(どちらも誤用?)「察せる」と「察せない」について
「察する」には読むときも、書くときも正誤に迷います。
WEB上では「”察さない”(158件)」「”察しない”(736件)」「”察せない”(2,540件)」「”察せる”(597件)」「”察せられる”(73,500件)」「”察しられる”(615件)」の使用例が見られます(Google、( )内はヒットの概数)。
なお、1から6の出自は全て「察する」であって「察す」とも「察しる」とも無関係とします。
1 あの人は相手の気持ちを「察さない」人だ。
2 あの人は相手の気持ちを「察しない」人だ。
3 あの人は相手の気持ちを「察せない」人だ。
4 あの人は相手の気持ちを「察せる」人だ。
5 あの人は相手の気持ちを「察せられる」人だ。
6 あの人は相手の気持ちを「察しられる」人だ。
質問1
正しいのは2、5だと判断してよいですか。この判断に誤りがあるときは解説の上、質問2以降を無視して下さいませ。
質問2
素人の直感として正しい筈の「察しない」が736件しかないのに、誤りの「察せない」が2,540件もあるのは異状に思えます。
「察せない」の2,540件は
1)「察しない」と記すべき所で誤ったケースと、
2)「察せられない」と記すべき所で誤ったケースと、さらに
3)文語の「察す」+「ず」=「察せず」と口語の「察する」+「ない」=「察しない」が捩れて「察せない」になり、これらが合流したものと推測します。
大半は3)のケースだと思うのですが、この考えが妥当であるや否や専門知識を所有する方々には、何か分かっていることがありますか。
質問3
これほど誤りが複合するのは「察する」特有の現象なのですか。サ変動詞全体に言えることなのですか。それとも、他の、ある種の動詞にも共通した現象なのですか。
質問4
私見では「”察せる”(597件)」の相当数は「”察せられる”(73,500件)」の積もりで使っているのではないかと推測します。「察し得る」から可能動詞「察せる」が誕生しつつあって今後とも増加の一途を辿るであろうと思います。この考えは間違っていますか。仮に可能動詞「察せる」を認めると何か不都合が生じますか。
なお、質問文の1行目を検証される方は” “付きで検索して下さいませ。
(参 http://www001.upp.so-net.ne.jp/google/howto2.htm )
よろしくお願いします。
お礼
おはようございます。適切な回答ありがとうございます。1 「慣用読み」ですか。?がついているのが、少し気になりますが、私としては納得いたしました。2「洗浄」が「洗滌」の慣用読みから由来していること、そして「帝王切開」がラテン語の誤訳から由来していることは、とても興味深く拝読いたしました。なぜ「帝王」というものものしい名前がついているのか、納得いたしました。