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ついていけません

自分は、大学の工学部を卒業して今は、田舎の中小企業で働いている者なんですが、心配ごとが多々あります。私は、色々な理論を本やネットから学ぶ事より、色々な経験から起こる出来事やら創造を大事にしてきました。これは、大学時代の研究から学んできた重要なことだと思っていました。これって間違いなんでしょうか?今、田舎の人達はIT用語や物理学の専門用語って言葉を聞くだけで、あの人は頭がいいだとか悪いだとかって、それだけの事で頭の良し悪しを判断してしまっています。でる言葉といえば自分はバカだからって言葉をよく耳にするようになってきました。私は勉強ってもっと楽しいもんだと思うんですが最近よくわからなくなってきました。何かいいアドバイスください。

みんなの回答

noname#58790
noname#58790
回答No.4

金は払ったので教わるのは当然で、自分自身の能力だけでこうなったのだと認識していませんか? >色々な理論を本やネットから学ぶ事より、色々な経験から起こる出来事やら創造を大事にしてきました。 基礎なんてまるで関係ねーな。 そもそもこれが大きな間違い。 >色々な理論 基礎を徹底的に身に付け、 >経験から起こる出来事やら創造を 即座に理論的に分析し、瞬時に脳内で形に変える。 これは、 理論から結果を見出したのであり、学びが無ければ出来ない事です。 結局、 師匠に稽古を断る弟子と似ています。 まず前座で 小話をし、先に落ちを言われて「恐れいりました」と頭を下げる。 これで客が笑う。 笑いを取るうれしさ(意義)を知る。 これだけかい? 向こうの空き地の小話で笑いを取れる人間がいるのか? これを名人がやってすぐに帰ったら客は笑うのか? 客は何に笑ったのか? 何を要求しているのか? 笑いも分析、研究が可能。 色々な理論を本やネットから学ぶ事より→私は勉強ってもっと楽しいもんだと思うんですが 完璧に矛盾しています。 無意味な勉強は楽しいはずがありませんね。 つまり、教わりながら教わるのは無意味と認識している以上、 どうしようも無いんです。 学問の意義を知らなければ学問はまるで無意味です。

noname#221368
noname#221368
回答No.3

>色々な理論を本やネットから学ぶ ことは、けっこう好きです。自惚れて言えば、これは進取の気性があるかどうかです。 >経験から起こる出来事やら創造を大事にしてきました もちろん学んだ知識を、現場で応用しようとする事や、応用できるかどうか、理論や本を取捨選択する態度があっての事ですが。 >専門用語ってだけで、あの人は頭がいいだとか悪いだとか・・・  これは、「あの人は進取の気性がある」という事の言い変えだと思っています。こういう事を言うけれど頭がいい人を、私はたくさん知っています。ついでに言うと、こういう事を言う人は、じつは要領の良い人で、専門用語を知らなくたってやっていけるから、専門用語なんかには興味がないなんて場合も多々あります。 >自分はバカだからって言葉 は大抵、「そんな面倒臭いことなんかやってられっか」という気持ちの裏返しです。進取の気性がないとも言えますが、私はプログラマーをやっているので、よくわかります。ユーザーは基本的に保守的です。新しい事はやりたくないし、覚えたくもないんです。それが普通です。これは、プログラマーというプログラム言語ユーザーでさえそうです。私も興味の範囲以外はそうです。  また「面倒な事を進んでやってくれる奴が側にいるから、うまく使ってやれ」という気持ちが潜んでいる場合もあります。こういう人が隣にいたっていいじゃないですか。自分は自分のために、面倒な事を進んでやります。それが隣の人の助けになったところで、それは隣の人のためではないです。自分のためです。  その辺りを割り切って、腹を割って話し合うと、お互いの得意,不得意分野が理解出来たりして、そういう人との方が、仕事上はいいチームになったりします(私生活上は知りません)。  「自分はバカだ」と言う人の仕事も、一度やってみてはいかがでしょうか(やらせて貰えないのかも知れませんが)。じつはけっこう自分には、難しかったりします。チームづくりの足がかりにもなります。

  • isoworld
  • ベストアンサー率32% (1384/4204)
回答No.2

 「勉強ってもっと楽しい」のに越したことはありませんが、もともと勉強は「強(し)いて勉(つと)める」と書くように、自分に鞭打って頑張り、苦労して覚えるものなんです。最初のうちは(将来)何に役立つか分からないから、必要と思われそうなものは何でも取り込むものです(ですから、この段階では面白くないことも多いでしょう)。  それが勉強であり、一通りベースになるものを取り込んだら、社会でその中で必要なものを咀嚼(そしゃく)し、実践し、応用し、考えて更なる創造をしなければなりません。この段階になると、楽しいものです。  取り込んだだけ(頭に知識として入っているだけ)では役に立ちません。社会で使え、役に立ってこそ価値があります。私の好きな言葉は「論より証拠」をもじった「論より実践」です。多くの経験を重ね、その経験に合わせて本やネットから学んだ理論(知識)を考察し、ホントの意味を理解することです。

  • my3027
  • ベストアンサー率33% (495/1499)
回答No.1

私は、色々な理論を本やネットから学ぶ事より、色々な経験から起こる出来事やら創造を大事にしてきました。これは、大学時代の研究から学んできた重要なことだと思っていました。これって間違いなんでしょうか? >あなたの考えは正しいです。大切なのは想像力と、自分で考える力です。既知の知識や理論は道具に過ぎません。その道具が使えるのは大事ですがね。 今、田舎の人達はIT用語や物理学の専門用語って言葉を聞くだけで、あの人は頭がいいだとか悪いだとかって、それだけの事で頭の良し悪しを判断してしまっています >私の周囲にもそういう方がいます。とにかく専門用語を使いたがるんですが、その意味はわかっていません。ただ「用語を知っている」だけです。そこからは何も生まれません。