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神経膠芽腫or神経膠腫 患者家族です。
72歳の父が5月に脳梗塞を患いました。 この時の後遺症は、少しボタンがかけにくいかな。といった程度でした。 退院から2週間、やたら物を落としたりする為、母が知人の総合病院へ相談し、入院しました。 検査の途中ですが、神経膠腫or神経膠芽腫だそうで、入院した1週間のわずかな間に左半身がままならなくなり、急激に弱っていきました。 脳梗塞の時に診てもらった2病院が見落としてたのでしょうか? それとも、急激に発病・進行するものなのでしょうか? ネットで調べても、最悪の神経膠芽腫だと5年生存率も10%以下。平均余命6ヶ月。なんか、信じられないです。 いつも元気に動き回っていた父なので・・・ 手術がうまくいっても、要介護状態で社会復帰は無理と言われています。既にお風呂などは自力では入れないそうです。(遠方に住んでいるので母からの話です) 今入院している病院は、Dr.も深刻度を見極めてテキパキ検査などをしてくれているようです。(前の2件は前の検査結果待ちをしたり、転院すると言ったら慌てて検査しようと言い出したりです。そうこうしてるうちに脳梗塞が起こりました)その点は安心なのですが、余命が短いとしても、より良い手術を受けさせてあげたい。より良い余生が送れるようにできるだけ脳の機能が残るように、と願うばかりです。 これから父は、父の病状はどうなっていくのでしょうか? 生存率や余命平均など、本当にそんなに少ないのでしょうか? 今現在、日本や世界で使われている薬や治療法は何が一番有効なのでしょうか? 病院選びはどうやって?何を基準に選べば良いのでしょうか? 家族ができることは? 医療関係者の方、同じ病気に苦しまれる方のご家族の方、ご遺族の方、何でも結構です。少しでもこの病気のこと、これからの過ごし方など、アドバイスをいただけますよう、お願いいたします。
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- KAZ1025S
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私は平成19年12月19日(当時42才)に仕事中(事務系)に突然けいれんを発症し、病院へ搬送されました。症状は右腕が意思と反し上がってしまい、それを抑えようと左腕で抑えても右前頭葉に腫瘍があり、腫れた脳が運動野を圧迫し、けいれんを発症したようです。その際、幸いにも近くに同僚・上司がおり、椅子から降ろしてもらい転落等の二次的なケガは有りませんでした。病院で早急にMRIを実施し、医師の診断が下されました。○○さん、テンカンだとおもっていますか?。私はイヤーわかりません。医師、テンカンは25歳を過ぎるとまず発症しません。脳腫瘍です。私、え、先生脳腫瘍ってガンですよね?。医師そうです。私の友人が小学校の頃に脳腫瘍で亡くなっており、その印象が非常に強く私もこれまでかと隠れて涙しました。その日はけいれん止めの注射をし、年末も近いし、年明け1月10日に手術をしようと段取りがなされました。しかし12月25日にだんだん気が遠くなってしまい、再度けいれんを発症してしまい、急きょ、12月29日に回頭手術が行われました。手術は10時間程度を要したみたいです。私は意識がなかったもので気がついたら病室のベットの上でした。病理診断が神経膠腫のグレード2~3だとの事でした。入院は2カ月位でしたが、自宅療養は約11カ月を要しました。その後28日間に5日連続でテモダールを服用する維持療法を2年間実施し、2年後のPET検査で再発が発覚しました。再度、開頭手術です。初発の際に先進医療の免疫療法を行ったのですが、3回目位からアレルギーがでてしまい、夜も満足に眠れない状況でした。何かの間違いかなと、4回目をしたあともでたので先生に報告すると自分の血液のNK細胞を増殖させ自分の体内に戻しているからそんな事は無いというのでアレルギーが出たときの 状況をデジカメにとりみて頂きました。先生はん~こんな事が有るんだと考え込んでいました。2度目の手術の後は免疫療法は効果があっても無くても1回40万円と高額な事から断念せざるおえず、2週間に一度のインテーフェロンβの点滴治療とテモダール28日周期に5日間連続服用の維持療法をやはり2年間おこないました。その後経過がよく2年半位再々発は有りません。参考に私が治療を受けた病院のURLをはっておきます。
- jupiterio
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遺族です。 8年前、母を神経膠芽腫によって亡くしました。 アドバイスになるか自信がありませんが、当時の私と同じように不安になってる方を見逃す事が出来ませんので、経験談として書き込みます。 当時48歳の母は7月の早朝、突然痙攣を起こして倒れました。 緊急入院をし、その時の診断は脳膿瘍。 1ヶ月ほど脳圧を下げる治療をしつつ、膿瘍を観察しましたが小さくならず開頭手術をし、チューブで膿を出しました。 2ヶ月後、膿が再発したので2度目の開頭手術。今回もチューブで膿を出しました。 また2ヶ月後に再発。3度目の開頭手術では再発を防ぐ意味で膿瘍の周囲ごと取りました。この手術で取った細胞で神経膠芽腫が判明しました。 2ヶ月前の時点では病理検査しても膿瘍という診断でした。2ヶ月で進行したようです。 makiokenko様のお父様もうちの母と同じく、とても速く進行したのかもしれません。 神経膠芽腫と診断された時点で、余命半年と宣告されました。 抗ガン剤と放射線治療で余命を1年半に延ばす事も可能だと言われました。 脳の病気は発現する場所によって体への影響が全く違うそうです。 母の場合はかなり脳細胞を摘出しても、ほとんど運動や記憶に影響ない場所でした。手術後も以前と同じように動き回れましたので、この状態を少しでも長くと思い、延命治療に踏み切りました。 抗ガン剤と放射線治療をしながらでしたが、1年間は自宅でのんびりしたり、旅行をしたりと母と思い出を作れました。 ですが神経膠芽腫の進行は食い止めれず、再発を繰り返し、記憶を司る場所へ転移し、痴呆症の老人と同じような症状が出ました。 最終的には脳の内臓の動きを制御する場所へ進行し、医師の言った通り、1年半で余命は尽きました。 これは2001年の話です。今はもっと進化した薬や治療法があるかもしれません。 繰り返しますが、腫瘍が発現した部位で予後は全く違うと思います。 うちの場合は比較的影響が少なかったので、一人娘の私や父と思い出を作るために、母は辛い治療を受けてくれました。 専門的な事は何も書けなくてすみません。 ただ、家族が出来る事は、患者さんが一番したい事に付き添ってあげる事かなと思います。 当時読んだ、岩田 隆信 (著)「医者が末期がん患者になってわかったこと 」がとても参考になりました。ご一読されてみてもいいかもしれません。
- mizusawa
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おはようございます。 お忙しい中 ご丁寧にご返信賜りありがとうございました。 まだ熱があるとのこと ご心配ですね! 白血球は熱があるうちは高くなりますが 心配なのは抗がん剤治療による 白血球減少や抗がん剤治療に伴う嘔吐 頭痛などです。 特に白血球が減少したりしていると 炎症反応が強いですからCRPという炎症の数値も高いままで 移行してしまいます。 出来れば経過がわかる様に検査値の数値などをメモしたりすると 良いかもしれません。 案外私の身内でもそうでしたが 当事者になると、頭の中が真白になっちゃうことが多々あり あの時先生がこう言ってたとか・・・ 日付の記憶が曖昧になってしまいます。 テモダールの治療だけではご心配のようですので こういう時には他の病院(富永脳神経外科 等)の先生に ご家族様が セカンドオピニオンをされるのも良いかと思います。 経過を伺ってる限り 比較的OPENな先生のようですので ○紹介状 ○治療経過(MRのフィルム/検査データ 等) ○手術記録 等も出してくれるでしょう! また何か判らない事があればご遠慮なく お知らせくださいね! 出来る限り 判る限りお答えいたしますし 良い方法を見つけましょう! ご家族様の体調は如何ですか? くれぐれもお身体を壊さぬようご自愛ください。
- mizusawa
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おはようございます。 手術後の大変お疲れになっているところ 長文の書き込みありがとうございました。 大変ご丁寧に詳細を書いて頂き恐縮です。 病院は想像通りでした。 途中の経過もやはり想像通りで緊急手術と同じ扱いというのも うなずけましたし、 手術中に病理検査へ出されて確認をされていたのですね! また手術後の放射線/化学療法も予想通りですね。 放射線とテモダールは第一選択としては妥当ですね。 ご質問の件は粒子線療法と思われますが かなり高額な医療になること。 また健康保険の適応が出来ないこと。 効果があると思われる対象の病気が限定されていることなどから ご質問者の病気に該当するかどうかは回答者では判断出来かねますが 主治医の医師より説明があったのならば 適応になるかもしれません。 お父上が入院されている兵庫県には兵庫県立粒子線医療センターが あるのでそちらの事を指していると思われます。 粒子線医療センター http://www.hyogo-cc.jp/general/ionbeam.html 粒子線治療を希望される方へ http://www.hibmc.shingu.hyogo.jp/consult/index.html http://www.hyogo-cc.jp/general/ionbeam.html 少し記憶障害が出ているようですが、落ち着かれるまでは 多少時間が掛かります。 あせらず、お父様を落ち着かせてあげてください リハビリのプログラムも最初はきついかもしれませんが さすが労災病院ですね。 労災とかの人も扱っているので言い方はきついかもしれませんが ここは頑張りましょう。 お近くに行き、手を差し伸べることが難しいですが 陰ながら応援しています。 また判らないことがあればいつでもご質問くださいね! 何か一緒にお父上に生きる希望を見つけてあげましょう!!
- mizusawa
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No.1~No.3 回答者のmizusawaです。 追加で補足しておきます。 手術等に時間の余裕があるならば セカンドオピニオンをするのも手です。 もし、ご親族様やご家族がセカンドオピニオン等を ご希望ならば、大阪にある 富永脳神経外科病院も視野に入れてみては如何でしょうか? ここの病院では、情報公開が広くされていて 入院患者の家族だけでなく 外部の人間も手術等を見学できます。 ご参考までに 参考までにURL記載しておきます。
- 参考URL:
- http://www.tominaga.or.jp/
お礼
他の回復され、ほとんどをデイルームで過ごされている患者さんたち(野球観戦で阪神を応援して大声で叫んでる方々(^^;;)からも、「大丈夫。ここにいる皆が通った道だから、すぐよくなる。早くこっちに加わって」と本当に嬉しいエールをもらいました。 リハビリはみっちり1時間、Dr.からは「本当は眠ってる暇もないくらいですよ(笑)」とか、看護師さんからも「ここはスパルタですよ。逃げられないので覚悟してください」と脅されてます(笑) 父も食事・水分・リハビリにかかっているんだ、と自分でも確認しつつ、がんばりはじめ、生きる希望が見え始めたようでした。 が、翌日14日、 ・TV番組の再放送を見たせいなのか、曜日や時間帯がわからなくなってきたようでした。 ・薬を飲んだことを忘れている。 ・左半身を使うのをサボりだした(土日でリハビリがお休み) ・夕食後すぐに疲れて寝てしまい、真夜中に目が覚め眠れず、これもまた苦しみの原因になっている。 晩御飯は完食に近かったですが。。。 良くなったと思った矢先なので、これからまた何か起こるのかと心配になります。 痛み止めが3食後毎回出ていた為、痛みがなかった分、精神的にも少し落ち着いてきたようで、イライラの為10秒と同じ姿勢をできなかったのが、デイルームで1時間も座ることができました。 昨日の15日、日曜日、夕食後痛み止めを止め、寝る前にマイスリーをいただくことになり、一安心です。 頭の傷はかゆくなってきているし、傷は問題ないみたいです。 でも、精神的にはマシになっているとは言え、父曰く「将来の展望が見えれば楽になるのに」と言っていました。 腫瘍や癌を抱えた患者さんたちは、どうやってその戦いを乗り越えているのでしょう? 病院ははっきり書いてよいのかわかりませんが関西労災病院です。 教えていただいた県立がんセンターや神戸大学病院、ネットで見てみますね。万が一の時は厚かましくもお知り合いにご紹介をお願いするかもしれません。 富永脳神経外科は名前は知っていましたが、手術が見れるなんて知りませんでした。もう終わってしまっていますが、できることなら見守りたかったですね。。。 あと、リュウセン治療?とかなんとかいう治療法があるのでしょうか?
- mizusawa
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おはようございます。 お疲れの所、返信頂き有難うございました。 入院先での手術予定が満杯だけど、手術をしましょうとの 主治医の話しからすると、夕刻若しくは夜からの 手術開始になる可能性もありますね。 最悪、緊急手術(エマージェンシー)と同様の取り扱いで 夜通し手術するかもしれません。 それと、説明は緊急手術でなければ ある程度、時間を割いて説明して頂ける筈ですので 判らない事があれば、事前にご親族と相談されて 質問したいことをメモ書きにされて行くと 良いでしょう。 たぶん、腫瘍がある部位にも因りますが グリオブラストーマ(神経膠芽腫)が 記憶をつかさどる付近にないのを祈るばかりです。 記憶をつかさどる付近に腫瘍があると 相貌失認が起こる可能性が高くなってしまうからです。 それ以外にも耳や眼などの感覚器官に 後遺症などが残る恐れもあります。(視力障害や難聴など) 手術は手術用顕微鏡を用いて 絹糸より細い糸を操作するような 極めて難易度の高いレベルの手術となると思います。 そして手術中に採取された病理組織をすぐに検査へまわし 結果を受け、手術する医者はさまざな条件の下 手術を行います。 また、上記の病理検査(patho)の結果で、ある程度の予後 今後の治療方針なども決められます。 このような作業が手術中に行われる為に 手術時間が長くなってしまうのです。 手術時間が予定より長くなることも間々ありますので 付き添われるご親族の方には 予定より長くなっても、心配なさらぬようお伝え下さい。 また、阪神間のがん拠点病院ということでしたので お父上さまが入院されている病院は 関西労災病院/兵庫医大/近畿中央病院辺りでしょうか? もし、時間的余裕があるならば神戸大学病院/ 兵庫県立がんセンター(昔の成人病センター)辺りに 転院も有り得たかもしれませんが、今の状況ではなかなか 厳しいかもしれません。 (神戸大学なら知り合いの医師がいるのですが。。。) それと、手術後になってしまうかもしれませんが・・・ お父上は、生命保険や郵便局の簡易保険などの 生命保険/がん保険のたぐいは掛けてられませんでしたか? 一度ご確認されて見てください 入られているようであれば、手術に対する保険金も出る筈ですし 入院に対する保険金も下りるはずです。 但しこれは、生命保険会社の所定の様式の診断書が 必要になりますので、病院の診断書ではNGです。 すでに左半身が、ままならないとのことですので 市役所などの福祉部門にいかれて、確認されてみれば 既に身体障害者に該当するかもしれません。 また、話しは元に戻りますが 手術後、放射線療法/抗がん剤などの化学療法なども 併用される事が予想されます。 これは、主治医からも話しがあると思いますが お父上が意識がある内に、お父上に会わせたい人が居るならば 早めに呼んで上げてください! ご親族だけでなく、友人や仕事をしていた現役時代のころの 親しい方、近所でお付き合いされていた方など 後悔先に立たずです!! 参考URLに兵庫県内のがん診療連携拠点病院一覧を載せておきますね まだまだ判らない事があれば お答えしますので 質問してくださいね!
お礼
ありがとうございます。 今は病院横にインターネットカフェがあることがわかり そこから書いています。 8日に帰りました。 左半身に感覚がない為、距離感もなく、見ようとしないのか、壁にぶつかったり、左手や左足が車椅子に巻き込まれそうになったりする状態でした。手のひらが開いているのかどうかも、スリッパを履いているのかもわからない状態です。 9日、脳外の部長Dr.と主治医から病気と手術の説明がありました。 右耳の上、少し後ろに最長部で6cmの腫瘍があり、その周りに散らばっているものもあるので、全部取るのは無理だということでした。 この時は、本人もいたので、星細胞腫や出血性脳梗塞なども考えられるが、医者は最悪の事態に対応できるよう、最悪の状態を想定している為、神経膠芽腫だと思っています。とのことでした。 術後は病理結果を待って、通院か入院か好きな方で放射線とテモダールの投薬だそうです。 また大きくなってきたらガンマナイフで取ると聞きました。 本人に希望を与え、病気と戦わせるためあまりにもやわらかくおっしゃってたので、家族としては「もしやこのまま治るかも!?」と希望を持ってしまったくらいです。 脳外のDr.は全員詳細まで把握してるので、手術までに何でも聞きに来てくださいとおっしゃってくださったので安心できました。 父は「社会復帰できますか?」と聞きましたが、「社会復帰は無理だし大きな決断は一人ではしないでください。まずは家庭復帰を目指してがんばりましょう」とのことでした。 これまで仕事でも家でも動き回って休むということをしなかった父はじっとしていることや、体が思うように動かないこと、この先どうなっていくのかの不安、様々な思いでイライラがひどかったです。 しかし決して私たちに当たることなく、自分の足をパシッと叩いて分散させていました。 「せっかく来てくれているのに、いつもイライラしていて悪いなぁ」とまで言っていました。 病院慣れも病気慣れもしておらず、病気に対する知識もなく、なので身体的な痛みや苦痛よりも、精神的な苦痛がひどかったのです。
補足
11日14時15分から緊急扱いで手術をしてもらいました。 「たぶんこの日に入れ込めると思う」という感じで説明から2日後のことでした。20分ほど前まで、開始時刻も定まっていませんでした。 手術は6時間、執刀医3人で「確認できるものはすべて取り除いた」 とのことでした。 「途中顕微鏡で組織を見たら、やはり神経膠芽腫でした。」と 執刀医から話がありました。 術後はICUに入らず、ナースステーション横の病室に戻る予定でしたが、 なかなか覚醒せず、ICUに一晩入りました。 覚醒待ちが長くて、ICUで本人は意識はなかったですが、対面できたのが手術終了後2時間半ほど経過した頃でした。 ICUの看護士さんは家族を気遣ってくださって、今日はゆっくり寝て 明日はゆっくり来るように、と言ってくれました。 翌日には意識もはっきりし、手術前と同様、言語や認識に問題はありませんでした。 カテーテルも抜け、左手が前へならえの半分くらいまであがるようになり、左足にも力が入るようになってきました。 ご飯も半分ほど食べました。 Dr.はもう苦しくないはず、というのですが、父は苦しんでいました。 やはり精神的なもののようです。手術前には「死んだほうがマシ」とまで言っていました。。。 13日(術後2日目)になり、元の部屋へ戻り、点滴も終了。午後はリハビリ。 この日の腕上げや足上げ、名前チェックなどの時に驚きました。 腕が右手と同じように上までバンザイできるのです。指も一本ずつ折ることができました。 足も楽々持ち上げていました。リハビリの効果でしょうか? トイレはデイルームまでも杖と介助付ではあるものの、歩いていくようになりました。 おまけに傷口を留めているホッチキスはまだですが、その上のテープとそれを留めるホッチキスはもう抜かれてしまい、洗髪をするように、とのこと、ばい菌が入らないのかと不安でしたが、今は逆なんですね。 テープに絡みついた髪を切るのも「ちょっとだけ切らせてください」とおっしゃるほど細やかな心遣いに驚きました。
- mizusawa
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こんばんわ 返信ありがとうございました。 岩田 隆信医師の本は 出版順に (1)「医者が末期癌患者になってわかったこと」 (2)「続・医者が末期癌患者になってわかったこと」 (3)「医者の夫をがんに奪われて知った愛と真実」 岩田 規子 著 上記三冊があります。 私は岩田医師が闘病中当時に出された時に 新書版で中経出版から出された(1)・(2)を買い 読破しました。 その本文の中から思い出し・・・かいつまんで、記述すると。 (ごめんなさい・・・内容が暗くなりますがご勘弁を) 確か手術後には、相貌失認?という可能性もあるらしいです。 家族の顔を見ても誰だか判らない。思い出せないという可能性も あるそうです。 手術しても予後は悪いので・・・。 お返事から察すると病院のお近くには ご母堂さまと親族数名しかおられないようなので かなり心配ですね! とにかく足繁く病院に通わなければなりませんので ご親族が多い地域の病院に転院されて手術/闘病されるのも 手かも知れません。 もし、差し支えなければどこら辺り(都道府県)の病院だか 判れば、知り合いの医師がいるかも知れません。 とにかく、退院後 自宅療養とかのことも含めて 病院の主治医とよく話されることをお勧めします。 ご親族の方にもお伝えください! 今はお父上が元気なので、にわかに信じられないでしょうが 積極的な治療だと、手術に何回もチャレンジして 脳の半分くらいを摘出してしまう場合もあります。 但し、医者に回答するのは急がなくて良いです! その場で返事が難しければ、一日二日下さいと 返事を保留しましょう! ご質問のあった手術/麻酔の同意書ですが・・・ 患者ご本人が意識があれば、ご本人のサインだけで 大丈夫だとは思いますが、何せ大きな手術になりそうなので もしかしたら、家族のサインも必要になるかも知れません。 また手術時間も長くなりますので(10時間とか) 手術当日はご親族で交代されると良いでしょう。 また参考までにgooヘルスケアの「神経膠腫」の所を 参考URL載せときますね! また何か判らない事があれば、答えますよ! まだまだ始まったばかりで大変ですが くれぐれもご親族様のお身体は壊さぬよう お祈りしています。 お大事に とにかく医療費のことも含めて、お父上の住民票がある 市役所なり区役所・町役場なりの担当部署に行き 高額療養費のことやら、福祉制度のことなど 案内の冊子を戴いておきましょう! また今 ご入院されている病院が旧 総合病院クラスの 大きな病院であれば、医療福祉相談室や総合相談などの 窓口があると思いますので・・・一度ご相談されてみては 如何でしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 神経膠芽腫だということと、父には主治医から告知してあるそうです。 しかし、父がどれほど大変な病気なのか理解しているかはわかりません。 月曜に家族への説明、同意書にサインし、その後手術予定がいっぱいなので、空きが出来次第の手術になる為、月曜のその日なのか、火曜なのか、水曜、といった感じです。 なので、私も明日には帰省し、父のそばに行きます。 家族への説明も一緒に聞くことができます。 現在の病院は、兵庫県の阪神間で総合病院、付近3市のガン医療の拠点センターとなっているようです。 きっと窓口がありそうですね。色々聞いてみたいと思います。 手術時間はそんなに長いのですね。高齢なので体力がもってくれれば良いですが・・・ 役所へ福祉制度> さっそくもらってきます! たくさん教えていただいて、本当にありがとうございます。 心の底より感謝しております。 病院近くの兄の家に行けばネットがあるので、ご迷惑でなければ、またわからないことがあれば質問させていただくかもしれません。 なので、良回答ポイント付与&締め切らずに帰省いたしますことをお許しください。
- mizusawa
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お早う御座います。 心中お察し申し上げます。 残念ながら現代の医学でも治癒/快方に向かわない病気が 存在するのは事実です。 もしお父様が悪性と診断されたなら、余命期間は年単位ではなく 月単位となるでしょう。 但し脳梗塞の場合、単純CT若しくはMRIしか 撮影しないでしょうので、 最終的な確定診断は難しかったことでしょう。 (確定診断はMRやCTなどの造影検査をしないと判りません) 多分 最初の病院辺りでは、脳梗塞の急性期の症状が出ていた為に そちらの治療が優先されてしまった為に起こったのかも 知れません。 但し脳梗塞の治療も行わなければ、生命に関わってくるのも 事実ですので、直接診察もしていないし、 MRIとかのフィルムも見ていないNET上で お話し出来るのは限界があると思います。 何年か前に昭和大学医学部脳神経外科助教授だった 岩田 隆信 医師が同じ病気を発病し 確か闘病記を出版されていますので 書店を探すと判るかも知れません。 (すいません タイトルは思い出せず調べておきます) 岩田医師は脳腫瘍などにおける日本の第一人者だったにも 関わらず、自ら専門の病に罹患し、悪性脳腫瘍と何年間か 闘病しましたが、残念ながら何年か前に他界されてしまいました。 またこの病気は、手術出来るか否か?とか・・・ 発見された時の悪性腫瘍度(グレード)によって 予後が違ってきます。 また進行すると意識障害、痙攣発作(大発作)などが 起きてきますので、何か家で起きた時に、どう対処したらいいか? 主治医に聞いておかなければなりません。 あとは主治医とよく相談されて 残りの期間をいかにご本人様とご家族がどう過ごされるのか? また意識があるうちに何をしとかなければ行けないのか? ご相談されてみてください。 残念ながら、日本全国探されても、いい名医に当たっても 余命期間に多少の変化があるだけで、最終的には難しいようです。 お大事に。 また何か判らなければ質問下さい!
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり余命は月単位なのですね。 脳梗塞の時、CTとMRIしか撮っていませんでした。 点滴で脳梗塞が消えた後、脳梗塞の時に異常値を示していた心臓と血圧などしか検査しませんでした。 まさか、脳梗塞の後ろに隠れていたとは・・・ 岩田隆信医師の本、「医者が末期がん患者になってわかったこと」でした。さっそく明日買いに行こうと思います。 奥様の患者家族側からの本も出ているので、参考になりそうです。 今日検査結果を聞きに母と二番目の兄が病院に行ったのですが、 月曜に一番上の兄が行く時に全員で聞くことになったそうです。 延ばしても変わりないほど進行しているということでしょうか? なので、最終的な診断は週明けになります。 手術は確実に行うようで、最悪「死亡」、良くても「要介護」 とだけは聞いています。 今日の父は、「左半身は麻痺があり不自由なものの、 普通に話もできるし、相変わらずのガンコっぷりを発揮していた」 との嫁からの報告がありました。 日本全国探しても、名医に当たっても、あまり変化はないのですね。 しかし、それを聞けて、今の病院で手術を受ける決心がつきました。 ありがとうございます。 父の望むように色々してあげたいです。 少しでも長く生きてもらいたいけど、無理な延命は父が苦しむことになる。 なので、延命治療の可否なども父がどう思っているのか気になるのですが、普通、手術の際に同意書か何かにサインするのでしょうか?
お礼
mizusawaさま。 ご無沙汰いたしました。近況報告です。 現在、テモダール投薬12日目、放射線治療10日目となりました。 11日に手術した後は順調で、身体的にも脳的にも機能が戻ってまいりましたが、28日になって、当時はまだ白血球は下がっていなかったのですが、39.2度の高熱を出してしまいました。 以来ずっと37~38度台で推移しています。 血圧は100-58くらいから120-80ほどです。 3日前からはしゃっくりが出て止まらず、10時間以上出続けていることもあります。 熱としゃっくりのせいで(本人曰く)ほとんど食事が採れず、 3日前からビーフリード点滴をしています。 しゃっくり対策は、水の一気飲みや息を止めるなどは、本人の呼吸が続かず、1日目は吐き気止めのお薬だが、なぜかしゃっくりが止まるという注射をしてもらいましたが、効きませんでした。 2日目には漢方?横隔膜の痙攣を抑えるものとして、柿のへたの煎じたものをのませていただきました。 が、やはりなかなか止まりません。 熱としゃっくりで更に憔悴してしまっています。 リハビリも熱で行けなかったり、スタスタ歩いていたのがヨボヨボになってしまいました。 「現状維持の為の治療」とは聞いていますが、 次々悪いところが出てくるので、これ以上悪くならないうちに一旦戻るよう家族に言われ、昨夜私は嫁ぎ先に一旦帰りました。 9日にはまた父の元へもどります。 粒子線治療情報ありがとうございました。 問い合わせたところ粒子線治療は父の病気には該当しませんでした。 京都大学原子炉実験所と筑波の日本原子力研究開発機構で 特に神経膠芽腫に効く新たな臨床を行っていると聞き、早速問い合わせましたが、京大はウランの入れ替えであと1年ほど再開できず、 筑波もなんと故障中でした。。。 テモダールと現在の放射線なら治らないが 原子炉で行われているものなら治るかも?!と期待したので残念です。