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子供が自ら生まれるかどうか選べる権利

 出産というのは親からの一方的な欲求によって子供は強制的にこの世に誕生させられてしまう残酷な行為だと思います。  親子間によるいがみ合いからの殺人事件がそれを表していると思います。  人類は以前では考えられなかった、神の領域と考えられていた中絶を許容し、技術としてはクローン技術も許容しました。  このことから基本的な人権に「生まれてくるかどうかを本人が選べる、もしくは選べる環境を選べる」権利が盛り込まれるのも自然だと思うんですが、いつごろそういう時代になるでしょうか?

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  • 63ma
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回答No.18

>子供が自ら生まれるかどうか選べる権利< あるといいですね。 不幸な子供は一人も居ない事になりますね。 でもこの地球上では無理です。 太陽系以外の惑星になら、そのような制度を持った生命体が居るかも知れません。

その他の回答 (17)

  • dai-ym
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回答No.17

意識の無いものに選択はできません。 また赤ん坊や胎児に判断する意識が有ったとしても、判断するためのデーターが有りません。 そんな状況では選択などできるわけがありません。 だからそんな時代は永遠に来ませんよ。

  • tooma37
  • ベストアンサー率25% (96/374)
回答No.16

>親子間によるいがみ合いからの殺人事件がそれを表していると思います。  出生以後の養育環境からの不和もありますので一概にはいえません。そもそもその手の殺人事件自体が日本全体の親子の比率から考えると極小なので“それを表して”いません。 >神の領域と考えられていた中絶を許容し  文明圏によりけりです、日本では江戸時代に宗教的ではなく倫理的観点から堕胎を禁止することもあったようですが、少なくとも神の領域と考えられていたというのは考えにくいです。 >基本的な人権に「生まれてくるかどうかを本人が選べる、もしくは選べる環境を選べる」権利が盛り込まれるのも自然だと思うんですが、いつごろそういう時代になるでしょうか?  中絶とクローン技術の一部的な許容が何故上記の行為を自然とするのでしょうか?補足説明をお願いします。  技術的にいいますと、上記の様な選択権を与えるには、妊娠中の胎児に対して外部世界の情報とそれに対する認知能力を付与する必要があります。パソコンに情報を書き込むような脳への情報転送は現代の科学では不可能です。これを技術的にも倫理的にもクリアして始めて、という問題になりますから、実現するにしても(倫理面の問題をクリアできない気がしますが)相当先の話でしょう。

noname#91323
noname#91323
回答No.15

>>出産というのは親からの一方的な欲求によって子供は強制的にこの世に誕生させられてしまう残酷な行為だと思います。 よほどつらい目にあっていると思うが、生まれてきた以上あきらめて 幸福を追求するしか道はありません 育てる親も人間、子も人間、完全じゃないのです 今から自分で切り開くことはできるし、その目標を立てられるのは生まれてきたから そもそも人間は平等じゃない。へこんでどうする!!

回答No.14

”生”の経験がないものに,その好悪を訊ねるというのこれ如何に? 事前にちゃんと説明してあげましょう。。。ほら,インフォームドコンセントとか,説明責任とか,,あるでしょう?? 実際,説明を聞くのは”実時間再生”というやつで,,説明を聞いているうちに死にたくなる...それがひとによって13年目だったり27年目だったりするってことじゃないかなぁ。。

noname#66624
noname#66624
回答No.13

>いつごろそういう時代になるでしょうか? 35世紀頃でしょうね 確か昔のアニメでそんな内容のがありました アニメはスーパーなんちゃらですが詳しくは覚えていません

noname#107565
noname#107565
回答No.12

すでに、「生まれてたい!」「この環境で良い!」という判断を本人が選択したと考えるのが現時点では自然であると思うのですが。 選択できる権利であれば、胎児が判断し選択できるという事が証明されないとなりません…けれど、どうでしょう?

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.11

私は芥川龍之介の『河童』を思い出しました。芥川龍之介は質問者様と同じ発想を持っていたようで、この小説では河童の子どもは生まれる前に「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で父親に聞かれます。小説に登場する子どもは「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」と答えて生まれないことを選びます。 寓話としては示唆に富むと思いますが、本当にこのようなことになることが、子どもと親にとって幸せかどうかは疑問です。自分の子どもに「生んでくれと頼んだわけじゃない」と文句を言われているうちが花なのかもしれません。

noname#138477
noname#138477
回答No.10

 現在は、恋愛観・結婚観・出産や子育てに関する考え方に問題がある方は少なくないように思いますので、質問文にあるような提起をしたくなる気持ちも分かるような気がします。  結論としては、そのような時代はこないと思います。  生まれてくるのを感謝したり嫌がったりするのは、生まれる前もしくは生まれた時からの感情ではなく、育っていく過程で生まれてくる感情です。また自らたどる一生も、そのことに対する判断能力もない胎児に自ら判断することを求めるのは不可能です。

回答No.9

ア、ありましたね映画で「地下鉄(メトロ)に乗って」で。 過去にタイムスリップしたヒロインが妊娠中の母を階段から突き飛ばし自ら消えていく・・・ 浅田次郎さんの原作は読んでいませんが悲しいストーリーだったので憶えていました。 ということでタイムマシーンが出来れば・・・

noname#29999
noname#29999
回答No.8

カテゴリーを間違えたんじゃないでしょうか? 中絶が神の領域かどうかは別にして、「生まれて来るかどうか」「生を選ぶか無、あるいは死を選ぶか」は自意識とか自我が芽生えなければ選択できるものではありません。 受精卵の時点で既に自我を持つとすれば、これはオカルトの世界です。 そんな映画ありませんでしたっけ?(ローズマリーの赤ちゃん?) また、生まれた後で生きるか死ぬかを選べる、もしくはその環境をつくるということは、一歩誤れば、人類浄化にも繋がりかねない危険と隣り合わせです。 そんなことより、何故この世への誕生が残酷と思うのですか? 何年生きているか知りませんが、そう云う結論を出す前に、一生懸命生きる努力をするべきだと思います。 どうせ、要らない命なら一度でもどこかで助けを必要としている人の役に立ってから改めて自分が生きていることが残酷かどうかを考えるべきです。 非常に現実的回答ですが、違った種類の答えが欲しければ、哲学のカテへ行ってはどうでしょうか?