、奉仕の心が持てません。自分の事、自分の努力の見返りばっかり考えてしまいます。 奉仕の心について悩むこと自体、かけがえのない貴重なことだと思います。 あなたは自分の心の動きを深く見守り、観察し、よりよい自分、最高の自分でありたいという意志が伝わってきます。 > 『タダでやってあげてんだから!』と思ってしまいます。口には出しませんが、きっと顔には出ています。そして、変に見返りを催促して相手を嫌な気持ちにさせてしまうのです。 そう思ってしまうのが、あなたのせいではありません。なぜなら、今の人類の文明、社会のしぐみ、教育は、全て我々は一つの存在ではなく、お互いに別々の存在と教えているからです。 問題のポイントは、あなたは奉仕する対象は自分ではない誰かと思っているからです。しかし、本当はそうではありません。全ての存在は、一つなんです。あなたが「他人」に何かをして「あげた」瞬間、実は自分にしているのだと気づかない限り、変に見返りを催促してまうでしょう。 > これはやっぱり本当に困った経験がないからでしょうか?こんな大人になりきれない自分がイヤで変えたいのですが、変わる方法がわかりません。 焦る必要はありません。ただ、自分自身を見守りつづけ、どんな自分でありたいかを常に考え、そしてできるだけその考えに従って行動すればいいのです。もっと自分の心の声に耳を傾けてください。成長のプロセスを楽しんでください。 何がよいか、何が悪いかの判断をせず、ただどうありたいかを考えればよいのです。例えば右と左があって、どっちがよい、どっちが悪いということは決してありません。ただ、右が自分が右であることを知るためにに、左が必要なんです。あなたは、本当のすばらしい奉仕の心が持てる自分を体験するために、今の奉仕の心が持てない自分を体験しているなのかもしれません。 頑張って下さい。 PS.「神との対話」という本があります。おすすめですよ。

noname#3116
noname#3116
回答No.6

私はどちらかというとボランティアとか好きなほうなんですが、お金もうけも好きです。 学校にはぐずぐす行くのに、バイトには早起きして行くと親に笑われたりします。 「お金儲けとなると、目の色が違う」って(^^; それはさておき、自分は何故ボランティアが好きか考えてみました。 私は人に何かしてあげるのがわりと好きなほうです。(←お調子ものとも言います) 何かしてあげたいけど、知らない人の行動や身の回りの事に手をだすと 普通だったら「変人」です。でも、ここに「ボランティア」と名目がつくと それは「親切」になってしまうのです。(言ってる意味わかります?) つまり、なんかしたい→言い訳を付ける→する→満足、なのです。 あなたは何故ボランティアをしたいのでしょうか? 時々、老人ホームを慰問される人なんか居ますが、あれもやはり 音楽、劇、歌をしたい→ボランティアという理由をつける→人に聞かせる→喜んでもらって&演じて満足 だとおもうんです。最初の動機は「したいから」だと。 あなたはどんなボランティアかわかりませんが、最初はやはり「したくない」「したいことと違う」 なんだと思います。 したいことと違う→でもボランティアだから→する→ちょっと不満 となるんでは・・・。 奉仕の心というか・・・ボランティア精神も1歩間違うと、ただのでしゃばりですからねー。 何がナンでも、奉仕しろとかそういう心を持てってことはないと思いますよ。 したいことと、して欲しい事のバランスがとれた所でするのが1番だと思います。 奴隷ぢゃないんですから。 ところで・・・質問を読んでておもったんですが、具体的にはどんなことをされてるのでしょうか? もしかして、家庭内でのお手伝いがいやだという話なのかなーとも思いましたので・・・。 お手伝いだったら・・・お互い様ですから、分担してやりましょう(^^;

  • iktzy
  • ベストアンサー率18% (7/38)
回答No.5

「奉仕」という行動の側面を意識すればするほど、「見返り」という意識は強く働きます。それは精神のバランスとして、そうなのです。「奉仕」という概念をわざわざ必要としないことが、「見返り」という「卑しさ」の意識を消すことにつながると思います。でもそもそもなぜ「見返り」ということを強く意識してしまうのでしょうか。それはおそらく、無理して「奉仕」しようとしているからではないでしょうか。無理して、というのは、義務感から、とか、規範性の強さから、とか言い換えることができると思います。つまり、「奉仕しなければならない」という意識があるのだと思います。でも、そんな必要はありません。自発性というのは、自分のキャパシティを超えて存在することができないからです。自分の無理ない範囲でやれることに対してだけ、人間は「自発的に」、つまり「奉仕」という意識を持たずに、行動できるのだと思います。自分は正しくなければならない、という自分に対する規制を緩和してゆけば、それに伴って「奉仕」という意識も薄れていくと思いますよ。だから、「奉仕」の心が持てないのではなく、現時点ですでに過剰なのだと思います。

回答No.4

ボランティア(volunteer)ってもともと自発的なとか有志のと いった意味だから、自分からそうしたいと思えて行動ができれば 立派なボランティアではないかと思います。 それから、Item さんの求める見返りってなんですか。 私は何か親切なことをしたら「一言のお礼」程度の見返りなら 求めてもいいんじゃないかと思いますよ。 最近は親切に対してお礼もろくにできない人たちもいますよね。 そういう人たちに、お礼もできないの?って思うのは自然な 気持ちじゃないかと思います。 (もっとも小さな親切大きなお世話かもしれないですけどね。) 困っている人がいたら何かしてあげたいと思う気持ちを持ちつづけ ていければいいんじゃないかなぁと思います。

  • LUXU
  • ベストアンサー率48% (24/50)
回答No.2

こんばんは。 Itemさんは >自分の事、自分の努力の見返りばっかり考えてしまいます。 っておっしゃってますけど,自分が人間じゃなくて企業だとしたらどう思います?もちろん,100%見返りを必要としますよね。ほとんどって言っていいくらい利益が生まれないことに目を向けませんよね。 ・地域でのボランティア活動→地域へのアピール→結果,利益の向上。 ・政治家の口利き(新幹線の三河安城駅なんかそうです)→政治家の信頼を得る→後に有利になる。 なんていう風に。生きていくためには利益は必要です。逆に言えば,他人からしてみても何らかの見返りを必要としています。でも,勘違いして欲しくないんですけど,その場で見返りを必要としないでください。自分がしたことには何年~何十年後かにお返しがある事だってあるのですから。 でも,席を譲れたり,募金ができたり,お世話になっている人に何かをしてあげることができるのなら十分奉仕の心は持っていらっしゃるのではないでしょうか。しいて言えば,顔には出さないように努力すればもっと大人になれるんじゃないでしようか。なにせ,見返りは暗黙の了解として相手だって分かってるはずですから。あと,"奉仕"って考えるより日常のことだと思えば,顔には出ないですよ。自分が,"奉仕"というおもりを天秤に乗せてないわけですから。私は,いつもそう思っています。それでは

  • LUXU
  • ベストアンサー率48% (24/50)
回答No.3

こんばんは。 Itemさんは >自分の事、自分の努力の見返りばっかり考えてしまいます。 っておっしゃってますけど,自分が人間じゃなくて企業だとしたらどう思います?もちろん,100%見返りを必要としますよね。ほとんどって言っていいくらい利益が生まれないことに目を向けませんよね。 ・地域でのボランティア活動→地域へのアピール→結果,利益の向上。 ・政治家の口利き(新幹線の三河安城駅なんかそうです)→政治家の信頼を得る→後に有利になる。 なんていう風に。生きていくためには利益は必要です。逆に言えば,他人からしてみても何らかの見返りを必要としています。でも,勘違いして欲しくないんですけど,その場で見返りを必要としないでください。自分がしたことには何年~何十年後かにお返しがある事だってあるのですから。 でも,席を譲れたり,募金ができたり,お世話になっている人に何かをしてあげることができるのなら十分奉仕の心は持っていらっしゃるのではないでしょうか。しいて言えば,顔には出さないように努力すればもっと大人になれるんじゃないでしようか。なにせ,見返りは暗黙の了解として相手だって分かってるはずですから。あと,"奉仕"って考えるより日常のことだと思えば,顔には出ないですよ。自分が,"奉仕"というおもりを天秤に乗せてないわけですから。私は,いつもそう思っています。それでは

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