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今自分にできることとは?
- 現在の自分にできることについて考えてみましょう。貧困や紛争に苦しむ人々や経済的に困窮している人々が存在する中で自分たちにできることは何なのか疑問に思います。大人になるまでは自分のために頑張り、将来誰かに何かをしてあげることを考えていましたが、実際にはそう簡単にはいかないのが現実です。日本人とアメリカ人の社会奉仕に対する考え方も異なりますが、世界の人々にできることや日常の仕事の中でできることを探してみたいと思っています。
- 現在の自分にできることについて考えてみましょう。社会には貧困や紛争で苦しむ人々が存在し、経済的に困難な状況にある人々も多くいます。しかし、自分たちが彼らにどのような支援をすることができるのか疑問です。以前は、大人になってから役立つことをすることを考えていましたが、現実はそう簡単ではありません。日本人とアメリカ人の社会奉仕の考え方の違いも興味深いです。世界の人々にできることや日常の仕事の中でできることについて教えてください。
- 現在の自分にできることについて考えてみましょう。社会には貧困や紛争で苦しむ人々がたくさんいますし、経済的に困っている人々もたくさん存在します。しかし、自分たちには彼らにどのような支援をすることができるのでしょうか?以前は、将来的に誰かに何かをしてあげられる大人になることを目指していましたが、現実はそう簡単ではありません。日本人とアメリカ人の社会奉仕の考え方の違いも興味深いです。世界の人々にできることや日常の仕事の中でできることを教えてください。
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結論から言えば、「なにかしたい」という意志をもって、なにかすれば良いのです。 企業にいる場合はその企業活動を通じて社会貢献をするということになります。一見、社会貢献とは無縁のようでも、そのノウハウを生かして社会に役立てることは十分可能です。それが成されていないのであれば、成されるように働きかける行為がまさしく社会貢献です。 実は企業が利益を上げることもまた社会貢献であり国際貢献です。納められた法人税が貧困対策や雇用対策に回っており、ODA(政府開発援助)として途上国の開発支援に使われているわけです。詭弁だ欺瞞だと言う人も多いでしょうが、事実は事実です。 学校や家庭にいる場合には、まず知るということが社会貢献と国際貢献の第一歩です。世界にはどういう国があって、どういう問題を抱えており、どういう活動がされているか、テレビでも雑誌でもネットでも見聞きすることが肝心です。多くを知ることによって、まずは無関心から抜け出すことが出来ます。 無関心から抜け出すことは実はそんなに簡単なことではありません。「見なくてもいいこと」、「知らなくてもいいこと」、「自分には関係ないこと」に人間は冷淡なものです。少なくとも自分はそうでないという事が大きな意味を持ちます。 知った上で自分にもなにか出来る事はないだろうか?と考えることが二歩目になります。「なにをすれば貢献できるか」ではなく「貢献のためになにかしたい」と思うことが、貢献の中核を成す精神になります。 そして、どんな些細なことであっても、これなら出来るというものを見つけることが第三歩です。「なにかしたい」という精神の下に行われるのであれば、たとえば関連情報を扱ったブログを毎日読むことも、そこに意見を書き加えることも、リンクを貼ることも貢献になります。 それがなんの貢献に?同じように興味と関心を持つ仲間を増やすということに繋がるからです。集まった仲間の中には直接現地に赴いて活動できる機会や能力を持った人がいるかも知れませんし、活動を支援する資金を提供できる人がいるかも知れません。なにより主催している人の励みになるでしょう。目的のために、自分にはない物を持った人を集めたり、応援することもまた貢献です。 実をいえば日本人の社会貢献を阻んでいる最大の要因は「恥の文化」です。別に他の国の人たちより社会や意識が劣っているとかいうことではありません。 自分の行為をひけらかすことや、自分の活動をアピールすることを「恥ずかしい事」だと考えてしまったり、大したことが出来ないことや、満足な能力を発揮できないことを「恥ずかしい」と考えて、なるべく表には出さないようにしてしまう。 お金持ちや大企業が貢献すればいいというのは、彼らなら立派で恥ずかしくない貢献が出来る。そう考えているからです。多くの人は自分がなにもしなくていいとまでは考えていません。 毎日、家の前の道路を掃除し、道ばたにゴミが落ちていたら拾う。お年寄りが困っていたら手を貸し、道を聞かれたら親切に案内する。 こうした小さな社会貢献を当たり前の事と考えてきたのが日本人なのです。当たり前のことなのでわざわざひけらかしません。やったとアピールするのはとても恥ずかしいこと・・・そう考えてきたのです。 つまり自己表現が下手なだけで、本当に無関心でもなければ、なにもしていないわけではないのに、それをおおっぴらにすることが出来ないばかりに、なにもしていないと思われてしまう。そして、本当になにも考えずなにもしていない人たちの格好の隠れ蓑になってしまう。 日本人の美徳の文化が廃れつつあるというのは、この当たり前が一つ一つなくなっていることです。自分たちのしてきたことを、後に続く世代の人たちに上手に伝えられなかったのです。 たとえ声高に叫ぶことが難しくても、自分の小さな行為を恥じないことが、なにかに貢献したいという、高邁な精神を無駄にしないことに繋がります。 そして、自分だけがやっているとは決して思わないことです。言えないだけ、言わないだけであなたの隣にいる人も出来る貢献をしているのだと考えれば、独りよがりにも独りぼっちにもならずに済みます。 日本人はまた国際貢献の難しさを歴史的背景として知っています。 かつて、この国はよかれと思ってしたことを全面的に否定されました。アジアを欧米の植民地支配から解放し、欧米列強に対抗するため。道路を造り、橋を架け、学校を建て教育を行う。自分の国はひどく貧しく食べるのに困っていても、周りの国にお金を注ぎ込んだのです。この目的のために反対した人たちを容赦なく殺しました。 戦争に負けたときに、すべて悪事だとされてしまいました。そして、「十分な反省」もないまま、ただ悪事を償うために無償で貢献してきました。 実際は悪意より善意の方が大きかった。利益を得ることより損をすることの方が多かった。なのに感謝もされず、二言目には謝罪謝罪と言われてしまう。この状況は今現在も続いています。 自分のしている事に誇りが持てないので、ここでもあまり声高に功績を誇ることが出来ません。人によっては恥と考える人もいます。ですが、作られた道路や発電所は現地でかなり重宝されています。 小さな社会貢献も大きな国際貢献も根底にあるのは「なにかしたい」という気持ちです。そして、支えになるのは自分の行為を恥ずかしいものだと思わないことです。 「現場で汗水垂らさずお金を出すだけなど恥だ」という人がいますが、実際のところお金を出す人がいなければ活動を続けることは出来ません。むしろ、僅かな出費も惜しんでそれさえもしない人が大半なのです。 自分のことしか考えず、他人や社会に無関心で、それをおかしいことだとも思わない。過去の行為や一部の意見を引き合いに出して、批判と非難ばかり繰り返す。そうした本当の意味で「恥ずかしい人たち」にならない、流されないことが、いつかなにかをなし得ることに繋がるでしょう。
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- nabituma
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あまり大きなことを考えず今できることをすればよいのではないかと。 もちろん強い意志をもってそういう現場で支援をするということができればよいのですが。 気持ちばかりの募金でもいいでしょうし。 日曜のボランティアに参加してもいいでしょう。 開発途上国の製品をNETで購入するなんていうものもあります。 あまり大きく考えず、少しだけ動くことだと思います。 いろいろな形があると思いますよ ようするに想像力の問題です。 その状況を我が身のこととして思うこと。 チリの地震での被害状況を想像できること、そうすれば少しだけ行動ができると思います。
お礼
そうですね。 なんとなく、ここのところのハイチやチリの地震の動向を見つめていて、日本の報道や社会の意識って低い割に、支援を出したというニュースを流して終わっている印象が大きくて。 実際、報道されてないだけで、海外のニュースやインターネットを見ていれば、たくさんの情報がありますし。 そんなんで、気になっていました。 ありがとうございました。
- alesis
- ベストアンサー率44% (64/143)
米国でボランティアが多いのは、宗教が絡んでいます。 日曜礼拝など、宗教活動が日常に組み込まれていますから、意識が違います。 以下のURLを参考にしてください。 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/8790.html
お礼
参考ページありがとうございます。 宗教から、と言うのは確かにイメージにありますね。 映画、天使のラブソングが印象的でした。 日本人はそれがないのに、あったかくイメージがある。 けれども、どうしてか冷たいイメージも一緒にあるんですよね。 ありがとうございました。
- cowstep
- ベストアンサー率36% (756/2081)
少なくともNHKの募金は、寄付金の集計金額が公表されており、全額が募金目的のために使用され、人件費等で費消されることはない筈です。 http://allabout.co.jp/contents/sp_newyear_c/volunteer/CU20071218A/index/
- cowstep
- ベストアンサー率36% (756/2081)
個人でできることには、献金やボランティア活動位のものですが、それでも大勢の人の協力が得られれば、貢献度が上がるでしょう。 NPOのことは分からないので、ご自分で調べて頂くことにして、国連の機関や赤十字は信頼性が高いので、安心して募金や募集に応じることができると言えるでしょう。
お礼
募金、というと、それを募っている団体の人件費や、使い方によって、募金した10円そのものが支援されるわけではない、というのがとてもひっかかります。 一方では、報酬はゼロで、たまにほんの少しの支援金をもらって活動をする医師もいるというのに。 街中で常にいろいろな募金がたくさんあるのも変な感じだし、素通りしていく人が大半なのも変な感じです。 我儘言ってるとは思うのですけれど、物事そう簡単ではないですよね。
ではたとえば個人でボランティアをすると考えましょう。 そうですね、最近ではチリ大地震からの復興で話を進めるとします。 あなたが被災者のために出来ることは何が有ると思いますか? 簡単なアイデアですと (1)被災者団体に募金する くらいではないでしょうか? これも尊い行為だと思います。 それとは別にチリに行って復興支援をしたいと考えます。 復興支援をするには、滞在許可などをもらわなければなりませんし、なによりボランティア団体に所属していなければ、満足に活動もできないと考えられます。 個人の活動には限界があります。 日本では社会的にボランティアが少ないのは確かだと思います。 日々の仕事からできるボランティアはないか? と考えたときに私のアイデアですが、「ボランティア」で検索するところから始めるべきかと。 各地域で行われているボランティアがあると思います。 公園掃除などですが。 ボランティアというのは色々形式があります。 身近なところから始めるのがいいのでは? 募金するだけでもあなたの心から生まれ出てくる「奉仕」の心なんですから。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 募金というものにどうもしっくりこないのです。 活動団体に所属するのですね。
お礼
長文ありがとうございます。 改めていろいろ調べました、そうですね、もう一度自分の中で整理したいと思います。 とても参考になりました。 ありがとうございました。