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国を相手どっての裁判
子供のころから、「住民が国を相手どって裁判を起こしました」というようなニュースを聞くと、何だか変な感じがしていました。 「裁判やるのは国なんだから勝ち目ないじゃん」と。 でも、「三権分立」という考え方があるんですね。原告が国に対して勝っている例もありますね。 しかし、いくら権利があるからといって、世間様やお上に対して恐縮しすぎの日本人が、権利を与えられたとたんにそれを行使したとは思えません。 明治維新以後、国民が国を訴えた裁判でいちばん最初のものはどんな裁判でいつのことだったのでしょうか?
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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質問者さんのご意図はこういう日本人の国民性の中で、ある日突然に忽然とあらわれたのではないでしょう。 何か素地や心性的要素があるでしょう、ということなのではないですか。 そういう論点からのご質問にされると、江戸時代も、明治も昭和や大正もかなりあると存じますよ。
- InfiniteLoop
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○明治維新以後、国民が国を訴えた裁判でいちばん最初のものはどんな裁判でいつのことだったのでしょうか? 明治維新以後といえども、大日本帝国憲法においては、国民が国を訴えることはできませんでした。「公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わない」、という「国家無答責の法理」が存在したからです。 国民が国を訴えることができるようになったのは、新憲法において、「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と規定され、その実現として国家賠償法が規定されてからです。昭和22年10月27日のことです。 さて、それを前提として、国民が国を訴えた裁判でいちばん最初のものとなると、和歌山地方裁判所の昭和23年11月16日の判決ではないか、と思います。(但し、厳密に確認したわけではありません。そうじゃないか、という程度の話だと思ってください) この事件の原告は、とある家屋に住んでいた男です。この家屋は戦時中、国により買収されたのですが、移築して住みたいと思った男はこの家屋を解体撤去する条件で和歌山県知事から買戻の許可を受けました。しかし戦時中だったため解体作業が進まなかったところ、終戦を迎え、結局その解体作業は必要ないこととなり、その旨の知事の指示も受けました。しかし、新宮警察署の警察官柏本某という人は何故か、「誰が何といつても疏開事務責任者である本官は許さぬ。四、五日中に取壊せ」、と解体を強く主張し、挙句の果てに「多数の人夫を使役して本件家屋を減茶苦茶に破壊し」てしまいました。 そこで原告は、この警察官の行為は不法であるとして訴え出たわけです。 しかしながら、この事件には問題がありました。警察官がこの行為を行ったのは昭和20年7月23日だったのです。その時点では国家賠償法は成立していませんでした。そして前述のとおり、国家賠償法の前は国は公務員の行為に責任を負うことはありません。そして国家賠償法には、国家賠償法の施行前に起こったことについては国家賠償法は適用されない、という規定もあったため、国家賠償法を遡及して適用することもできません。 したがって、判決は、「結局原告主張の損害については被告国はその賠償責任はないものといわねばならぬ。」として、原告の請求を認めませんでした。 これが多分、国民が国を訴えた裁判でいちばん最初のもの、です。
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詳しいご回答ありがとうございました。
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