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秋葉原事件の犯人の心理って

とにかく誰でもいい、人を殺したいという、秋葉原通り魔殺人事件の 犯人の心理は、どこから来るものなのでしょうか? 進学校からの大学受験失敗の挫折、親の離婚、職業を転々・・・と、 いい事が何もなくて厭世的な気持ちになり・・・ということだけなら、 自殺するケースが多いのでは、と思うのですが、人を無差別に殺したくなる心理は、自殺願望とは違うのでしょうか? ご存知の方、教えて下さい。

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回答No.5

> 人を無差別に殺したくなる心理は、自殺願望とは違うのでしょうか? 本質的には、世界が気に入らない、受け入れられないでどうにもならないとき、 相手を殺すか、自分が死ぬか、どちらに向かうかは、本人の考え方(主に倫理観や想像力)しだいです。 自殺する為には、他殺以上に決意と強い意志が必要になりますから、 他殺に向かう人間には、捻じ曲がった自己憐憫と性格的な甘えが潜んでると思います。 生育歴(どのように育てられたか)が、倫理観の育生に大きく関わってくると思われるのですが、 健全な自己顕示欲の発露の方法を学んでこなかった、 自分自身の自分の育て方を誤ったのが一番大きいものと思われます。 15や17ならいざ知らず、25歳にもなれば、親の育児の責任よりも、 本人の責任が大きいと思いますし、「親が出て来て謝る」ことで、「ほら親が責任を認めただろう」と 本人の甘え体質をより強化すると同時に心理的な避難先をつくることになりかねません。 こういう犯罪者は、名前を奪い番号で呼ばれる受刑者として、 恩赦などの全くない終身刑(現実にはありませんが・・・)にして、 自分について書かれ語られた、メディア(新聞、TV、ネットなど)を目に触れないように検閲して、 ○○○桟敷の刑にしたらよいです。(笑)、当然、本人への取材も全面禁止です。 勿論、反省材料となる被害者の声などは、嫌でも見て読んでもらいます。 というか、それしか読ませません、繰り返し繰り返し、一生続けてもらいましょう。 死刑、なんかで簡単に殺してはいけません、生きてやったことを毎日毎日反省してもらいましょう。 脱線してしまいました(スマソ)

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 全く同感です。 生育歴って重要なんですね、私なんかただ漠然とフツーの両親にフツーに育てられた凡人ですが。>健全な自己顕示欲の発露の方法・・・って 生育歴によって今回のように誤った方向に表れるということもあるんですね、勉強になりました。

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noname#82286
noname#82286
回答No.7

まあみちずれというかそういう心理が働くんでしょうね、自分より不幸な存在を作る事によって自分の精神が幸福にいたるという現象を引き起こそうとしたと考えられます。これはいじめっ子の精神状態ととてもよく似ています。 まあ自殺を選んでも良かったのかもしれませんがそれだと制裁が出来なくなるわけで、どうせ死ぬなら自分より不幸な存在を作って死んでやるという精神状態だったと思います。またあれだけ大々的な殺人を引き起こすということは英雄願望があったのではないかと思います。悪い人間になって英雄になろうということです。

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、みちずれですか・・・。 >どうせ死ぬなら自分より不幸な存在を作って死んでやるという精神状態・・・それはあると私も思います。生きていても一人ぼっち、死ぬ時まで一人で死ぬことないじゃないか、見知らぬ誰かをみちずれに・・ってところでしょうか。 ゆがんだ英雄願望って、劇場型犯罪にはよくありそうですね。 それもこれも、全て育て方が悪いのでしょうね、幼少からの。

  • hakobulu
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回答No.6

一素人の感想ですが。 本質的には、親への当てつけでしょうね。 つまり、彼の主張したかったことは「自分はこれほど不幸なのだ」ということを親に知らしめることだったはずです。 色々な条件が重なっているように見えますが、それは親からしっかり愛されていたという記憶がありさえすれば、充分に乗り越えられる類の条件である場合が殆んどでしょう。 この場合の愛されるというのは、猫かわいがりされることでも、ふんだんに物を与えられることでもなく、表面上はどうあれ、自分は間違いなく慈しまれていたし、気にかけてもらえていた、という確信のようなものです。 これを得られないまま成長すると、その代償を他者に求めるようになります。 なぜなら、愛を与えること、及び愛を得ることなくして人は生きられないからです。 親から充分に愛情を得た人は、自我の確立に向けて邁進することができるようになります。 自分は愛され得る存在であり、自分を大事にすることは当然の権利なのだ、と実感できるからです。 この過程を踏まないと、自分という存在は、いつまで経っても愛されてはいけない者という位置づけから脱することが難しくなります。 なぜならば、本来ならば自分を庇護し、心から愛してくれるべき親さえ愛してくれなかったのだから、自分には本当に愛される価値がないのだ、という不合理な思い込み(イラショナルビリーフ)を刷り込まれてしまうことになるからです。 自分というものに疑念をいだき、結果として自分を大事にすることができません。 つまり、彼は親との問題を未清算のままにしていたのだろうと思われます。 >自殺するケースが多いのでは、と思うのですが、人を無差別に殺したくなる心理は、自殺願望とは違うのでしょうか? :自殺というのは、エス(本能)が弱っている場合で、生きる活力自体が欠乏している状態と言えるでしょう。 殺人の場合は、自我の正常な発達が疎外された状態と思います。 正常な自我とは自らを守る役割を持ちますが、発達が疎外された自我は他者への攻撃によって、相対的に自らを守ろうとします。 他者の不幸によってしか自らの幸せや安全を確認できなくなっているわけです。 なぜなら、自力で自らを守るだけの自我が確立していないからです。 誰でもよかったのは、最初に述べたように(無意識的でしょうが)親への当てつけだったからでしょう。 会社への当てつけという要素もあったでしょうが、基本的には、自分を庇護してくれるべきものが庇護してくれなかった、という思いが憎悪につながっているのだと思います。 親に対する自らの憎悪に気づいていたのかいなかったのか。 どちらにしても、一種の錯綜が彼の脳で起こっていたのは確かでしょう。  

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 親の存在と育て方というのが、いかに大事かということがよく理解できました。 私も思春期の息子を育てているので、あのような大人にさせないように心掛けて十分に愛情を掛けて育てたいと思います。

noname#74145
noname#74145
回答No.4

こんばんは、思った事を書いてみますが まず幼児期からの生育環境の問題、父親不在による(精神的な)心的アノミー、家庭内で楽しい事などなかった幼児期、中学時代の優越感、高校以降の劣等感・・・ 自己や周囲を破壊するほどの強い承認の欲求に、これを満たす手段として無差別大量殺人に及んだ、と。注目を集め承認の欲求が満たされるなら他人も自分も死んでもいいと考えた。 承認の欲求>自分の命>他人の命、という順番かも。 以上のように考えます。 根本的な問題は幼児期に強い父親と愛情たっぷりの母親が居なかった事かも知れません。幼児期の環境が人間を鬼畜に変えたのだと思います。 あのような犯罪を犯す人間が出ると社会の病理だの経済政策が悪いだの言う評論家がいますがピンと外れだと思いますね。 一番の問題は幼児期に【手本になる強い父親と愛情たっぷりの母親】がいなかった事が原因だと思います。

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 幼児期の両親の存在というのが、いかにその後の人格形成に重要かということが、よくわかりました。 両親や社会に認められない鬱憤を見ず知らずの他人にぶつけるしかなかった ・・・う~ん、ひねくれてるとしかいいようがないですね。 ああいう捻じ曲がってしまった心はもう矯正できませんね。

回答No.3

>ご存知の方、教えて下さい。 ご存知では、ないのですが、推測してみました。 精神的な異常時において、自殺か他殺かの分かれ目は、単に本人の性格によるのでしょう。 大雑把に言えば、 内向的だと、自己の不甲斐なさを問題にしているので、自殺する。 外向的だと、自分は社会的な被害者だという問題意識なので、他殺になる。 あの殺人鬼は、計画的なので判断能力は十分あり、錯乱とか乱心とは、言わないのではないかと思います。反社会の犯行計画を冷徹に実行したその状況から判断しても、行動的であり、内向的な性格ではないと推察します。外向的だから、社交的だというのは精神的な異常時には間違っていますので、そこのところは要注意です。数日間にわたって、反社会性が極大化していたと思われます。 また、自己顕示欲も指摘されているようですね。つまり、欲望の強さもかなりの水準に達していたと思われます。枯れたイメージでは全く無いでしょう。ふつふつとした、沸点に達したような、爆発的な、エネルギーのようなものを感じます。自己中心的な欲望の強い人は、反社会的な傾向にあるものです。自分以外は収奪の対象ですから、命でも何でも奪おうとします。社会を獲物にした狩人のようなイメージでしょう。

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど~、自己顕示欲と外向的と反社会性→自分は社会の被害者→こんな自分にした社会に対する報復→社会狩り・・・怖いですね。 ああいう人格破綻者は、一人で自殺なんてできないんですね。 私だって、そりゃあ、殺したいほど憎む人もいます。でもそこは理性であり、沸々と殺意が湧き上がってもそのエネルギーをその対象人物に爆発させることはないわけですが、17人殺傷して、彼なりの社会狩りを遂行して、今は満足の絶頂にあるのかと思うと、獲物にされた罪なき人はまさに犬死になわけです。>社会を獲物にした狩人・・・第2の狩人が出ないことを祈るだけです。

回答No.2

根源にあるのはコンプレックスじゃないでしょうか。 それがこのタイプの人間のパースナリティでは鬱積して 爆発するのです。しかし、その方向はどこでもいいわけ で。特定の方向に向かわないというのが特徴です。 しかし、こういう人間を赦す宗教があると知って驚いて います。無差別テロの温床になりやしないかと心配です。

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 >こういう人間を赦す宗教がある それは困りますね。おっしゃるとおり、またかつてのオウム教みたいな ことになりはしないかと心配です。 鬱積してマグマのようにたまったコンプレックスのはけ口にされた被害者の方たちの無念を思うとやりきれません。 一人静かに自殺でもしてくれた方がよかったです。

  • Dxak
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回答No.1

犯人自身ではないので、判りませんが・・・ 掲示板の書き込みに、「ワイドショーを独占できる」とかの書き込みがあったような記憶があります 犯人自身、おとなしく目立つことが無かったと言う話から、目立ちたかったと言う話だけだと思いますけどね まぁ、個人的には、あまり理解する気もしない話です

kyouko1011
質問者

お礼

ありがとうございます。 目立ちたいだけの欲望を満たすために、 標的にされたらたまったもんじゃないですよね。 自己顕示欲のなれのはて、ってとこでしょうか。