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無差別殺人の犯人の心理状態は?
最近、茨城8人殺傷事件のような無差別殺人事件はじめ、人を殺しても何とも思わない、却って「人の血を見たかった。」「誰でもよかった。」などと快感を覚えたかのような発言をする犯人が増えています。 彼らの心の中にはどのような闇が広がっているのでしょうか? どうしたら、このような心理状態になるのでしょうか? どのような生活環境がこのような犯人を生み出すのでしょうか? 今回の犯人は、ゲームばかりやって引きこもりがちだったようですが、そのようなことも影響しているのでしょうか? 尚、今週一杯旅行がちで、お礼が遅くなると思いますが、ご容赦ください。
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犯罪者の心理は、本当に複雑で難しいんじゃないかと思います。 ただ、今回の事件では、最初の事件の後、警察を挑発しておいて、警戒の目の前で2回目の無差別殺人をあえて行い、その後で自ら出頭している。とすれば、人生の負け犬のまま人生を終わる事が出来ず、殺人という歪んだ形で強さを示し、社会に復讐した後で、法に裁かれる形で人生を終わろうとする、まさに他者依存的な自己破壊行為とも思えて来ます。 だから、もし仮に、(平和で安全な社会を守るべき)警察側が犯人の挑発に乗って「犯人を捕まえること」にばかり気をとられ、事件を未然に防ぐことがおろそかになっていたとすれば(もしそうなら)、それこそまさに犯人の筋書きどおり(極刑免れないという結末)なのかなと、なんだか思えてしまって、切ないです。 あらゆる面で悲劇。。。 のような気がしています。
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- maremare
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こういうところで素人に質問するよりも、裁判が始まってから 精神鑑定が行われることが予想されますので、鑑定医の鑑定結果を 読んだほうが最も正確に把握できますよ。 というのも、こういうことは生活歴・本人のパーソナリティ・ 家庭環境・その他の外的な要因(学校、地域、仕事など)が 複雑に絡み合って起こることなので、何かのパターンがあるようでも 一つ一つの事例を見れば、個別性が実にさまざまにあるからです。 そういうものを本人から直接丁寧に聴き取ることで、 初めて見えてくるものがあります。ご質問にあるような 「ゲームばかりやってる引きこもり」が全員殺人犯になるとも 限りませんし、その「血を見たい」「誰でもいい」という理由の 背景にあるものも欲求の強さも、それぞれだと思います。 一つだけ言えることは、テレビのコメンテイターや「自称心理学者」らが 知ったかぶって「犯人の心理面」に言及していますが、 何らかのパターンや傾向が続けて見られる場合は、「こころの闇」といった 内面に向けるのではなく、そういうものを生み出す社会という マクロな視点から解明していったほうが早いだろう、ということです。 「血を見たい」「誰でもいいから殺してみたい」と言わせた要因として 何が考えられるか、日本社会に「命」や「生きること」に対する どのような風潮や価値観があるのか、ゲームの影響があるとするなら、 ゲームが子どもや青年に及ぼす社会的な影響はどのようなものか、 それは本当にゲームだけのせいなのか?といったポイントですね。 ちなみに、犯罪をはじめとする社会からの「逸脱」については、 「逸脱」に関する社会学や「逸脱理論」といったものを読んだほうが、 下手な心理学の本を読むよりわかりやすくて面白いですね。 なぜなら、犯罪のあり方もそのときの社会の価値観や「社会規範」 (道徳、モラル、習慣、集団のルール、法律など)のあり方を 反映しているからです。高度経済成長期に起こった犯罪の動機と 現代の事件のそれとを見比べたら一目瞭然です。犯罪精神医学 (犯罪心理学ではありません)の本もありますが、どちらかといえば ケーススタディになっているか、個人の精神的な問題に帰結させた ようなものがほとんどです。
お礼
旅行や身内の不幸が重なり、お礼が大変遅くなりましたことをおわびします。 精神鑑定結果を読むのは参考になるでしょうね。 犯人の心理面と社会の問題点がいかに絡まっているのか、色々考えられるのでしょうが、興味深いです。 「逸脱」に関する社会学や「逸脱理論」、「犯罪精神医学」 といったものも研究してみたいと思います。
- chixi-p
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人の痛みを知らないからではないでしょうか 痛みを知らないから、ゲームみたいに リセットが出来るわけじゃないのに 人を殺してみたいとか血をみたい どうやって血は流れるのか 飛び散るのかなのを実際にみてみたいとか ただ、ムカツクとかの理由で殺してやるなど 考えてしまう事を実際にやってみてしまった。 捕まったら、精神鑑定してもらい どれだけの、精神的異常おかしいのかを 自分が演じきれるのかなど・・・ TVで処罰されないのかもって思ってしまっているのかもしれません ストレスの発散方法が分からない人々が増えて 間違った行動に移ってしまうそんな人が増えてしまったのかな 喜怒哀楽の表現方法を分からないまま 本当の意味の愛情がわからないのかもしれません 親が子供のまま成長してしまっている世の中で 子供も大人になるのが怖くなっていると思う 人を叱れない人ばかり叱り方をあやまってる人 足りないものが多すぎて人を許す自分を許す事 人を思いやる気持ちなどかけてしまっているのかもしれません
お礼
旅行や身内の不幸が重なり、お礼が大変遅くなりましたことをおわびします。 一言で言って、「人の痛みを知らないから」というのは当然言えると思います。テレビやネットやゲーム等、バーチャルの世界が生活のすべてで、人との生きたコミュニケーションが不足しているというのは、覆いようもない、致命的な欠陥だと思います。勿論、そのような人間が100%犯罪を犯すわけではなく、最終的に行動を選択するのは、個人個人ですから、個々の要因は様々だとは思いますが、それでもなお、このようなコミュニケーション不足は、大きな動因には間違いないと思います。
- madmax4
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この心理は解明されないと思います そんな簡単ではないと思います そんな単純じゃないでしょう それからゲームのせいにする人も居ますが 人間何かしらの影響は受けるでしょう それがゲームであるか映画や小説や哲学であっても それは受け止める側の問題であって ゲームやってる人間が皆悪く言われるのは理解できませんね
お礼
旅行や身内の不幸が重なり、お礼が大変遅くなりましたことをおわびします。 確かに犯罪者の心理はひとりひとり違う部分もあるかとは思いますが、私は、このような犯罪者が、大体似たようなセリフを吐くことから考えても、かなり共通する犯罪心理があるように感じざるをえません。
- kirara1990
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無差別犯罪には、憎しみの質という点で共通項が見出されます。 殺人事件で、犯人の思考を妨害する者たちを抹殺するという明確な目的があり、目的なき殺人であり、無目的殺人の範疇に入ると思われます。無差別無目的殺人は、精神障害からくる憎しみと破壊と、憎しみと破壊が、知能的意志的能力を駆使し相手は、誰でもいいエリートや権力の象徴の人々に対して、破壊や殺人を実行するという特徴を持っています。 テロ事件でも、無目的の憎しみの異常さは群を抜いています。単なる無差別テロではない念の入った憎しみとも言えます。乗っ取った飛行機の人質を道連れに自爆するというのは、大義も理性も人間性も、最後のひとかけらさえも捨て去った非情さの表現で、大義のためなら、悪の張本人を特定し、攻撃をかけるものだし、一般の民衆に責任があると認定するなど、人質に多少の犠牲が出ることは予想してて、目をつぶるということはありえても、初めから殺してしまえという態度に出るものではないです。人質を取るという方法それ自体が卑怯だとはいえ、自分から人質を殺すつもりを持っていたテロリストはいません。 正確に言うと、今回のテロリストたちには「人質」という意識はなかったかもしれません。自分の心理を満足させるためということは、言い換えれば無意識の動機にしたがっている可能性が高いということになる。無意識の動機が狂っている程度が高くなれば、それは狂気の作戦だということになる。 狂気としての憎しみといえるのではないでしょうか? 具体的な動機や原因があって育った憎しみではなく、なにか深層心理学的な理由で育まれた憎しみか破壊衝動があり、憎しみが具体的な動機・理由・対象を探しあてたという種類のものと考えられます。 この犯罪の中心にいる者の憎しみは、始めに対象があって起きたものではなく、始めに憎しみがあり、対象を次々と捜して破壊(殺す)する。 最初にあった憎しみとは何か?憎しみは人間や人間社会に対する憎しみ一般とでも言うべきものと言えるのではないでしょうか。異常な憎しみを考えると、特異な憎しみを持った人物がいるとしか考えられません。 犯人の心理を認定するために、分析してみます。表面では大義をかかげ本人の動機は病的・非合理的、度を超えた憎しみの表出が見られ、病的異常性を持っている。合理的な戦略・戦術を考えてやっているとは思えないし、破壊、殺人、打撃を与えることに喜びを感ずる異常さを持っていてざまーみろっという感情を満足させるためだけの犯罪。犠牲者が多ければ多いほどざまーみろっと喜ぶ狂気が感じます。 人は瞬間的に怒りや恐怖にかられて、そのために歯止めがはずれて人を殺すことはありうるが、年月をかけ周到に準備をして大量殺戮をするためには、歯止めが完全にはずれなければならない。その間に、ためらいや躊躇、迷い、良心、などが働くからである。言えるのは、犯罪は、精神は狂っているが知能は優秀で意志の強い人物またはグループを中心にした、憎しみの自己表出です。 大量の犠牲者が出れば出るほど、被害が大きければ大きいほど、ざまーみろっと、感ずる者たちの未曾有の狂気による犯罪です。犯罪に対処するには、できるだけ早く首謀者とその組織を壊滅させるしか手はないと思います。
お礼
旅行や身内の不幸が重なり、お礼が大変遅くなりましたことをおわびします。 私の読み込みが足らないかもしれませんが、おっしゃっている意味は次のような感じかなと思いますが、よろしいでしょうか? 一般の犯罪の場合、被害者に対する憎しみなどの動機があるものだが、「誰でもよかった。」などと言う無差別殺人の場合は、特定の個人に対してではなく、最初に社会全般或いは犯人から見て恵まれている人々に対する憎しみ、ねたみと、それに引き換え不遇な自分の境遇に対するいらだちなどがあり、社会や恵まれている人々に対して報復し、破壊活動を行い、不幸に落とし入れることによって、自己の心理状態の快感を得ることを目的に犯罪に走ることがある、ということでしょうか。 そしてこのような犯罪に走ること自体、病的な異常性をもった行動だとしても、合理的な戦略・戦術を考えてやっている限りにおいては、とても「心神耗弱」だから罪には問えない、情状酌量の余地があるなどと言えるものではなく、精神は狂っているが知能は優秀で意志の強い人物またはグループを中心にした、憎しみの自己表出と位置づけ、できるだけ早く首謀者とその組織を壊滅させ、検挙するしか、方法はないと思われる、ということでしょうか。 大体わかるような気がします。
お礼
旅行や身内の不幸が重なり、お礼が大変遅くなりましたことをおわびします。 >人生の負け犬のまま人生を終わる事が出来ず、殺人という歪んだ形で強さを示し、社会に復讐した後で、法に裁かれる形で人生を終わろうとする、まさに他者依存的な自己破壊行為とも思えて来ます。 なるほど卓見だと思います。たとえ自己の身は裁かれて無くなろうと、究極の自己顕示欲と社会に対する報復という快感を得られた本人としては、満足を得られているのかも知れません。 殺された方としてはたまったものではありませんが、警察はこのあたりの犯罪心理をもっとよく研究して、事件の未然防止にもっと万全を尽くしてほしかったと思います。