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黄粉の黄はなぜ「きな」と読むか?
黄粉の黄はなぜ「きな」と読むのでしょうか? 博多の方言で年配の方は「黄」を「きな」といいますが、 これに依っているのでしょうか?
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下記は、私の私見で、明確な根拠によるものではありません、あしからず・・・ 上代特有の格助詞に「な」というものがあり、これは、連体修飾格の「の」と同じはたらきです。 眼=まなこ=目な子=目の子 源=みなもと=水な本=水の本 掌=たなごころ=手な心=手の心 黄な粉の「な」も、これと同じものかなあと思いました。 奈良時代に炒った大豆を挽いた「黄な粉」が存在したかどうかは知らないので・・・^^; あくまでも一つの私的見解ですが。
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- yusunoki
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ちょっと回答からはずれると思いますが、気づいたことを書かせて下さい。よく樹木が紅葉したなどと言いますが、割合的にはレッドよりイェローに近い葉の方が多いようです。実際、奈良時代ぐらいまではイェローも「赤」の仲間と考えられていたようで、8世紀ぐらいまでは、暗いのをクロ、明るく眩しいのをシロ、オレンジやレッドのようなのをアカ、灰色、淡いもの、ブルーなど寒そうなのをアヲと言っていたフシがあります。 ではその他の色は何と読んでいたかと言うと、どうも直接、菜の花が咲いただとかウメが匂うとか言うだけで(色彩的に染み出ることを「にほふ」と言いました)、とくに色だけを抜き出して言うことはなかったようなのです。というより、支那のように埃っぽい地面の色と菜の花の色を同じ「黄」で表すことに非常に強い抵抗感を覚えていたようなのです。全ての物には固有の色があるのではないかと。 平安時代になると宮中を中心に衣(漢語の絹kinがkinuと読まれます)が発達し、様々な染色を区別する必要上、「色」の概念が出來たようで、漢語の「色」に生き物の状態を表す語である「いろ」が当てられました。あの女は「いろっぽい」の「いろ」です。 「黄」がなぜ「き」と読まれたかについて諸説ああるようですが、どれも説得力がないようです。私は、たぶん「生き」の「き」、春に芽吹く植物の淡いグリーンから出たのではないかと単純に考えています。萌黄色の「黄」は葱の芽の色だと言われています。 ところで「庭にある木」というような言い方があります。これが「庭なる木」、niha-nalu-ki 、niha-nadu-kiと発音され、さらにはniha-nak-ki 、niha-na'kiとなったようです。語によっては、発音の都合で、例えば、momo-nadu-ki、 momo-nok-ki、 momo-no'kiとなるようです。 発音の変化に応じて、意味も「・・・にある」から、「・・・に属する」とか「・・・の性質をもつ」と広がりました。そうすると、「黄な粉」は「黄色の粉」という意味になるのではないでしょうか。
お礼
お礼が遅れまして恐縮です。 日本語の発音も仰せのように色々な変遷があったのでしょうし、 近世以前からあったものに対し「黄」=「きな」という 単純に発想したことが違うのでしょうね。 皆さんのご意見参考になりました。 ありがとうございました。
- cyototu
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今でも、 黄色い粉 = 黄色な粉 小さい子 = 小さな子 と言いますね。
お礼
お礼が遅れて申し訳ないです。 #2と同一趣旨ですね。
- tomajuu
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「黄なる粉」からかな?
お礼
回答ありがとうございます。 #2の方と同じ趣旨ですね。
- tomajuu
- ベストアンサー率38% (304/782)
飛騨人です。 私の地方も、「黄色い」ことを「黄ぃない」と言います。 なので、マメを挽いた粉は「黄ぃない粉」で、「きなこ」。 内陸部や、京から離れた地では 古い言葉が残っていることが多いらしいので、そのあたりがクサイ・・・? 色を形容詞的に表すのに、「赤」は「あかい。」、「青」は「あおい。」ですが、「黄」は「きい。」…では落ち着かないため「ない」という、性質・状態を表す接尾語を付け 「きぃない」になったのかな? (切ない・せわしない…みたいな「ない」の使い方) 「黄色い」はもっと後世からの使用・・・と勝手におもってます。
お礼
お礼が送れて恐縮です。 博多以外で同じ言い回しがあるのに驚きました。 墓多弁とばっかり思っていました。
お礼
お礼送れて恐縮です。 これは「黄な粉」説ですね。「黄」は「き」のまま。 なるほど、です。