• ベストアンサー

「神(仏)の御心」、「人類の叡智」、「私の理性」の相違は?

信仰の対象は問いません。主題は何でもよいのですが、信仰のある人が仮に食料危機、人口爆発、地球温暖化等々の人類に共通の困難を克服する方法について考えるとします。 このとき、 1 「神(仏)の御心」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 2 「人類の叡智」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 3 「私の理性」に忠実であろうとし、これに従って考える。 1、2、3によって結論に変化が生じますか。どんな違いが生じますか。 信仰をもつ方の見解を知りたいのですが、信仰をもたない人の場合も論理に基づいて推論することによって1、2、3の各場合の異同について答えられるのだと思います。よって、回答者に資格制限はありません。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • VCAT
  • ベストアンサー率20% (16/79)
回答No.2

あなたはすごい人だ。 こんなところで質問なんかしていないで、行動を 起こすべきです。グリーンピースでもシーシェバード でも。 それともああでもないこうでもないと考えて一肉を 送るのが専門ですか。

sono-higurashi
質問者

お礼

VCATさんの人柄がよく表れた回答なのでしょう。VCATさんの人柄を少しでも皆さんに知ってもらえるように20P上げます。

その他の回答 (8)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.9

[食料危機、人口爆発、地球温暖化等々の人類に共通の困難]という考え自体の設定が1,2,3にかかわるものですね。 1。「仏神の御心」、計画と呼びましょう。計画に沿っているから人口爆発があるので、食料危機や地球温暖化等々は共通の困難ではないということですね。魂にとって良い経験になるだけでしょう。こういえば問題設定の立て方がおかしくなるでしょう。 2。「人類の叡智」、60億もの人間が地球上で生活した経験は過去の歴史上ないので「人類の叡智」と呼べるものはないですね。いつの時代でも一部の人間は生き延びてるわけですからそれが智慧ですね。その浅智慧でも逃げるしかない脅威はわかりますね。 例えば、地球がその一部を震わせば、つまり地震一発で自分のものは何もなかったということが理解できますものね。 3.「理性」おのおのが今日一日を生き延びるだけのものでしょう。その眼を通して[食料危機、人口爆発、地球温暖化等々の人類に共通の困難]という考えがでてるのでしょう。 ただし人間には「悟性」があります。この悟性が唯一「仏神の御心」を知るよすがですね。 よく真実を見て考え悟性を磨くことですね。

sono-higurashi
質問者

お礼

>>「仏神の御心」、計画と呼びましょう。計画に沿っているから~。 なるほど、「仏神の計画」でしたか。将来とも「仏神の計画」と私が呼ぶことはありませんが、mmkyさんの考え方は、よく分かりました。どの辺りの段階からかは私には判りませんが、遅くともクロマニヨン人にまで進化した後は、大概のことは人類自身の責任だと考えています。ヒトの祖先の脳容積が一定値を下回っていた時代には全て「仏神の計画」になるのかも知れません。動物には当事者能力がありませんから。あっ、そうか、そもそも進化なんて嘘っぱちで人は「仏神の計画」によって創られたという説の持ち主でいらしたかしら。 >>「人類の叡智」と呼べるものはないですね これはそうかも知れません。「人類の叡智」と呼べるものがあれば、人口爆発が「仏神の計画」という認識にはならなそうです。悲観主義者の私の本音も、そうであるかも知れません。しかし、私は小心者なので「人類の叡智」くらいは口にして、周囲と調子を合わせて暮らしています。 >>よく真実を見て考え悟性を磨くことですね。 悟性なんて大したお言葉なんでしょう、並の人間には遣えなさそうで久方振りに出合いました。 「よく真実を見て考え」ている方から、『人口爆発が「仏神の計画」』だなんてお言葉が出てきたのには、びっくり箱を開けた気分です。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

回答No.8

 正体を見透かされた<所詮互いに言いっ放しで終わるのですから>に忸怩を感じ、多大の反省をしております。また、それはそれだからこそ、よいともいえましょうし、何事もそういう側面性があるということもご認識されておられるようで、寛容を感謝します。そしてそういう側面ばかりでもないこともご理解されておられると存じます。  1 「神(仏)の御心」を探り、これに倣う場合。    ○⇒なかなか善男善女ともいかないものですね。野心とか俗欲はそう簡単ではありません。教団外のへっぴり腰派にとっても覚え愛でたき人でいてくれるのでしょうか。異教徒へも覚え愛でたき人でいてくれるのでしょうか。    ○⇒自分に自信がありませんと、このことも難しいものですね。  全人類を一色に染め上げるまで邁進する意思堅固な怖い人が沢山混じっていませんかね。    ○⇒そういう心の込め方ではとても邁進も続きませんでしょうね。そういう自覚と、意気込みの方って、ちょいと入ってすぐ居なくなりませんでしょうか。あちこちに顔をだして、また消えて。  対象次第でしょうから21世紀型の神仏を信仰してもらいたいものです。   ○⇒その通りですね。当然そのようにしていきたいですね。 2 「人類の叡智」を探り、これに倣う場合。   ○⇒神創造の人類の叡智を確信し、その研鑽を指導しない教えはいけませんね。それでも人類はそれにすぐに素直になれませんし、教団外でへっぴり腰ですよ。教団としては覚えは愛でたくない、そういう人類と付き合わなければ、存立存続はできないのですよね。善き信徒でないとの自責に苦しんでも、ちゃんとその都度ね、言い訳がありますよ。それがなければ耐えられませんではないですか。それが宗教であり、組織であり存立存続ですね。信仰とはそうなんですよ。それにどう対処するかですかね。神仏の上に立ってしまう不遜な人類を創造し、維持し、やがて自己の中に溶け込ませ、今現在のありようにしているかのようにご質問者にめせているのはその唯一の実在である、意識存在ですからね。人類は不遜に悩むというような不遜もしておりますね。聖なる創造の原点から、最低と思われるありようまで、創造と破壊の意識存在は、至福と聖嘉(ブレッス)のなかで、お付き合いしてくれておりますのでしょう。彼が意識を引き上げれば、何も存在しませんからね。聞き分けをよくする必要よりも、全てが彼なのですから。悪・善。それは人類の概念ではないですか。一なる存在者が翼の広いとみえるのも、それだけしなないのですから。 3 「私の理性」を探り、これに倣う場合。   ○⇒現人神で独裁者が理性を探った結果でもないでしょうし、そんなでは、理性も探れませんよね。当たり外れや博打を心配する内は、人生ってまだ、生まれてきていないのでしょうかね。

sono-higurashi
質問者

お礼

少しなのか、はっきりなのか人間の理性への信頼度に温度差がありそうです。kryaさんの理性観はジェントルマンのもので健全そうです。私のは不健康そうです。裁判は理性と理性の衝突だし、戦争も理性と理性の衝突です。理性なんてものは、どの程度信用できるのでしょうかね。「私の理性」を「神の御心」にしてしまう人も、「神の御心」が天下ってきて、それを「私の理性」としてしまう人も苦手です。 何にせよ、こんな場所では、なあなあの立ち話程度で止めておくのが賢そうです。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.7

NO1,6です >1、2、3によって結論に変化が生じますか。どんな違いが生じますか。 心の問題は不識(知らない)ですが、外の問題としては1,2,3どれを選んでも同じだと思います。

sono-higurashi
質問者

お礼

ANo.6も拝見済みです。再三のご回答有り難うございます。 外の問題はよく分かりました。心の問題は達磨大師のご返事だけあって手も脚も出ません。こんなご返事を頂いて、うっかり分かりましたなんてお礼を言ってしまったら大変です。公案は落語の「蒟蒻問答」だけ分かります。 素っ気ないようですがこれで終わります。この質問はお礼の書き方によって、如何様にも話題を広げ、如何様にも深く誘導できそうですが根掘り葉掘りは好みません。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.6

「人類の叡智」も「私の理性」使うべきですだと思います、それ以外を何を使うのでしょうか、その結果、良い結果が出ようが悪い結果が出ようが、どちらも「神(仏)の御心」ではないでしょうか。 仏教とは自覚(さとり・平たく言えば解った)の宗教だと思います。 人間は何故苦しむのか、それを外の原因に持っていかず、心は何故苦しむのか、一般の人は苦楽・生死を二つに分けて見ますが、これを一元と自覚したのが仏教だと思います。別の言い方をすれば人間の知恵で苦楽・生死がどうなるかは解らない=「神(仏)の御心」。 ですから >1、2、3によって結論に変化が生じますか。どんな違いが生じますか。     達磨の言葉を借りれば不識

回答No.5

 ANo.4のお書き込みへの私の対応  「神(仏)の御心」に一致しない、「人類の叡智」も、上記の二者に一致しない「私の理性」もどこか間違っていると存じます。  一致するべきだし、受け入れるべきだし、妥協するべきだと存じます。何か要領のいい考えですが、勉強や完全への努力をしている自分としては、壊れるべきではないし、不遜にならないようにしたいと存じます。イエスキリストやいろんな聖者方が死をも辞さないで真理を貫徹したことは偉いけれど、私は弱いし、それを自覚しております。そして不完全ですから、みんなにどうにか受け入れられ、いっしょにやっていく、悪く言えば付和雷同でもあります。謙遜だからというのは言い訳で、そして勉強や精進の途中のものだからと言うのも言い訳です。  本当は対立がいやだからです。殺されるのがいやだからです。  でも自分が相反する考えなら、じっと静かに自分で抱き続けます。  そして何とかそれを分かってもらうように努力し続けます。  誰かがいたら協力します。そして地下にもぐり続けます。

sono-higurashi
質問者

お礼

>> 一致するべきだし、受け入れるべきだし、妥協するべきだと存じます。 何が何を受け入れるのか、何が何に妥協するのか、信仰の対象は如何なる神仏なのか、これらがはっきりしないと誤解のない読み取り方は出来ないのだと思います。しかし、それがはっきりしたところで、その先の展開が期待できる訳ではありません。所詮互いに言いっ放しで終わるのですから、しゃちこばった確認はせず、ひょこひょこ読後感を記してお礼とします。 三者が一致するが故に良くも悪くも大きな問題を孕むのではないでしょうか。 1 「神(仏)の御心」を探り、これに倣う場合。 善き信徒です。教団の覚え愛でたき人です。さて、私ら、教団外のへっぴり腰派にとっても覚え愛でたき人でいてくれるのでしょうか。異教徒へも覚え愛でたき人でいてくれるのでしょうか。全人類を一色に染め上げるまで邁進する意思堅固な怖い人が沢山混じっていませんかね。対象次第でしょうから21世紀型の神仏を信仰してもらいたいものです。 2 「人類の叡智」を探り、これに倣う場合。 穏健で、私ら、教団外のへっぴり腰派にとっては有り難いです。しかし、教団の覚えは愛でたくなさそうです。善き信徒でないとの自責に苦しみませんかね。人類が神仏の上に立ってしまう不遜にも苦しみませんかね。それとも聞き分けのよい翼の広い神仏も探せば在るのでしょうか。 3 「私の理性」を探り、これに倣う場合。 これは現人神で独裁者です。当たり外れが大きくて私ら、へっぴり腰派にとって博打です。 6 悪人に大した悪は働けません。生涯に三人も殺せば大悪人です。世のため、国のためが口癖の連中が、ほんの数年で何百万人も殺すことになるのです。大善は大悪に似たりですが、大悪は大善に似たりでもあります。自信満々の善人居士は恐ろしいです。地下にもぐっちまう臆病者やへっぴり腰人間は人畜無害でしょう。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします(字数制限のため項目4、5は割愛しました)。

回答No.4

 1 「神(仏)の御心」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。    自分やそのひとにおけるそれです。  2 「人類の叡智」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。    同じ  3 「私の理性」に忠実であろうとし、これに従って考える。   同じ  結論はみんなで一生懸命やっていくより仕方ない。 できない人、あれはできるがこれはできない人、 何でも有能だが、そして根本もりかいできるが、それだけの人。 あまり能力も、管理もできないが、じっくりすこしずつやっていける人。  いろんな人がいるけれど、みんなでやっていける能力と方式、システム、哲学を持ち、指導者が得られることではないですか。 このききたいで個性がどうの、っていう話が難しく論じられているけれども、人は、この世界は、千差万別、そしてみな同じ。  それを分かってもらわないと、わたしもようなこつこつと、日々努力を積み重ねるしかない人たちの場もないしね、そして世の中や宇宙を変えるにはそういう長い努力でしてね。

sono-higurashi
質問者

お礼

「神(仏)の御心」、「人類の叡智」、「私の理性」は一致する。こういう説ですね。信仰があれば当然だと思います。ということは、信仰の対象がよっぽど温和な多神教の神仏でないと他の共同体と円満に共存できない理屈になりませんか。 お考えの一端から拝察するに、先ず「人類の叡智」を探り、それを「神仏の御心」とし、それを「私の理性」とする。こういう手順でいらっしゃるのでしょうか。これだと他の共同体と円満に共存できそうです。また、信仰のない人達の場合、先ず「人類の叡智」を探り、それを「私の理性」とするのが手順だと思いますが、この人達とも衝突しないで済みそうです。 一方、頑固な神仏を信仰したとき、常に相手に譲歩を求める結果になりそうに思えますが、何か考え落ちがあって、そんなことはないのでしょうか。 お礼文に疑問文が混じっていても、ご返事を求めるものでも拒否するものでもありません。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

noname#117439
noname#117439
回答No.3

私は何も考えないであたまを真っ白に出来る特技があります。 一方でソクラテスのように鬼神を操り論理について研究したりもします。 超人と廃人の表裏一体の心境です。 私は1.2.3.の考えが一致しています。 >食料危機 問題なのは所得格差のみで平等な分配があれば飢餓は起こりません。 >人口爆発 日本人は人口減少世界に生きています。 中国もやがてそうなります。 文明が高度化すれば解消される問題だと思います。 >地球温暖化 テレビでもやっていますが生命とは柔軟なのでそれなりの適応をするでしょう。 地球規模の問題ってのは「困った顔」をするもんじゃないと思います。 成り行きに任せて楽観してもいいと思います。

sono-higurashi
質問者

お礼

私は何を考えても、あたまが真っ白になってしまう特技があります。困っています。 >>私は1.2.3.の考えが一致しています。 分かりました。この質問は個々の課題の解決策には関心を示していないので、このご回答で完璧です。従って、以下は疑問文になっていてもご返事を求めるものでも拒否するものでもありません。 信仰のある方の場合、当然こうなるべきだと思います。ということは信仰の対象がよっぽど温和な多神教の神仏でないと他の共同体と円満に共存できない理屈になりそうです。二つの共同体が妥協しない異なる神仏を信仰している場合、両者の譲歩は難しそうです。それとも何か考え落ちがあって、そんなことはないのでしょうか。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.1

>1「神(仏)の御心」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 結果が悪かったとしても納得するのではないでしょうか。最悪人類滅亡でも >2「人類の叡智」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 人類の叡智を超えたものが神(仏)の御心でしょうから、結果が悪かった場合納得しないでしょう 人類の叡智は居の中の蛙だと思います。 >3「私の理性」に忠実であろうとし、これに従って考える。 2と同じです。 1,2,3どれを選択しても、いい結果が出るか、悪い結果が出るか誰のも解らないと思います、悪い結果が出た場合、納得するのは1だけだと思います。 私は信仰と言うほどのものは持ってませんが、どちらかというと仏教系です。

sono-higurashi
質問者

お礼

時系列では 克服する方法の結論甲を得る。甲が原因となって結果乙が出る。乙を突きつけられて、どう受け止めるか。こういう順番になります。 結果乙が出たとき、信仰があれば泰然自若としていられそうなのは納得できます。結論甲と結果乙の影響が全くの個人内に留まり、他者に些かの作用もしないときは何の問題もないのだと思います。私の場合は何につけ、おどおどびくびくへっぴり腰で暮らしているので羨ましく思います。 しかし、他者に何がしかの影響を及ぼすときは傍迷惑になりませんかね。悪い結果を得たとき、私ほどには右往左往しないにしても、頭を掻くくらいの事はしてくれる人との方が安心して暮らせます。 まして1、2が井戸の蛙という認識だと信仰のある方にとって、不信心な者の結論は無視同然になりませんか。利害関係が対立している大きな困難になればなるほど無信仰な者や異教徒の出す結論が蛙の結論に見えてしまう理屈になりませんか。双方が相手を蛙だと認識し合うと敵対する事になりませんかね。 ともあれ、このご回答は人類共通の大きな困難を克服するについては、「宗教は障害物である。頼むから科学をベースに考えて欲しい。」との今日現在の私の考えを補強する働きをしてくれました。ありがとうございました。 なお、1、2、3によって結論甲の出方に違いがあるのか否かも知りたいです。よろしくお願いします。