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私はどこにいるのですか?
抽象的な話ですがお付き合い下さい。 いま、「私」はどこにいるのか、ということを考えています。 よろしければ皆さんの意見を聞かせてください。 「私」と書きましたが、ここでは「私を私たらしめているもの」、あるいは、「私」という特定の人物の固有の「命」「魂」「自我」のようなものです。 例えば… 「私が『私は私だ』と思うのは脳内での出来事だから、『私』の根拠は脳である」 と考えると、脳死した私は私ではないことになります。 「生物の固有性は生命活動そのものだ」 と考えると、私は死んだら私ではなくなることになります。 正解のある質問ではないと思ったので、こちらのカテゴリにて質問させていただきました。 改めてお聞きします。 「私」はどこにいるのでしょう。 心臓ですか? 脳ですか? 社会ですか? イデア界ですか? それとも……? 忌憚のない自由なご意見が聞ければと思ってます。 引用する場合は出典を、 宗教的な回答の場合は差し支えなければ宗派などを、 併記していただけると参考になり、助かります。 よろしくお願い致します。
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心の中 ですかね。 心とは心臓でもなければ、頭の中でも、脳の中でもありません。
どう考えても、哲学カテで質問すべきですよ・・・ あそこには、貴方と同じような事を考えている人がイッパイいますので。 カテ変更をオススメします。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 貴方は、貴方の記憶意識でいいんじゃないでしょうか。 例えば、貴方の両手がなくなっても、貴方は貴方のままだと思います。 しかし、前頭連合野が損傷し、貴方の性格が変わったら、貴方は貴方ではないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 哲学的と言えば哲学的なんですが、哲学カテだと「哲学」的な回答が大半になってしまうと思われまして……。 もう少し実感に基づくようなご意見も伺いたかったのでこちらにしてみました。 >前頭連合野が損傷し、貴方の性格が変わったら、貴方は貴方ではない これは実に明快ですね。気持ちが良いくらいです。
- pixis
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どこに?といわれてもどこにいるかは私にはわかりません。 ただ、まさに「我思う、故に我あり」の通り こうして自分というモノを考えることで私がいるんだ、という実感があります。
お礼
回答ありがとうございます。 「私」にとっての「私」はまさに仰るとおりだと思うのですが、自分が意識する(認識できる)自分は一部だけに過ぎないという気もします…。
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お礼
回答ありがとうございます。 では心がどこにあるのか、と考えたくなってしまいますが、そうすると堂々巡りですね~。