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学習意欲の低下
現在、日本では子供の学習意欲の低下が問題となっています。そこで、そもそも子供たちは勉強することが必要なのか、必要だとして、どのようにすれば子供たちにそのことを自覚させることができるのか。また、どのようにすれば子供たちの学習意欲を高めることができるのか、皆さんの意見をお聞かせください。 また、現在学習意欲の低下が叫ばれているということは、かつては意欲が高かったということです。なぜ昔は学習意欲が高かったのか、その世代に学生だった方の意見をお聞かせいただければと思います。 海外と日本の違いについてもご存知の方は教えてください。 よろしくお願いします。
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なぜかつては学習意欲が高かったのか、なぜ今は意欲がないのか。その違いを知ることも大切でしょうが、すでに、子供たちを取り巻く社会全体が、変わってしまっているので、あまり深く追求する必要もないと思います。 戦後の日本が、皆一生懸命だったように、今の中国が日本の産業界の脅威になりつつあるように、ハングリー精神がなければ、必死になれないと思いませんか。 人々が豊かになるにつれ、勉強ができるから将来は幸せになれるなんて保証もないし、希望が持てない。 それなのに、学校では、子供たちが成績でランクづけされ、勉強ができる生徒は、先生に受けがよく、勉強の嫌いな子は、先生からも親からも、否定的な事をいわれる。 勉強のできる子が偉いような扱い。 学校を一歩でたら、勉強以外の事で一番だと言えるような何かが、子供の世界からなくなってしまったと思います。 今子供達の学習意欲を高めるとしたら、夢を持たせる事です。それには、大人たちが夢を持つ事。そして、子供を学校の成績だけで判断しない事。 今は上下関係が昔とは全く違い、大人でも先生でも間違った事をすれば、信頼を失います。子供だと思って不用意な言葉をはかない事。対大人には言えない様な事は、子供に対しても言わない事。 大人たちが、意欲を持ち、夢や希望を持ち、真剣に何かに立ち向かっていく姿を見せる事。 これは抽象的で、遠回りですが、本質だと思います。 小さい頃に、親や身近な人のステキな生きる姿をみせる事が出来たら、苦労せずに、子供自身が自然に勉強するものだと信じています。
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こんにちは。一児の母として同様のこと痛烈に感じております。私は30代前半ですが、自分は勉強が好き(出来る、とは違う)だったので子供がなんでそれくらい(今は本当に勉強の内容、量が少ないと思います。宿題も今の担任は全くありません)のこともやらないのか不思議で仕方ないのです。 自分の知らないことを知ることが出来る、出来ないことが出来るというのは喜びというか、楽しみというか、うまく言えないのですがそういうものだと思うのですよね。勉強だけからそれを得なさいというのではありませんが、今はインターネットでポン!とやれば、自分は大した労も要さずに調べ物も出来てしまうし、そういう世の中の流れ?もあって勉強なんてしなくても困らないからなのかも・・。 自分が子供のころ、未来の人間は宇宙人??のように頭でっかちで体は動かさないからひょろひょろ、手足もほっそ~!!という絵を見たことがありますが、あながち冗談でもないのかなぁとこの頃思ったりしてます。
お礼
そうですね。確かに知識をいちいち頭の中に入れておかなくても必要なときに簡単に調べることができる時代ですもんね。やはり、世の中が便利になればなるほど、人間は自分で動くことをしなくなるようです。便利になればなるほど人の体から生命力が失われていくのでしょうか。われわれ人間は、どのような未来に行き着くのでしょう。 お子さんは勉強をしないということですが、実は私も家庭学習はおろか、宿題すらもまったくといっていいほど提出せず、しょっちゅう先生に怒られていました。私は20代前半の大学生ですが、学ぶ喜びを感じるようになったのはつい最近のことです。 なぜこのような質問をさせていただいたのかというと、私は日本の将来は、つまり、自分は日本に住んでいて良かったと思えるようになるには、その大部分を教育が占めていると思うからです。しかし、現在の教育制度は、知識を覚えることが先行され、その知識の存在意義を伝えることを欠いているのではないか、また、そのような知識以前に、いったいどのような人間に育てることを目標としているのかがまったく見えないからです。 国家が教育に介在するのはある面では非常に危険です。しかし、教養としての知識だけでなく、もっと上の次元で、なぜ学ぶのか、そして、自分がいましていることにどういう意味があるのかを子供たちに伝えることは非常に大事なのではないかと思うのです。 それがなければ、子供たちの教育は、教師の質だけに左右されてしまい、いつまでたっても受動的なままで、自分自身が学ぶことの意義を見つけ出す(つまり、自分自身をある程度知る時まで)主体的な姿勢は生まれないと思います。
- cotiku
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>勉強ができない子を救済するかわりに、できる子の学習意欲を抑えてしまっているということですか そうです。そして、その逆もです。落ちこぼれていて、1年やり直せば楽しく理解できる子や、三角関数がどうしても理解できないが手仕事なら非常に上手な子、営業活動や外国語が得意な子などを念頭に置いてください。 >一本のレールがしかれ、そこから脱落したものはほとんど道がとざされるような まさにその通りです。戦前は色んな種類の学校がありました。裁縫学校とか工業学校とか、今もあるにはありますが。普通高校を卒業して手に職がない人が戦後大勢できてしまいました。 >『理想の国語教科書』 ですか、良さそうですね。各分野にどんな偉人がいるのか知って目標にしたいですね。先人を尊敬し感謝することで学習意欲も出るのではないでしょうか。
- cotiku
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戦前には世界で一番成績がよかったのですが、敗戦によって教育制度がかわって悪平等と言われています。 飛び級や落第がない、普通科の中学校しかない、などです。 つまり、自分が勝ったり負けたりする程度のゲームが一番面白くてやる気が出るのに、ほとんどの子供がその適正レベルでないゲームに参加させられているということだと思います。 高等教育でも帝大はレベルが明らかに高かった。だからそのレベルの人が集まっていて面白かったと思います。分数のできない東大生? 子供の視点に立つといって、子供の作品を教科書に載せ、世界的な名作・偉人を良い手本として提示しない教科書などは学力と子供の夢を衰えさせるもとだと思います。
お礼
ありがとうございました。 現代の教育制度は勉強ができない子を救済するかわりに、できる子の学習意欲を抑えてしまっているということですか。これは難しい問題ですね。個人の尊重と平等の確保のどちらを優先するのか。 確かに、平等を確保することは重要ですが、それは学ぶ機会を平等に与えなければならないということであって、教育内容が画一的に決定され、できる子とできない子がまったく同じ教育を受けるという今の教育制度には問題があると思います。できない子とできる子の格差が大きくならないように、飛び級制度や能力別のクラス編成を採用せず、結果として均質な人間がつくられる。それはできる子の学ぶ権利を奪っているようなものかもしれません。 ただ、現在において、競争がなくなってしまったかというと、けっしてそうではありません。受験競争に疲れてノイローゼになってしまったり、中には自殺に踏み切る人もいるほどです。これは、幸せへの道がひとつしか見えないからでしょう。一本のレールがしかれ、そこから脱落したものはほとんど道がとざされるような日本社会の仕組みに、大きな問題があるのではないでしょうか。もっとさまざまな生き方が許されるような社会に変わらなければ、変えなければいけないと思います。 少し前にベストセラーとなった、『声に出して読みたい日本語』を執筆された明治大学助教授の斉藤孝氏は、読書の大切さを強調され、学力の低下は読書離れが一因だということを言われています。彼は、『理想の国語教科書』という本も執筆していますが、それは、名作と呼ばれている文章によって構成されています。このような教科書が採用されれば、子供たちの学習意欲を増進させることにつながり、学ぶ姿勢が生まれるのでしょうか。
- akikongu
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あくまで私の理論を述べさせていただきます。子どもの学習意欲の低下というのは事実であり、国際比較においても近年は下がってきていることは確かです。子どもに勉強が好きかという問いに答えてもらったところ、諸外国に比べて、日本の子どもたちは学習意欲が低いことも確かです。 子どもたちに高い学習意欲を身につけさせようと思うのであれば、小さな頃は習慣であり、物分かりができるようになれば定義付けなのです。 どうしてそもそも人間は勉強するようになったのか、ということを教えてあげ、考える時間を与えることがいいのです。
お礼
ありがとうございます。 小さなころは習慣であるということですが、確かに、物心がつく以前の幼児段階に学ぶことの喜びを知ることができれば、学ぶことそれ自体が動機・目標となり、放っておいても勉強に対して意欲を持てるようになるかもしれませんね。 物事の分別がつくようになった後はなぜ人が勉強するようになったかを教え、学習の意義を考えさせるということが意欲の上昇につながるとのことですが、なぜそのことが学習意欲の増進につながるのでしょうか。具体的に説明いただければと思います。
- poteletubbies
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以前は高学歴=高収入=幸せみたいな図式が完全に出来上がっていたからではないでしょうか。 私はベビーブーム世代なので、今よりもっと競争し、良い成績(内申)などがなければ、大学(短大)にも入れなかった時代です。 私の生徒は学校の説明会に行った時点で短大の実質上の合格(ここを受験してくれれば合格にするよっと短大の職員に言われた)を取り、しっかり合格しました。大学はともあれ、短大は少子化傾向により経営難です。質よりも量を確保しなければならない時代になってしまっているのは事実なんじゃないでしょうか。 また、フリーターも増え、高校・大学いかなくても幸せ・・みたいな考えもありますし、私の学生時代の考えとは少々異なっているように思います。 高学歴を求める学生とそういった学生の二極化っていうんでしょうかね、広がっているように感じます。 今でも高学歴の生徒は以前と同様、非常に勉強し、努力しています。これはかわってないと思いますね。 私は教育関係の仕事を10年ほどやっていましたが、以前と比べ、なぜ勉強するのかっと質問する生徒が増えたと思います。目的意識のない子供が多いのでしょう。 これが勉強意欲につながらないのだと思います。いい会社に入っても、倒産してしまうかもしれませんし、公職でもスキャンダルがはびこっていますしね。 私の場合は、そういった子供には今後の目標というよりかは、現在与えられていることをしっかりやるように話していました。現在の子供たちも将来働こうとは思っていますから、それにはこういった学習や学歴が必要だっと説明していましたね。 簡単にいいますと、3分で教えた事は3分で理解するように、と話しました。会社に入った後、上司から3分で教わったことを3分後に実行できる練習なのよっとか。将来の目標がある子は私たちが言わなくても、勉強してますから。 指導内容を私たちが学生の頃より少なくなっています。将来に夢が持てれば、周りがいろいろ言わなくても、自分で勉強できるんじゃないですかね。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、かつては勉強し、「いい大学」に入ることが幸せを約束してくれると考えられており、大学進学は狭き門だったことからみんながそこを目指して一生懸命勉強したということですね。しかし、いい大学に出ることが必ずしも幸せを約束するわけではないことがわかり、多くの人は夢や目標をそこに見出すことができなくなった。また、誰もが大学に入れる時代となったことから、勉強の必要性を感じなくなったということでしょうか。 とすると、以前から高校までの教育は大学に入るための手段を身につけさせるために存在するに過ぎなかったということでしょうか。教育が存在する意義とはそんなものなのでしょうか。 >将来に夢が持てれば、周りがいろいろ言わなくても、自分で勉強できるんじゃないですかね。 おっしゃるとおり、将来に夢を持てれば、確かに勉強意欲は格段に増すと思います。私は大学に入学して将来の目標を持つまでは、まったく学習意欲がなく、ほとんど勉強することはありませんでした。それを考えれば、確かに将来の夢、目標があり、それを成し遂げるために勉強が必要だということになれば、自然と学習意欲もわいてくるのではないかと思います。 しかし、かつての幸せへの公式が瓦解した今、実際には夢や目標を持っている人間はそれほど多くなく、また、小学生、中学生の段階でそれを持てというのは、なかなか酷なことだと思います。 とすれば、いかにしてそのような生徒に学習意欲を持たせるのかが問題になってきます。たとえば、教育の現場で、夢や目標がない生徒に夢や目標を持たせるための機会を積極的に与えていくことも必要なのでしょうか。
- Scotty_99
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学習意欲が低下しているというよりも学力が低下している傾向が顕著です。 学力が低調することにより学習意欲は低下します。 私はこれまで多くのこどもを見てきて学力向上させることにより(それだけではないですが)学習意欲も向上させてきました。ご家庭からは日々勉強するようになったと報告されています。 なぜ学力が低下してくるかというと学校教育にも一つ問題があるように思えます。 大人数教育というシステムも問題ですが、教師の教え方、指導法にも問題があるように思えます。 ひとつひとつの分野の教え方もありますが、九九を完全に覚えさせない、ドリルを必要な分やらせないなどで小6になっても計算がまともにできない子をよく見るようになりました。結果、集中力欠陥になり勉強がまともにできない子になります。 アメリカの小中高に視察したことがありますが、多分日本のほうが勉強らしい勉強はしていると思います。ただ、あちらは勉強に興味をもたせることがうまい。授業を聞いているだけの退屈な授業はさせません。日本も見習いたいところです。 アフリカのまずしいこどもは勉強がしたいといいます。勉強がしたくない、なんて ぜいたくなことはちょっとおかしいかもしれませんね。たぶん、教える方もつまらないものとして教えているのでそんな気持ちをもったこどもばかりになるのでしょうね。
お礼
ありがとうございました。 なるほど、学力の低下が学習意欲を減退させ、学習意欲の低下がさらに学力の低下を招くという悪循環に陥っているということですね。こうなってくると日本の総体的な学力はますます低下していくことになりますね。 やはり、この問題を解決するには現場の教師の力にかかっているのでしょうか。だとすれば、教師の教育をもっと充実させるとともに、教員採用についても競争原理を取り入れ、優秀な教員を採用する仕組みが必要となってくるのだと思います。 国には、直接票に結びつくような短期的に結果がはっきり見えるような政策ばかりでなく、長い時間がかかっても、地道に教育に力を入れていってもらいたいと思います。
- tyoukaifusuma2
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進路学習 でいいんじゃない? ↓ やりたい仕事・就きたい職業は? ↓ そのために今すべきことは? ↓ 勉強しかない! ってなかんじでどうでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
お礼
おっしゃるとおりだと思います。学校という小さな社会でしか通用しない価値をほとんど唯一の判断基準として生徒をランクづけする、これが生徒の自信とやる気を失わせるのでしょう。 中国の10代の若者に話を聞くと、ほとんどがはっきりとした夢を持ち、生きることに対する意欲がすごく高いのにびっくりさせられます。彼らは、生きること自体に喜びを感じ、生きるために働くことに喜びを感じています。しかし、物質的に豊かになり、普通に食事をし、生きることが当たり前となった日本人に、中国の若者のようなハングリーさを求めるのは困難でしょう。 ただ、豊かになることはわれわれが望んだことであり、それによって生きる意欲が失われてしまうのは悲しいことです。 そのためには、ご指摘のように、子どもたちの前を歩く大人が、夢を持ち、現実を見つめて、力強く、前向きに生きていくことが一番大切なことであり、一番の教育なのかもしれません。 ありがとうございました。