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ほたるの墓~戦死又は行方不明の通知について
アニメ「ほたるの墓」で主人公の男の子の父親が重巡洋艦摩耶に乗艦していた模様です。しかし、重巡洋艦摩耶はレイテ沖海戦早々、米潜水艦ダーダ&デースに雷撃されて約8分で沈んだとされています。お父さんは戦死又は行方不明の模様です。44年11月にレイテ沖海戦~翌45年8月終戦にもかかわらず、主人公の男の子はいまだに摩耶に乗艦していたお父さんの安否がわからないまま、妹を亡くし、主人公自身も結局死んぢゃいました。 前置きが長くなりました。質問します。 戦死又は行方不明の通知とはそんなに長くかかるものなのですか?軍機、終戦の混乱もあったでしょうが、摩耶撃沈から1年近くにわたって家族に安否が知らされないというのはあるのでしょうか? 早めに安否が知らされていれば、主人公たちの、その後の対応も代わってなんとか生きていた可能性もあったのにと、アニメながら無念でなりません。ご回答お願いします。
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こんばんは。 「ほたるの墓」は小説ですので、戦争の悲惨さが伝われば良いのではないでしょうか。 海軍兵学校では同期の人間とその家族を非常に大事にしたそうです。宮崎駿監督のお話も分かりますね。 でも、他の仲間の人に保護されて無事に生存してたらまた違う物語になっているかもしれません。 通知に関してですが、戦争末期の混乱は大いにあると思います。逆に生きていても戦死の通知が行く場合もありますしね。 当時の郵便システムがどれだけ管理されていたか分かりませんが、洞穴にすんでいる彼らに通知が届く可能性は低いでしょう。
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- nekoirazu
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原作では主人公の父が摩耶乗り組みだったのは昭和10年10月の観艦式の時点ですので、さすがに昭和19年時には別の船の乗り組みになっていると思われます。海軍大尉クラスなら1年ごとに乗艦が変わるのはむしろ当時は普通のようなので、撃沈された摩耶には恐らくは主人公の父は乗艦していない可能性が高いです。
お礼
>海軍大尉クラスなら1年ごとに乗艦が変わるのはむしろ当時は普通 そうなんですか。これもまた新しい発見でした。 ご回答ありがとうございました。
- waltzende
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船は重巡麻耶、アニメ版の階級は大佐。つまり艦長です。 宮崎駿監督は「火垂るの墓」のストーリィを「あんなの嘘っぱちだ」と言ってますね。 「海軍の大佐クラスの人間が死んで、子供が孤児になってたら 同僚・部下などの関係者が絶対に探し出して保護する。 海軍ってそんな所なんですよ。あれはありえない」 と。 中島飛行機の部品工場社長のご子息で、軍事オタクの宮崎氏のいう事ですから、 まず間違いないでしょう。 原作の野坂氏がいわゆる「サヨク」であることを忘れずに……。
お礼
宮崎氏があの中島飛行機の部品工場社長のご子息とは知りませんでした。氏が軍事に詳しいのもそういう背景が関係しているのかもしれませんね。私の中でこの場で別の疑問が解消されました。 ご回答ありがとうございました。
- rin00077
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こんにちはー 私は「ほたるの墓」はアニメも実写版もみています。 私が一番感じたのは、戦争末期になって国からの配給も少なくなったとき、自分の子供にはそこそこご飯を食べさし、預かっていた空襲で死んだ友人の子供(主人公、妹)には、あまり満足にご飯を食べさせない。 「ほたるの墓」は姉も観ていたので、実際にその辺の感想を聞くと、そういう究極の状況になると、やはり自分の子供がかわいい。 誰もそれは批判することはできないのではないか。と言っていました。 確かにそうかもしれませんが。。。母は強し。ですね。 さて、質問の回答ですが、残念ながら私は知りません。 お役に立てなくて、まことに申し訳ありませんでした。
お礼
いえいえ。ご回答ありがとうございます。 「ほたるの墓」視聴者の多くの方はお父さんの重巡摩耶は既に撃沈されていた歴史的事実を恐らく知らないのではないでしょうか? この機会にこうした悲しい事実があったことをお知らせできれば幸いですね。
補足
すいません。質問1箇所訂正します。摩耶撃沈は44年10月でした。
お礼
参考になりました。ご回答ありがとうございました。