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東京飯田橋から市ヶ谷にかけての外堀の深さ
東京飯田橋から市ヶ谷にかけての外堀の深さはどのくらいあるのでしょうか?前々から気になっています。 また、それは江戸城の頃と同じ深さなのでしょうか?それとも当時より深いのか浅いのか。どなたかお願いします。
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>江戸城の頃と同じ深さなのでしょうか?それとも当時より深いのか浅いのか http://wiki.wowkorea.jp/?word=%E5%A4%96%E6%BF%A0%5F%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%29 飯田橋駅西~四ッ谷駅東の堀自体は昭和30年代頃とあまり変わらないような気がします。30年頃までは逓信博物館の先にボート乗り場があり、市谷には金魚の養殖販売の生簀→釣堀がありました。 堀の水の深さはボート乗り場のところでせいぜい4~5mだと思います。ボートに乗りに行ったときに、ここの水の深さは5mと聞かされていました。 昭和30年頃は近所の男の子は紐でザリガニとりやクチボソ釣りで外堀の土手を水辺まで下って遊んでいました。確か1~2mくらいの紐でザリガニが連れていたので水の深さはたいしたことが無いと思います。 昭和40年後半にはよく水面が緑色の藻に覆われていて、毒毒しい光景でした。 江戸時代と水の深さもほとんど変わっていないのではないでしょうか。 東京オリンピック前に高速道路工事や有楽町線の地下鉄工事や飯田橋駅前の堀の上にビルが建ってからずいぶん、外堀や神田川周辺の風景も変わりましたが、市谷付近の堀自体は昔とあまり変わっていないと思います。 昭和34年くらいだと思いますが、飯田橋と水道橋の中間、昔は職安と中央大学、現在はトヨタ自販の前から、神田川から屋台船に乗り、御茶ノ水、万世橋の橋をくぐって舟橋の海とヘルスセンターまで往復、町内会の遠足に行った覚えがあります。 昭和58年の台風で飯田橋周辺が床上浸水したときは道路に残されてしまった、多数の鯉を神田川に戻すのでたいへんなこともありました。 現在の状態ではおそらく、想像も付きませんね。 「ふるさとは遠くにありて思うもの」とはよく言ったものです…。
お礼
ありがとうございます。そんなに深いんですね。おかげさまですっきりしました。