<貧困が起きた理由>・・・途上国も多々ありますが、とりあえず貧困が深刻な国が多いアフリカを例にあげます。
(1)独立時の人材不足。
アフリカの国々が植民地だった頃、行政機関の役人や、農場、工場、鉱山の経営者、資本家、技術者などは、その多くが支配国の人達であり、アフリカ人の多くは労働者でしかありませんでした。その為、独立後に政府や行政機関、経営者や技術者の役割を担う人材が不足し国の運営が速やかに行われませんでした。国営企業なども運営に失敗しているものが多いです。
(2)民族対立。(汚職と度重なる政変)
アフリカには800から1000もの民族がいると言われます。しかし、植民地時代の国境線のままに独立したため、殆どの国が国内に複数の民族を抱えるようになりました。
アフリカ諸国が独立したおりは、その指導者達は、国内の部族は利己的な考えを捨て、新国家全体の利益を考えようと主張し、部族重視主義は非難、否定され、世界もその趣旨に賛同しました。
しかし、現実に起きた事は、自らの権力を維持し、少しでも多くの利益を得る為に、自己の出身地や出身部族を優遇し、他の部族を支配下に置く独裁者となる者が多く出ました。
公務員の雇用や予算の配分、外国からの援助の受け入れなど、国家から得られる利益は大きく、政府自体(支配者層)が利権をむさぼり、経済を停滞させる汚職の温床となったのです。
逆に支配された民族は不満が高まり、反政府運動に走り紛争が勃発します。そして紛争により経済が悪化します。
また、紛争が多発し政権が幾度も変わった場合は、旧政権の政策を否定する事が多かった為、経済の発展プランが短期で変更される為、著しくその方向性が変わったりして継続性が保てず、経済の発展の歩みが遅くなりました。
(3)工業化の失敗。
アフリカ諸国の多くは、農産物を輸出し、工業製品を輸入に依存している国が少なくありませんでした。
その為、多くの国で工業製品の自給と、さらには輸出を行い経済を発展させようとしました。
しかし、工業技術の輸入には多額な資金が必要であり、水道、電力の安定供給、道路網の生産基盤などの整備も必要で、工業化は高くつくものになりました。
その上、人口の少ない小さな国が多かった為に、国内における工業製品の需要は小さく、大量生産による低廉化ができず、外国の品質の優れた安い商品が世界に出回っていた為、国際競争力でも負け、結局は失敗しました。
(4)自然災害。
1970年代から80年代において西アフリカでは酷い旱魃が起こり、3000万人が深刻な飢餓に見舞われました。旱魃により農村は疲弊し、住民は難民となって都市部へ押し寄せました。各国の経済は旱魃でダメージを受けました。
(5)戦争。
国内での部族対立から発した内戦の他に、国によっては他国からの侵略がありました。タンザニアなどは1978年に隣国のウガンダに攻められ、撃退してのけますが、その戦費はタンザニアの1年分の輸出総額に相当するものでした。他にも戦争で経済にダメージを負った国が結構あります。
(6)難民。
紛争と旱魃によって難民が発生し、その難民の存在が政情を不安定化させ、それがまた新たに難民を生むという悪循環がありました。ルワンダなど幾つかの国がこうした難民の悪循環に苦しめられました。
<解決策>
アフリカの特にサハラ以南の48の貧困国においては、国連や世界銀行、国際開発協会の援助で、現在、10年にわたり経済成長が続いています。
2005年と2006年には2年連続で経済成長率が5.4%を記録し、2007年は5.3%。2008年には5.4%になると予測されています。
90年代の貧困率は44%でしたが、2015年には38%に低下するとの予測もあります。
その援助政策は・・・
「貿易の促進」「経済規制の緩和」「インフラ格差の解消」「マラリア対策」「公共財政管理と行政改革」「汚職の追放」「紛争解決」「初等教育就学率の上昇」
などです。こうした事で効果が上がっているようなので、こうした政策の強化が解決策になると思われます。