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僕のおじいちゃんはもう長く生きられませんが
僕は24歳です。 おじいちゃんは87歳です。 前までおじいちゃんも一緒に住んでましたけど、今は入院しています。 本人に告げたか分かりませんが、お医者さんの話だと、早くて1ヶ月、長くて3ヶ月しか生きられないと聞きました。 家族の関係は、お母さんのお父さんがそのおじいちゃんで、僕のお父さんはムコみたいです。 お母さんは昔からそのおじいちゃんが嫌いで、僕のお父さんもあまり好きではないらしいです。 おばあちゃんも好きでないみたいです。 僕は長い反抗期で家ではあまり会話をしませんが、おじいちゃんは好きでも嫌いでもありません。 家族の人たちは、おじいちゃんが死んでしまうのをあまり悲しんでいません。 僕はそんなおじいちゃんがかわいそうに思います。 この前、おじいちゃんが家に帰って来ました。 家に帰って来ても、テレビを見ているだけです。 言葉も聞きづらい声だったし、昼間なのに「寝る」って言って、僕はおじいちゃんをベットに寝かせました。 寝かせる時に少し振動になってしまって苦痛に顔をゆがませたり、横になってから一点だけを見つめたり、うまく言えないけど、なにか本当に死んでしまうのかと感じました。 僕は気持ちを外に出すのが嫌いですが、涙が出そうになりすぐ自分の部屋に戻りました。 おじいちゃんはまた入院することになりました。 お医者さんの先生の話を聞いてから1ヶ月が経ちました。 僕の身近の人で亡くなるのは初めてなので、今は初めての気持ちだし、本当に死んでしまったら、どんな気持ちになるか分かりません。 気持ちを外に出すのが嫌いですが、家族の前で泣くかもしれないし、我慢できるかもしれません。 今の気持ちは、おじいちゃんの気持ちを考えると、死が迫っているのでかわいそうでしかたありません。 気になることがあって、お医者さんは亡くなる人、本人に余命何ヶ月とか告げるんですか? 死ぬ前ってやっぱり怖いんですか? 人生楽しかったら、もっと生きたいと思って悔いが残りますか? 人生がつまらなかった方が、もっと楽しみたかったって思って逆に悔いが残りますか? もし、「今までありがとう」って本人に言ったら、もっと生きたいって思っちゃいますか? 人それぞれ違うと思うし、死ぬ前の気持ちなんて分からないかもしれませんが、今まで真剣に考えたことがなかったので知ることができたら、と思っています。
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- baba1
- ベストアンサー率0% (0/0)
43歳。看護婦です。 戸惑いと、優しさを感じました。 医者は、特別な場合でない限り、本人には、告知はしません。 なぜかというと、大概、死が現実として、我が身にふりかかると、死にたくないと思うからです。大概の人は未練や苦しみを感じるからです。 でも、病気からくる痛みや苦しみも相当なものなので、私は延命処置は本人の為にしたくない派です。 あなたの優しい気持ちが、オーラで伝わっていると思います。 短い期間ですので、好きだよ!と、念じてなるべくそばにいてあげて下さい。何も会話しなくていいから、横でマンガ読んでていいから、同じ空間にいてあげてください。出来るなら、どこでもいいから触れてあげてください。 それと、家族は嫌っている風に見えても、実感出来てないだけの場合が多く、亡くなってからや、時間が経ってから悲しみが押し寄せて来る事が多いので、まずは、あなたが、なるべくたくさん面会に行ってあげてください。
- tajmahal22
- ベストアンサー率34% (346/1005)
26歳会社員女性です。 人はいきなり年をとる生き物ではありません。 だんだんと老いてゆき、だんだんと体の不調を感じ、最初は老いに戸惑い、それからゆっくりと時間をかけて老いや死への心構えができていきます。 おじいさんやおばあさんが達観したように見えるときがあるのは死を意識して準備をしているからかも、と思います。 老人会などで「自分の遺影を用意しておきましょう」などという話がされたりしているものらしく、本当に私の祖母が寿命でなくなったとき、家族の目に付くところに葬式用に引き伸ばした写真がおいてありました。 私も若いので死に恐れや抵抗がありますが、お年寄りは意外と自分が死んだら・・・という話を平然としたりするものです。 おじいさんの気持ちを考えて悲しむなんて、質問者様は優しいですね。 でもおじいさんにとって死はそんなに特別なものでも、忌避するものでもないと思います。生まれたときから、人間は死に向かって歩き始めています。 おじいさんは87才、きっと死を近くに感じ、受け入れる心の準備は十分に出来ていると思います。優しい孫にも恵まれ、思い残すことなく安らぎの地に旅立っていけるでしょう。 いつまでも死ねずに、どんどん自由の利かなくなっていく体で生き続けなければいけないとしたら、しれは無限地獄です。死は十分に生を全うした人が旅立つ安らぎの地だと考えましょう。 もしおじいさんが亡くなったそのときは、戦禍をくぐりながらも90年も頑張って生きてきたおじいさんを称え、「お疲れ様でした。後はぼくが頑張って祈りのリレーを引き継いで生きていきます」と心の中で挨拶をしましょう。
- swanston88
- ベストアンサー率27% (3/11)
人は生まれた瞬間から死に向かって生きていると、何かで読んだことがあります。確かにその通りですよね。この世に生を受けた以上は、いつかは死が訪れる。ある程度の年齢が来るといつか来るであろう「死」についてばかり考えてしまう人も多いそうですよ。 もしかすると、貴方のおじい様はご自分の限られた時間を心のどこかで覚悟しているかも知れませんね。 私は祖父母の住む場所とは離れた県に住んでいましたので、子供の頃会えるのはお正月や夏休みだけでした。毎回しばらく泊まっていましたが、帰り際はとても寂しく涙のお別れでした。祖父母は決まって、また会えるよう元気に過ごすからね。と言っていた事には老いて行く身を思い常に死を意識していたのだと大人になってから気づきました。 貴方はまだまだお若くこれからたくさんの可能性をお持ちの方です。若い時はあまり死など考えたりすることはありませんが、おじい様が命の尊さや「生きる」ことの意味について見つめなおす機会を与えてくださったのではないでしょうか。何十年と時を経て、貴方が今の貴方のおじい様と同じ状況にあったとしたら、貴方はお孫さんに何をしてもらいたいですか?何て言ってもらいたいですか?どんな時間を過ごしたいですか? 貴方がおじい様に伝えたいと思っていることは、確実にお伝えしたほうが良いのではないでしょか。くれぐれも後になって後悔することのないようにしてくださいね。今は伝える時間があるのですから良く考えて。私の祖父母は突然逝ってしまいましたので、悔いがたくさん残っています。伝えたいことたくさんありました。 おじい様が最後に、いい人生だったと思えるよう環境を整えて、心の支えになって差し上げてください。
約一ヶ月半前に祖父が亡くなりました。今週、四十九日をします。 症状が出て、入院して、一ヶ月くらいで亡くなってしまいました。 医者から、いつ亡くなってもおかしくないから、覚悟をしておいて下さい、と祖母は言われたそうです。 本人には伝えていませんでしたが、祖父自身は、自分で分かっていたのか、昨年の秋頃に、 私に電話で「わしはもうだめかもしれない」と、言ってきました。 ありがとうの言葉、心の中だけでも、いいと思います。 言葉にすると、なんだか生きている人から置いていかれるような感じがするんじゃないかと思って、悲しいです。 それよりも、質問者さまが今できることをしてあげるのが、うまくいえませんが、良いような気がします。 (かわいそうって思う気持ちも含めて) 私の姉が、家庭の事情で祖父母と暮らしていたのですが、 ここ数年は、祖父が怒りっぽくて、姉もあまり精神的に強くないので、調子の悪い時は大げんかで姉は祖父に暴言を吐いたこともあったのですが、 臨終の時に、祖母と姉が立ち会って、 姉が、その時、「今まですまなかったね、ありがとう」と言ったら、目を閉じていたけれど、涙を流したそうです。 入院した時点で、もう会話が出来なくて、うなるくらいしかできなかったけれど、伝わったのだろうと思いました。 何でもっと気づかなかったのと思いますが、後悔しても仕方がなく、 居なくなることで、気づかされたのかもしれません・・・。 死ぬ前の気持ちは、本人しか分からないし本当に人それぞれだと思うのですが、 人の命の限界を身近に知ることで、自分自身の生き方を、悔いのないものにしようと思えるのではないかな、と私は思いました。 私は一緒に居る時間が少なかったから、ほとんど何も伝えられなかったけれど、火葬や納骨、葬式で手を合わせた時、とにかく、ひたすら、「ありがとう」と心の中で言いました。 自分の話ばかりで、乱文になりましたが、参考になれば幸いです・・・。
- higa3
- ベストアンサー率28% (246/874)
あなたは、今、人生において、そのおじいちゃんによって 凄く貴重な時間と経験をされているのです。 まずは、それに感謝できますね。 私の祖父母達は皆、それぞれ長寿の部類に入る方でしたので、 私もそのたびに色んな事を考えましたし、 その契機をくれたことに今でも感謝しています。 「死」や「人生」というものに対して、 常日頃、どのように考え、準備してきたかと言う事で、 そのときを迎える直前は、個人個人で違うものだと思います。 私の母の叔父、その大叔父は、亡くなる数週間前に 親戚それぞれに声をかけ、お別れの挨拶をしたそうです。 私の母もよばれまして、頭はしっかりしていたし、 今までの思い出や感謝などを言われたそうで、 本当に立派な姿だったといってました。 しかし、そう出来る人は本当に少なく、 なぜわたしばかりがこんな目に・・・という方もいます。 私は会話もできなくなった状態の もうすぐ死が間近に感じられる時に、 祖父母達に心でありがとう。って感謝の言葉を伝えてきました。 ここから先は宗教観などの違いかもしれないですけど、 私はどんな死に方であっても、 向こうでは健やかに過ごしてくれていると信じていますし、 私達が出来ることは、こちらの世界で 一生懸命に日々を大切に生きることと思っています。 だから、感謝こそあれ、 私はあまり祖父母達がかわいそうって思ったことはないかもしれないです。 あなたはあなたで、こうして質問をし、 みんなの意見を聞き、色んなことを考え、感じて、 そこから得るものがある。 そういうチャンスをくれたおじいちゃんには、 少なくとも感謝できるのではないでしょうか。 こういう私達も、いつも死は隣り合わせです。 悩める事は贅沢な事。 日々に感謝して、生きていきましょう♪
人は死ぬ事で全てを終わりにできると思いたいです。 どんな罪びとでも 死んでお詫びをします。 おじいちゃんも長い人生 人に苦労をかけた事もあったでしょう その結果 今 家族の誰にも暖かい気持ちで看病してもらえないのかも しれません。 あなたのあばあちゃんやお母さん お父さんもおじいちゃんとの確執の中で 相当、苦しんだので その恨みつらみが消えないのでしょう。 でも あなたは そういう被害に遭っていません。 あなたまで そうした家族側に立つ必要はありません。 だから あなたがおじいちゃんに優しくしてあげたらいいのです。 死に行く人の孤独は計り知れません。 また後悔先に立たずといって おじいちゃんも今までの事を 悔やんでも 取り返しのつかないことで どうしようもないのかもしれません。 だから あなただけでもおじいちゃんの言葉を聞いてあげて欲しいのです。 おじいちゃんも後悔しているかもしれないけれど それをどう家族に伝えていいか判らないかもしれないのです。 でも もしかしたら本当に後悔はしてないかもしれない。 また後悔はしてても意地を張っているのかもしれない。 そんな気持ちの 淵に添ってあげて欲しいのです。 でも それを聞いて、伝えて 何かが改善できるか それは期待できないかもしれないのですが とりあえず考えてみてあげて欲しいのです。 おじいちゃんの人生をあなたが聞いてあげてください。 そうしなければ 二度とおじいちゃんの本心を知る機会を失います。 万一 謝りたいと思っていたらその機会を失います。 あなたが出来ることは おじいちゃんの話し相手になってあげて もし それを家族に伝える橋渡しになれば 仲直りは出来なくても おじいちゃんの生きてきた事、 おじいちゃんの 気持ちを知ることが出来ます。 どんな悪い事をしてきても 死に行く時くらいは 許して送ってあげたい、これが健康な者が 弱者にできる思いやりでしょう。 あなたなら この事を家族に話してあげてくれませんか それでも 家族の方が 「お前は何も苦労をしていないからだ」と 一蹴されたら 残念ですがそれも家族の考えです。 あなたは 今 おじいちゃんに「あまり人に嫌な思いをさせたら 自分が孤独になるよ」と教えてくれていると思い 精一杯おじいちゃんのそばに いてあげてください。 おじいちゃんは今 あなたにとても人生に大切なことを教えてくれているのですよ。あなたもおじいちゃんの死を痛むでしょう。辛いことです。 この辛さを乗り越えるのが 人としての業です。 家族とはそうして 代々いろんな事を受けつがけ 脈々と家族が続いていくのです。ある意味 寂しいものです。 私も今は 亡くなった母親の色んな言葉を聞いておけば・・・と 毎日後悔しています。 あなたは 本当に心の優しい青年ですね。
- silver55
- ベストアンサー率22% (8/36)
私は相談者様と年齢が近いです。 今年、祖父が他界致しました。 祖父の時は、お医者様は別に本人には余命告知はしませんでしたが、私たちには言っていました。 前の方もおっしゃっていますが、「その時」が来たら、悲しみの中にもやる事が沢山あります。「その事実」を受け止めなくてはなりません。お祖父様なら、孫の相談者様もお通夜・お葬式には出席するでしょうし、骨を骨壷に入れるため、火葬場まで行くでしょう。お通夜のまえにも色々な準備があります。 「ありがとう」というお気持ちは、伝えられたらお祖父様も喜ばれると思います。あと、可能ならば最期を看取ってあげること。本当に、それが最期の祖父孝行です。もういよいよという事が事前にわかれば、お医者様は「一両日中に・・・」と伝えてくれると思います。 私は、祖父の最期を看取ってあげることが出来ませんでした。それが今でも心残りです。 お祖父様との残りの時間を大切に、悔いのないように過ごされてくださいね。
- ron_ul
- ベストアンサー率45% (354/779)
お母さんは昔からそのおじいちゃんが嫌いで、僕のお父さんもあまり好きではないらしいです。 おばあちゃんも好きでないみたいです。 おじいさんが元気な時に喧嘩したり、意見が合わないでお互いに仲直りできてないのでしょう。 両親やおばあさんたちが好きではないとしても孫のwaatanさんはおじいさんを労っているのですから両親よりりっぱです。 おじいさんも長生きしているから、長い人生いろいろあったことでしょう。 でも今はもうそろそろその長い人生も終わりに来ているようですね。 おじいさんが居なくなってから思いを伝えることは出来ません。 ぜひ、おじいさんにお話してください。 聞こえていないと思ってもお話してください。 初めて肉親を失う不安は大きいですよね。 waatanさんは既に成人されていますので中高生とは違います。 寂しい、悲しいでしょうがご自分で出来るだけのことをなさってください。 ’その時’にはきちんとお別れできると思います。 ご両親やおばあさんも’その時’が来たら、「好きではない」なんて言ってられないです。 おじいさんとの大事な時間を存分に過ごしてください。
人は何時亡くなるか予想も出来ません、典型な話ですが昨日の中国の地震です、生き埋めで死亡して行く人誰も先の予想が出来ない。未来(明日)は明日と言う希望があるから生きたいと思うエネルギーになるのです。 おじいさんもこの年齢まで頑張る事が出来た、それは立派な人生を送られて来た事と思います。 人生を全うしようとする事は、その日を頑張り生きる事です。 死ぬ準備が出来る人はまだ幸福な方です、福地山線電車事故で一瞬に落とされた方々の命も有ります、心の準備が出来る(緩和ケア病棟末期がん)方も一日を十分思う所なく頑張る思いで一日を生きている。そんな亡くなる事も人それぞれで違う、お爺さんはお爺さんの亡くなり方で行かれる。純粋にありがとうと思う気持ちを言えば通じると思います。 それが供養と思います。(人を思う心が一番亡くなるられた方には嬉しい言葉と聞きます)