>そこで質問は、なぜこんなに西欧文を日本語にすることは難しいのでしょうか。
翻訳とか通訳って英語と日本語が喋れる、書ける だけじゃプロとして仕事できません。
特に英語から日本語に翻訳する時、日本語のスキルが高くないとできない。
直訳されたものを、そのまま使っても、英語もイデオムがあり、直訳すると意味がわからなくなってしまうものが多々あります。
でも翻訳者がイデオムを知らなければ、そのまま直訳してしまい、翻訳者自信も、「何故主人公はここで???」となってしまう。
例えば I finished it at the eleventh hour,
なんか文法おかしいけど、直訳するしかない としたら、「私は11時にそれを終えた。」
私が意訳すると「セーフ! 締め切りに間に合ったよ」です。
上下の文章次第ではもっと真面目に訳すでしょうけど。
聖書という物語の英語バージョン。
「And those who had been hired <at the eleventh hour> came and received a denarius each.
ここから来てるんですね。
ギリギリという意味であって11時という意味じゃない。
昔の翻訳ってあまり読んだことないですが、ある小説のレビューを読むと、ある読者が、「文章が古い。よく見たら翻訳者は昭和一桁生まれ、どうりで古臭い意味のよくわからない文章になっているわけだ」と言っていた。
私 読みましたけど、別段 古い文章だと思いませんでした。
「語彙が古い? いや 別に・・・ 表現が古い?
ええ、そりゃあ 感動的に人に伝える部分は、現代では使わない日本語を使って訳していますが適切」って思いました。
じゃないと感動的なシーンが表現できない。
表現するために恐らく原作者は古語を使ったので、翻訳者も古語を使ったと思えました。
映画の字幕にしろ、翻訳にしろ、英語が話せる人なら誰でもって時代が長く続いたようなんですね。
映画の字幕にしろ翻訳にしろ、仕事が安定して高給だったら、優れた人材は育ったと思います。
ところがそうじゃなかったので、その分野が発達しなかったと思えます。
この前 ラテンのドラマ見ましたけど、とにかく字幕がひどい。
何を考えているんだ と思えるほど、めちゃくちゃな日本語。
真剣な場面も字幕のせいで、大笑いしてしまう。
まじに翻訳しているのか それともウケ狙いでシリアスものを笑うというのがこのドラマを見る時のポイントなのか? とかいろいろ疑ってしまいました。
が、単に翻訳のマズさゆえに、笑う場面じゃないところで、視聴者は翻訳者の翻訳のマズさによって笑わされている と思えました。
日本で映画の字幕を入れる仕事をする有名な方いますよね。
テレビにも出て、芸能人が来るたび通訳としてぴったりくっついているあのお方。
さぞかしと思いきや、うーーん 直訳して日本語に訳していないが、あまりにも省きすぎた通訳、、、、と思っていました。
芸能人がせっかくポイントを話しているのに、はしよってそのポイント部分を訳していない。
芸能人は自分のポイントに対して、まわりが何か言うだろうとじっと見るが、省略されているので伝わっておらず、それについて何の反応も無い。
芸能人の目が宙を彷徨っていました。
「あれ? 僕が今言ったポイントについて何の反応もない どうして? え?」って。
私が会場にいたら「あなたの出た映画を日本語に翻訳した人は、今あなたの横にいて、あなたの発言内容を通訳して司会者は会場の人に伝えた人ですが、その人はあなたが言ったポイントをまったく通訳しておりませんので、会場で英語がわかる人以外、あなたが何を言ったのか知りません。あなたが自分が言った事に対して反応を期待しても無駄です。
」というでしょうね。
その通訳者、ロードオブザリングでとうとうバレてしまいましたね。
翻訳のマズさ。
今まで字幕の女王だったで、誰も文句は言えなかったでしょうけど、海外にはその権威は通用せず物言いつきましたね。
何故まずい下手な字幕をそのまま流さざるをえなかったのか?
1つには締め切りというものに追われたからだと思います。
それとプロ魂が欠落していたから。
例えばですね、期限通りに品物を納めることで、信頼関係を継続できますよね。
でも、品物が腐っていると判明したらどうするか?
大丈夫かもしれない と信頼関係を損ねないように黙って納入するか。
それとも、この品物は腐っていてとても製品として出せませんので、申し訳ないですが時間をください と言うか。
今まで腐ったものを出してもクレームがつかなかったから、今回も大丈夫だろうと出したところ、食中毒発生。
原因は腐った食品だった。
取引先は責任問題を問われ倒産寸前。
取引先は納入者を信用したため、検査をしなかった。
納入者は信頼関係 ビジネスの存続を望み本当のことを言わなかった。
で、日本映画界の大御所が翻訳ミス多数の製品を納入した結果 どうなったか。
日本の翻訳業界は世界でもとても低レベルだ。 となった。
プロってなんでしょうね。
時間とおりに収めさえすれば品質は粗悪でもいいのか?
昔は翻訳って専門職はなく、大学教授がサイドビジネスとして出版社から請け負っていたそうです。
大学教授だから当然 両方ともネイティブか?
文法を生徒に説明するのはそのプロですから教えることに関しては問題ないでしょう。
でも、外国の文学作品を読者に読み聞かせ感動させる技術を習得しているとは限らない。
文学は読み手の心を動かすことでなりたつ。
その文章を日本語で書けなければ、まずいわけです。
だから、日本の小説家で、英語やフランス語を原書で読む人がいたら、大学教授に仕事をまわさず、日本の小説家に翻訳の仕事をまわす。
で、馬鹿売れする。
そりゃあ 日本語のプロですから、読者の心をいざなうのがうまいわけです。
ってことで、翻訳って日本語が喋れるだけじゃできないんですね。
日本語の文書を書いて読者の心をいざなう技術をもっていないと。
で、翻訳って水物ですから、コンスタンスに仕事があるわけじゃなく、翻訳に1年とか3年とかかかりますから、本業でそれだけで生計を立てるのは難しいのも、翻訳の質の向上につながらないのかもしれません。
で、日本の小説家に仕事奪われてしまって、、、ねぇ。
ただ、専門分野は確かに大学教授とかの方が翻訳はうまいと思います。
どうしてかというと、コンピュータがわかる人と、全く触ったことが無い人が、コンピュータのマニュアルを翻訳した場合、歴然と違いが出ますよね?
コンピュータを触ったことが無い人の翻訳文書を読んでも、一体なにをどうすればいいのか さっぱりわからない。
コンピュータを日頃使っている人が翻訳した文章だと「はあ はあ あ、、、できた。で 次は~」ってなるんですね。
そういうわけで、商業翻訳の場合は、その方面が専門で外国語が読める人に任せたほうが無難。
文学作品だと小説家にまかせたほうが無難。
というわけですね。
お礼
そうですか!たいへんよく現状がわかってきました。 ひどい逸話もあったものです。ポイントが伝わらない!おちがない!それでも通訳か!そうじゃありませんね。お粗末もきわまりきったものです。 文学作品には、日本語のプロを、芸術なんですから誰でもできるはずがない。専門知識が表に出ている分野なら、そっちの専門家を使って文学表現は期待しない。これは適材適所でしょう。 要は、お気軽にできるものではなく、プロが頭をフル回転させ琢磨したものを持ってしかできないものという、怖れを忘れてはならないと思います。