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火垂るの墓
最後の辺りのシーン せつこが 死んでしまい、 せいた がせつこを火葬した後、 何かを頬張っている時に 画面が赤くなり、 せいたの服もしっかりした服になっていて ベンチに座っていたら、せつこが来て、ベンチで せつこを寝かしつけた後、 せいたが 視聴者側を 数秒間見つめるのですが、 あれは 何故なのでしょう? 普通ならせつこを見るのが普通なのでは…? その後は 現在?の神戸が映るのですが…。 少し ゾッとしてしまいました…。
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- matsu_kiyo
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回答No.2
このラストシーン。 まさに「今の繁栄の礎にわれわれのような、非戦闘員の凄惨な現実があったのですよ」と問いかけているようで、いつ見ても戦慄が走ります。 彼らを後ろに見て、あの当時の神戸の町並みを遠くに見るラストでは、勢太と節子の周りが赤くなっていると思いますが、これは、一種の霊的現象であるということを監督が意識してかかれたものと思います。 ただ、勢太が視聴者側、というより、街並みのほうを向いているように当方は受け止めています。ちょっと斜めを向いていたように記憶しているのですが(正面は向いていなかったはず)・・・
- rokometto
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回答No.1
おそらく答えはありません。 製作者のジブリも受け取る答えは一人一人違うものだという趣旨のようです。 私は現代にこれが戦争の犠牲になった子どもだと訴えているのではないか、と思います。
質問者
お礼
ご回答 ありがとうございますm(_ _)m
お礼
ご回答ありがとうございますm(_ _)m せいたは せつこを寝かしつけた後、 自分の足元あたり→街並み→此方→街並み と顔を動かすのです…。