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哲学は非生産的で無価値な学問分野という考え
工学部の教授の講義で、「哲学は非生産的で無価値な学問分野です。何が楽しくて4年間も勉強するのでしょうね?(笑)」 と言っていたのですが、哲学を専攻している人は哲学は非生産的で無価値な学問分野という批判をどのように反論しますか?
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私なら反論はしませんね。 質問攻めにします(笑) まず、生産的・非生産的というのはどういう意味か問います。 生産的というのが、「物質を加工して何かを作る」事であると答えられたと仮定します。 非生産的な事が「無価値」という事は、農業・工業以外のサービス業に従事する人は無価値と言うことになりますね。 今や、日本でサービス業に従事する人は6割以上に昇ります。 つまり、この論理でいけば、殆どの人が「無価値」な事をしてるわけですね。 ということは、「無価値」な事でもそれなりに人間にとって必要ということですよね?(必要ないなら、サービス業は淘汰されねばならないでしょう) ということは、哲学が「無価値」でも人間にとっては必要ということですね。 また、生産活動とは「人々に幸せをもたらす事」と抽象的な事を仮定したとしましょう。 確かに、サービス業も商品を分配したり娯楽の時間を作ったり(無形生産)しています。 しかし、同じように哲学も「知的好奇心を満たす」為の生産活動を行っています。 例えば、哲学者は自分の研究の結果を本という「形」にして世に送り出します。 これは「生産活動」とは言えないのでしょうか? それを読んで愉しむ人が居るなら、他の娯楽のサービス業と何処か違いがありますか? 例えば、パチンコ店なんてパチンコ好きには価値ある存在ですが、パチンコ嫌いには無価値な存在ですよね? ということは、哲学も貴方にとって無価値でも私にとっては価値があると言うことになりませんか? まぁ、ともかく生産的・非生産的徒は何か、価値あるものと価値のないモノの違いは何かを定義してくれなくては、反論のしようがありませんので。 そうそう、私の経験則なんですが、「確乎とした信条・理論(≒哲学)」を持っていない人は、質問攻めにすると必ずボロがでます。
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- rosso19892005
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哲学は「なぜ存在が存在するのか」ということを考えることであり、 哲学という学問がどこかとってつけたように存在しているわけでは無く、過去の考える人々が極限まで考えて至った考えそのもの であり、今考えている自分の中の「これ」だという風に理解しています。 社会からみれば、哲学は非生産的です。しかししいて言うならば、 社会における地位や名誉や快楽を価値としている人たちの価値など、鼻で笑い飛ばせるということでしょうか。 ただ生きることに価値などは無く、人生の存在に意味などは全く無い。 それを分かっててなお、その教授は一体何が「価値」だと思い込んでいるのかは多少気になります。 哲学は無用であっても無力ではありません。 考えて得た「知識」は現実で役に立ちますし、哲学は 社会と切り離されたものだと思う方がいるかもしれないのですが、 それをを現実から切り離すことなどありえません。(そうしたら妄想になってしまいますからね) これは折角考えることの出来る唯一人間の醍醐味、といったところではないでしょうか。 反論や批判をする、といったことは、つまり自分がそう思っていることの裏返しですから、反論も批判もありません。 ああ、そうですかーって感じです。 ただ哲学を専攻している人たちは何を知りたいのかと思うことは あります。 存在について考えるなら、頭一つで十分なのに、哲学をわかりたいのでしょうか? 哲学をわかるっていって一体何をわかった気になったのかさっぱり分かりません。
- anris
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一介の哲学に生きるものですが、 「太陽がタバコに火をつけることができないからといって、無駄なものだと いえようか」 先人の言葉をお借りしましたが、哲学もこのようなものです。
- bananasand
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価値そのものを扱っている哲学を無価値と断定する根拠が、まさか、生産的か否かだけではないとは思いますけどね。 ちょっと見渡しても、ロボット工学、人工知能、遺伝子工学、都市工学、原子力工学、知識情報工学、医用生体工学、宇宙工学、環境工学などなど哲学的思考は不可欠。そもそも技術哲学は立派な学問分野です。 量子論、相対論などについても科学とするか哲学とするかなんて意味がありません。すでに工学の中に哲学がキッチリと根をはっているのですから自己否定しているにすぎません。 デカンショだけが哲学だと思っているのでしょう。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
短期的中期的長期的に、苦しみを減らす。 この方法を見つけ出したり、そのことに関する考え方を柔軟的に取り入れたり考えたり出来るようなものでなければ私が個人的に評価するのもにはならないでしょうね。 それは科学も工学も同じと考えます。 人の役に立ち、短期的中期的長期的に苦しみを減らし、心明るくなるものでなければ結局は人間の核となる心の視点から価値を見出すことは出来ません。 哲学を学ばれる人が哲学を人の役に立つように運用するには相当の並外れた能力が必要となるのに比べ、実務的なことを学ぶ人々は現在の社会で使える能力がある程度つきますので、そのようなことからその教授はそのような見解を持っているのかもしれませんね。 パーリ語の仏法の如く、論理的に道徳的に理性的実証的な短期的中期的長期的に苦しみを減らす具体的かつ実践可能な、学ぶものの自由を最後まで守る性質のものならば、少し齧っただけでも役に立つと思いますが。 哲学でどれだけ「短期的中期的長期的なさまざまな視点から、人の役に立つ。苦しみを減らす。」と言う前提を持っているのかはなぞですw 哲学は「只言ってみただけ」と言っていた教授もいるので…
必要のない人にはそうだと思います。非生産的。 自分は美術専攻だったので、哲学・数学・物理と色々習いましたけど。 人を感動させるには、それがなければ成り立ちません。 あるだけで、制作現場では独創性や創造性を高めてくれる物です。 同じ科学を生業とする人たちでも賛否両論出てきそうですよ。 昔、フランスとイタリアの工匠たちの芸術論争があったそうです。 デカルトの祖先であるフランス人は "Art sine scientia nihil est"(科学のない芸術は虚しい)と言い、イタリア人は少しもひるまずに "Scientia sinearts nihil est "(芸術のない科学は虚しい)と答えたそうです。 理性的、感性的の違いじゃないですか。その人も。 ウチの兄はIQが170あり工学部卒ですが、美術史も哲学書も読みますから。変わり者だけど。
- nabayosh
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前半と後半の間に盲点があります。 無価値なものほど楽しいんですよ。 娯楽と言われているものって、大抵無価値ですよ。 快楽というのは非生産的なものです。いやむしろ消費的なものこそが快楽なのです。 そう、哲学というのは消費、消化の学問分野です。 考える力をつけることというのは、消化する力をつけることと同じです。 工学という生産を第一原理にしている人って、消化しきれないまで生産しつづけることに満足するんでしょうか。 消化不良を起こすからという理由でかの教授は哲学アレルギーなんじゃないでしょうかね。 無価値と断じてしまうのが実にアレルギー体質ですね。 まあ、私もそうは思いつつ、反論はしません。放っておけばいいでしょう。
>批判をどのように反論しますか? 反論しません。そのとおりですねと、相手の言葉を受け取ります。 それをごちゃごちゃと反論する哲学者が変人扱いされるのです。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
哲学が非生産的であることはたしかでしょう。 哲学だけで生存することはできませんから。 焦点は「非生産的であれば無価値なのか」、あるいは、 「生産的であればいつも価値があるのか」ということになります。 生産というのは消費のために為されるものです。 消費とは生存本能であると同時に一種の攻撃本能ですから、これだけを突き詰めていくと他者との軋轢が必ず生じます。 他者の本能をも慮り、その上で調和を目指すというのが(精神的な)生産性なわけです。 つまり、彼は生産性の意味を非常に狭義にしか解釈できていない人物ということなのでしょう。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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私は、それぞれの内容に因ると存じます。 哲学も概して西洋哲学は無意味な作業が重なっているという見解の方も多いと存じます。 確かに知的本能ではあるにしても。 本人はそうではないと思っていても。 それにしても、ご質問も、その先生も哲学一般、すべてをひっくるめるような表現をお遣いのご意図は不明です。 直前のご回答があるように、問題になるものでもないと存じます。
反論する必要ありません。 その通り。で構いません。 哲学自体に疑問をもてるのが哲学です。 果たして哲学は成り立つのか? 面白いテーマだと思いませんか。
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お礼
ありがとうございます